万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その517,518,519,520)―奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(20,21,22,23)―万葉集 巻七 一三五七、巻八 一四六一、 巻八 一四八五、巻九 一七七七

―その517―

 

●歌は、「たらちねの母がその業る桑すらに願へば衣に着るといふものを」である。

 

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奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(20)万葉歌碑(作者未詳 くは)

●歌碑(プレート)は、奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(20)にある。

 

●この歌については、直近では、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その472)」でも紹介している。

歌をみていこう。

 

◆足乳根乃 母之其業 桑尚 願者衣尓 著常云物乎

               (作者未詳 巻七 一三五七)

 

≪書き下し≫たらちねの母がその業(な)る桑(くは)すらに願(ねが)へば衣(きぬ)に着るといふものを。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

(訳)母が生業(なりわい)として育てている桑の木でさえ、ひたすらお願いすれば着物として着られるというのに。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

万葉集には、「桑」が詠み込まれているのは三首である。うち一首は「桑子(くわこ)」となっており、植物でなく「蚕」のことを詠っているのである。

 

他の二首、三三五〇歌(桑)、三〇八六歌(蚕)ともにみておこう。

 

 

◆筑波祢乃 尓比具波波麻欲能 伎奴波安礼杼 伎美我美家思志 安夜尓伎保思母

               (作者未詳 巻十四 三三五〇)

   或本歌日 多良知祢能 又云 安麻多氣保思母

 

≪書き下し≫筑波嶺(つくはね)の新桑繭(にひぐはまよ)の衣(きぬ)はあれど君が御衣(みけし)しあやに着(き)欲(ほ)しも

   或本の歌には「たらちねの」といふ。また「あまた着(き)欲しも」といふ。

 

(訳)筑波嶺一帯の、新桑で飼った繭の着物はあり、それはそれですばらしいけれど、やっぱり、あなたのお召がむしょうに着たい。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)新桑繭(読み)にいぐわまよ :新しい桑の葉で育った繭。今年の蚕の繭。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)みけし【御衣】名詞:お召し物。▽貴人の衣服の尊敬語。 ※「み」は接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)あやに【奇に】副詞:むやみに。ひどく。(学研)

  

 新しい桑の葉で育った蚕から採った高価な絹の衣服よりも、あなたの衣服を身に着けたい、「信州信濃の新そばよりも、わたしゃあなたのそばがよい」といったノリである。

 

◆中ゝ二 人跡不在者 桑子尓毛 成益物乎 玉之緒許

               (作者未詳 巻十二 三〇八六)

 

≪書き下し≫なかなかに人とあらずば桑子(くわこ)にもならましものを玉の緒ばかり

 

(訳)なまじっか人の身なんかではなくて、いっそのこと蚕にでもなりたい。玉の緒のはかない命をつなぐだけのありさまで。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)なかなかに 副詞:①なまじ。なまじっか。中途半端に。②いっそのこと。かえって。むしろ。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)くはこ【桑子】名詞:蚕の別名(学研) はかない命のたとえ。

(注)玉の緒ばかり:恋の苦しさにわずかに魂をつなぎとめている状態を「玉の緒」に見立てた表現。

 

 

 

―その518―

●歌は、「昼は咲き夜は恋ひ寝る合歓木の花君のみ見めや戯奴さへに見よ」である。

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奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(21)万葉歌碑(紀女郎 ねぶ)


 

●歌碑(プレート)は、奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(21)にある。   

 

●この歌については、直近では、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その487)」でも紹介している。

歌をみてみよう。

 

◆晝者咲 夜者戀宿 合歡木花 君耳将見哉 和氣佐倍尓見代

              (紀女郎 巻八 一四六一)

 

≪書き下し≫昼は咲き夜(よる)は恋ひ寝(ね)る合歓木(ねぶ)の花君のみ見めや戯奴(わけ)さへに見よ

 

(訳)昼間は花開き、夜は葉を閉じ人に焦がれてねむるという、ねむの花ですよ。そんな花を主人の私だけが見てよいものか。そなたもご覧。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)きみ【君・公】名詞:①天皇。帝(みかど)。②主君。主人。③お方。▽貴人を敬っていう語。④君。▽人名・官名などの下に付いて、「…の君」の形で、その人に敬意を表す。(学研) ここでは、②の意

(注)わけ【戯奴】代名詞:①私め。▽自称の人称代名詞。卑下の意を表す。②おまえ。▽対称の人称代名詞。目下の者にいう。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 この歌は、紀女郎(きのいらつめ)が自分のことを君(主人)と言い、歌を贈った相手である大伴家持のことを戯奴(わけ)(従者)と呼んでいる、戯れ心の歌である。合歓木を見に来られませんかと誘う裏には、ネムの木だって恋い寝るのだから、私たちもその花のように共寝をしましょうよと、恐らくは年上の紀女郎が若い家持に戯れかけた心が見られる。なお、ネム万葉集ではすべてネブというが、古代の『ねぶり』が『ねむり』と代わり、『けぶり』が『けむり』と今日呼ばれることと同じことである。

 万葉集においては、わずか三首しか合歓木は見られないが、『しなひ合歓の木』などと歌われていて、ネムの木の特徴をよくとらえ得たことばもある。萩等と同じく枝から垂れ下がったマメのような実がよく目につくので、合歓木の実もまた興味を引いていた。」

(注)しなひ【撓ひ】名詞:しなやかに曲がっていること。ふじの花、はぎの枝、柳の枝などにいうことが多い。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 

―その519―

 ●歌は、「夏まけて咲きたるはねずひさかたの雨うち降らばうつろひなむか」である。

 

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奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(22)万葉歌碑(大伴家持 はねず)

●歌碑(プレート)は、奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(22)にある。

 

●この歌については、直近では、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その493)」でも紹介している。

歌をみていこう。

 

◆夏儲而 開有波祢受 久方乃 雨打零者 将移香

               (大伴家持 巻八 一四八五)

 

≪書き下し≫夏まけて咲きたるはねずひさかたの雨うち降らばうつろひなむか

 

(訳)夏を待ち受けてやっと咲いたはねず、そのはねずの花は、雨でも降ったら色が褪(あ)せてしまうのではなかろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)まく【設く】他動詞:①前もって用意する。準備する。②前もって考えておく。③時期を待ち受ける。(その季節や時が)至る。 ※上代語。中古以後は「まうく」。ここでは、③の意(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ひさかたの【久方の】分類枕詞:天空に関係のある「天(あま)・(あめ)」「雨」「空」「月」「日」「昼」「雲」「光」などに、また、「都」にかかる。語義・かかる理由未詳。(学研)

(注)うつろふ【移ろふ】自動詞:①移動する。移り住む。②(色が)あせる。さめる。なくなる。③色づく。紅葉する。④(葉・花などが)散る。⑤心変わりする。心移りする。⑥顔色が変わる。青ざめる。⑦変わってゆく。変わり果てる。衰える。 ※「移る」の未然形+反復継続の助動詞「ふ」からなる「移らふ」が変化した語。(学研)ここでは②の意

 

 

―その520―

●歌は、「君なくはなぞ身装はむ櫛笥なる黄楊の小枝も取らむとも思はず」である。

 

●歌碑(プレート)は、奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(23)にある。

 

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奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(22)万葉歌碑(播磨娘子 つげ)

●この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その303)」でも紹介している。

歌をみていこう。

 

◆君無者 奈何身将装餝 匣有 黄楊之小梳毛 将取跡毛不念

                    (播磨娘子 巻九 一七七七)

 

≪書き下し≫君なくはなぞ身(み)装(よそ)はむ櫛笥(くしげ)なる黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)も取らむとも思はず

 

(訳)あなた様がいらっしゃらなくては、何でこの身を飾りましょうか。櫛笥(くしげ)の中の黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)さえ手に取ろうとは思いません。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)くしげ 【櫛笥】:櫛箱。櫛などの化粧用具や髪飾りなどを入れておく箱。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

題詞は、「石川大夫遷任上京時播磨娘子贈歌二首」<石川大夫(いしかはのまへつきみ)、遷任して京に上(のぼ)る時に、播磨娘子(はりまのをとめ)が贈る歌二首>である。

 

石川大夫が任を終え都に帰任する時に詠った歌である。娘子、おそらく遊女であろう。しかし、櫛、しかも黄楊の櫛という高級品を櫛笥に入れて持っていた。石川大夫に贈られたのであろう。逢瀬の時に、その櫛を櫛笥から取り出し、精一杯身を飾ったのであろう。石川大夫が帰京すれば、美しく装うこともない。黄楊の櫛も空しい存在となってしまったのである。

わかってはいても、身分から考えても、しかし、それだけに切なくいとおしい歌である。

 

「つげ」は、秋には紅葉する。またその樹材は黄色いため「黄楊」とあてられる。樹材の特徴として、強く目が細く、かつ弾力に富んでいるので、櫛などの身辺用具に使われていた。万葉の時代には、植物としての意識よりも調度としての意識が強かったようである。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉の心」 中西 進 著 (毎日新聞社

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「万葉の小径 ねぶの歌碑」