―その515-
●歌は、「南淵の細川山に立つ檀弓束巻くまで人に知らえじ」である。
●歌碑(プレート)は、奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(18)にある。
この歌については、直近では、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その482)でも紹介している。ここでは、歌のみみていこう。
◆南淵之 細川山 立檀 弓束纒及 人二不所知
(作者未詳 巻七 一三三〇)
≪書き下し≫南淵(みなぶち)の細川山(ほそかはやま)に立つ檀(まゆみ)弓束(ゆづか)巻くまで人に知らえじ
(訳)南淵の細川山に立っている檀(まゆみ)の木よ、お前を弓に仕上げて弓束を巻くまで、人に知られたくないものだ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)細川山:奈良県明日香村稲渕の細川に臨む山。
(注)まゆみ:目をつけた女の譬え
(注)ゆつか【弓柄・弓束】名詞:矢を射るとき、左手で握る弓の中ほどより少し下の部分。また、そこに巻く皮や布など。「ゆづか」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
この歌の題詞は、「寄弓」<弓の寄す>である。
伊藤 博氏は、その著「萬葉集相聞の世界(塙書房)」の中で「萬葉歌には、その特色ある表現形態として、景物に寄せて思いを述べる歌が非常に多い。(中略)主流となるものは、歌の前段において景物を提示し、後段でその景物に寄せて人事内容をうたう序の歌、すなわち序詞を持つ歌の様式である。」「こうした序詞は、萬葉集において、雑歌や挽歌には非常に少なく、相聞歌に集中している感がある。」「序詞に託しておのが心情を開陳する発想法は、相聞歌の常式、すなわち、恋する男女特有の様式であると言っても、いいすぎではないほどだ。それだけ、序詞の持つ美しさを知ることは、男女の心情の本質を会得する上に、大切だということになる。」と述べておられる。
―その516―
●歌は、「かくしてやなほや老いなむみ雪降る大荒木野の小竹にあらなくに」である。
●歌碑(プレート)は、奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(19)にある。
●歌をみていこう。
◆如是為而也 尚哉将老 三雪零 大荒木野乃 小竹尓不有九二
(作者未詳 巻七 一三四九)
≪書き下し≫かくしてやなほや老(お)いなむみ雪降る大荒木野(おほあらきの)の小竹(しの)にあらなくに
(訳)こうしてまあ、私もだんだんと年を取っていくのだろうか。雪の降り積もる大荒木野の篠竹(しのだけ)ではないつもりだったのに。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
ここでの「小竹(しの)」は、誰にも刈り取られることなく、枯れ朽ちて行く大荒木野の「篠竹」に喩えて、良い男に巡り合うことなく年老いてゆく女の嘆きを詠っている。
万葉びとが、「しの」に「小竹」、「細竹」という字を当てているが、「しの」は稈(かん、茎にこと)が細くて群がって生える小型のタケの総称でメダケ、ヤダケなどをいうのである。
歌い出しが、「かくしてや」ではじまり、大荒木の浮田の杜に絡めて、終わりの句が「・・にあらなくに」と詠った歌があるのでこちらもみてみよう。
◆如是為哉 猶八成牛鳴 大荒木之 浮田之社之 標尓不有尓
(作者未詳 巻十一 二八三九)
≪書き下し≫かくしてやなほまもらむ大荒木(おほあらき)の浮田(うきた)の社(もり)の標(しめ)にあらなくに
(訳)このまま、やっぱりあの子をずっと見守るだけでいなければならないのであろうか。私は何も、大荒木の浮田の社(やしろ)の標縄ではないはずなのに。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)まもる【守る】他動詞:①目を放さず見続ける。見つめる。見守る。②見張る。警戒する。気をつける。守る。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
➡自分の女に他の男が手出しをしないように監視すること。女の親からの許しがでないのであろう。
(注)しめ【標・注連】名詞:①神や人の領有区域であることを示して、立ち入りを禁ずる標識。また、道しるべの標識。縄を張ったり、木を立てたり、草を結んだりする。②「標縄(しめなは)」の略。
左注は、「右一首寄標喩思」<右の一首は、標に寄せて思ひを喩ふ>である。
この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その444)」で紹介している。
➡
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」