万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その529,530,531)―奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(32,33,34)―万葉集 巻十 一九七三、二一〇四、二一八八

―その529―

●歌は、「我妹子に楝の花は散り過ぎず今咲けるごとありこせぬかも」である。

 

●歌碑(プレート)は、奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(32)にある。

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奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(32)万葉歌碑(作者未詳 あふち)

 

●歌をみていこう。

 

◆吾妹子尓 相市乃花波 落不過 今咲有如 有与奴香聞

               (作者未詳 巻十 一九七三)

 

≪書き下し≫我妹子(わぎもこ)に楝(あふち)の花は散り過ぎず今咲けるごとありこせぬかも

 

(訳)いとしい子に逢うという楝(おふち)の花は、散り失せずに、今咲いているままに有り続けてくれないものか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)ありこす【有りこす】分類連語:(こちらに対して)あってくれる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

「楝」を詠んだ歌は万葉集では四首ある。他の三首もみてみよう。

 

◆伊毛何美斯 阿布知乃波那波 知利奴倍斯 和何那久那美多 伊摩陁飛那久尓

                   (山上憶良 巻五 七九八)

 

≪書き下し≫妹(いも)が見し棟(あふち)の花は散りぬべし我(わ)が泣く涙(なみた)いまだ干(ひ)なくに

 

(訳)妻が好んで見た棟(おうち)の花は、いくら奈良でももう散ってしまうにちがいない。。妻を悲しんで泣く私の涙はまだ乾きもしないのに。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

この歌は、山上憶良が亡き妻を哀惜する「日本挽歌」である。「あふち」は「逢う路」で旧懐の情を誘うもののようでる。

 

◆珠尓奴久 安布知乎宅尓 宇恵多良婆 夜麻霍公鳥 可礼受許武可聞

               (大伴書持 巻十七 三九一〇)

 

≪書き下し>玉に貫(ぬ)く楝(あふち)を家に植ゑたらば山ほととぎす離(か)れず来(こ)むかも

 

(訳)薬玉(くすだま)として糸に貫く楝、その楝を我が家に植えたならば。山に棲む時鳥がしげしげとやって来て鳴いてくれることだろうか。(同上四)

 

 

◆保登等藝須 安不知能枝尓 由吉底居者 花波知良牟奈 珠登見流麻泥

               (大伴家持 巻十七 三九一三)

 

≪書き下し≫ほととぎす楝(あふち)の枝に行きて居(ゐ)ば花は散らむな玉と見るまで

 

(訳)時鳥、この時鳥が、仰せの楝の枝に飛んで行って留まったなら、花は、さぞかしほろほろと散りこぼれることだろう。こぼれ落ちる玉のように(同上四)

 

この歌は、先の書持の三九一〇歌のたいする答えの歌である。

 

「時鳥」も中国の故事では「懐古の悲鳥」であり。万葉集でも「いにしへに恋ふる鳥」「いにしへの恋ふらむ鳥」(巻一 一一一、一一二)で詠われている。

 

 

 

―その530―

●歌は、「朝顔は朝露負ひて咲くといへど夕影にこそ咲きまさりけれ」である。

 

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奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(33)万葉歌碑(作者未詳 あさがほ)

●歌碑(プレート)は、奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(33)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆朝杲 朝露負 咲雖云 暮陰社 咲益家礼

                (作者未詳 巻十 二一〇四)

 

≪書き下し≫朝顔(あさがほ)は朝露(あさつゆ)負(お)ひて咲くといへど夕影(ゆふかげ)にこそ咲きまさりけれ

 

(訳)朝顔は朝露を浴びて咲くというけれど、夕方のかすかな光の中でこそひときわ咲きにおうものであった。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

現在のアサガオは、この当時渡来していないので、この「朝顔(あさがほ)」については、桔梗(ききょう)説・木槿(むくげ)説・昼顔説などがあるが、木槿も昼顔も夕方には花がしぼむので、「夕影(ゆふかげ)にこそ咲きまさりけれ」というのは桔梗であると考えるのが妥当であろうといわれている。

 

             

 

―その531―

●歌は、「黄葉のにほひは繁ししかれども妻梨の木を手折りかざざむ」である。

 

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奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(34)万葉歌碑(作者未詳 なし)

●歌碑(プレート)は、奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(34)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆黄葉之 丹穂日者繁 然鞆 妻梨木乎 手折可佐寒

                                   (作者未詳 巻十 二一八八)

 

≪書き下し≫黄葉(もみぢば)のにほひは繁(しげ)ししかれども妻梨(つまなし)の木を手折(たを)りかざざむ

 

(訳)あの山のもみじの色づきはとりどりだ。しかし、妻なしの私は梨の木を手折って挿頭(かざし)にしよう。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

この歌に続いて「妻梨」が詠われているので、こちらもみておこう。

 

◆霜露乃 寒夕之 秋風尓 黄葉尓来之 妻梨之木者

               (作者未詳 巻十 二一八九)

 

≪書き下し≫霜露(つゆしも)の寒き夕(ゆうへ)の秋風にもみちにけらし妻梨の木は

 

(訳)置く霜のひとしお寒々とした夕(ゆうべ)、この夕方の秋風によって色付いたのであるらしい。妻なしという梨の木は。(同上)

(注)独り者の木ゆえ、一層寒さが身に染みて色付いたとみている。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)