万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その532,533、534)―奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(35,36,37)―万葉集 巻十 二二〇二、二二九六、二三一五

―その532―

●歌は、「黄葉する時になるらし月人の桂の枝の色づく見れば」である。

 

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奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(35)万葉歌碑(作者未詳 かつら)

●歌碑(プレート)は、奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(35)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆黄葉為 時尓成 月人 楓枝乃 色付見者

                (作者未詳 巻十 二二〇二)

 

≪書き下し≫黄葉(もみち)する時になるらし月人(つきひと)の桂(かつら)の枝(えだ)の色づく見れば         

 

(訳)木の葉の色づく時節になったらしい。お月さまの中の桂の枝が色付いてきたところを見ると。((伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

  

 万葉集には、月にある想像上の「かつら」を詠った歌が二首収録されている。実際の「かつら」を歌ったのは一首だけである。

 

「月のかつら」からみてみよう。

 

◆目二破見而 手二破不所取 月内之 楓如 妹乎奈何責

               (湯原王 巻四 六三二)

 

≪書き下し≫目には見て手には取らえぬ月の内の桂(かつら)のごとき妹(いも)をいかにせむ    

 

(訳)目には見えても手には取らえられない月の内の桂の木のように、手を取って引き寄せることのできないあなた、ああどうしたらよかろう。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)月の内の桂(かつら):月に桂の巨木があるという中国の俗信

 

 

実際の「かつら」を詠った歌をみてみよう。

 

◆向岳之 若楓木 下枝取 花待伊間尓 嘆鶴鴨

               (作者未詳 巻七 一三五九)

 

≪書き下し≫向つ峰(むかつみね)の若楓(わかかつら)の木下枝(しづえ)とり花待つい間に嘆きつるかも 

 

(訳)向かいの高みの若桂の木、その下枝を払って花の咲くのを待っている間にも、待ち遠しさに思わず溜息がでてしまう。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)むかつを【向かつ峰・向かつ丘】名詞:向かいの丘・山。◆「つ」は「の」の意の上代の格助詞。上代語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)上二句(向岳之 若楓木)は、少女の譬え

(注)下枝(しづえ)とり:下枝を払う。何かと世話をする意。

(注)花待つい間:成長するのを待っている間

 

「楓」はこんにちの楓(かえで)を指すものではない。楓(かえで)は、「ヲカツラ」といい、「桂」は「メカツラ」といって対になっている。いずれも良い香りがするカツラの木のことである。

この歌はカツラの木の美しさを歌ったものではなく、カツラの木によせて恋心を述べた比喩の歌である。

若い楓の木は、ある男が恋する少女のことを譬えており、花が咲くというのは、その少女が成人した女性になることをいう。だから、男の溜め息は、少女が成人するまでのあいだの間に、ほかの男にとられてしまうのを恐れているのである。

 

 

―その533―

●歌は、「あしひきの山さな葛もみつまで妹に逢はずや我が恋ひ居らむ」である。

 

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奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(36)万葉歌碑(作者未詳 さなかずら)

●歌碑(プレート)は、奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(36)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆足引乃 山佐奈葛 黄變及 妹尓不相哉 吾戀将居

                                   (作者未詳 巻十 二二九六)

 

≪書き下し≫あしひきの山さな葛(かづら)もみつまで妹(いも)に逢はずや我(あ)が恋ひ居(を)らむ

 

(訳)この山のさな葛(かずら)の葉が色付くようになるまで、いとしいあの子に逢えないままに、私はずっと恋い焦がれていなければならないのであろうか。(同上)

 

「さなかずら」の皮を剥いでぬるま湯に浸し、出て来る粘液を男性用の整髪料として使ったことから「美男葛(びなんかずら)」とも呼ばれていたようである。

 

 

―その534―

●歌は、「あしひきの山道も知らず白橿の枝もとををに雪の降れれば」である。

 

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奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(37)万葉歌碑(作者未詳 しらかし)

●歌碑(プレート)は、奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(37)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆足引 山道不知 白牫牱 枝母等乎ゞ乎 雪落者  或云 枝毛多和ゝゝ

(柿本朝臣人麿歌集 巻十 二三一五)

 

 ≪書き下し≫あしひきの山道(やまぢ)も知らず白橿(しらかし)の枝もとををに雪の降れれば  或いは「枝もたわたわ」といふ

 

(訳)あしひきの山道のありかさえもわからない。白橿の枝も撓(たわ)むほどに雪が降り積もっているので。<枝もたわわに>(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)とををなり【撓なり】形容動詞:たわみしなっている。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)たわたわ【撓 撓】( 形動ナリ ):たわみしなうさま。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

 

橿(かし)といえば、一般に常緑高木のアラカシを指すのに対して、シラカシは同じく橿(かし)の類ではあるが、特に材質の白い常緑高木をいう。万葉集には、白橿の他に櫟(いちい:イチイガシ)や厳橿(いつかし)と呼ばれる神聖な地に生えるカシが歌われている。ともに、材質は堅く、その実(どんぐり)は食用になる。

 ここでは、雪がたくさん降り積もっている冬景色を詠んでおり、日頃は目印になる高い白橿の木が、真っ白になってしまった山中で、山道も分からないと歌っている。白橿は「知らず白橿の」と続いてリズム感を出すとともに、白橿の白が雪の白さを一層強調している

 

 この歌の左注は、「右柿本朝臣人麻呂之歌集出也 但件一首 或本云三方沙弥作」<右は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。ただし、件(くだり)の一首は、 或本には「三方沙弥(みかたのさみ)が作」といふ>である。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「万葉の小径(かつら)説明碑」