万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その444)―五條市今井町 荒木神社―万葉集 巻十一 二八三九 

●歌は、「かくしてやなほまもらむ大荒木の浮田の社の標にあらなくに」である。

 

f:id:tom101010:20200330211411j:plain

五條市今井町 荒木神社万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、五條市今井町 荒木神社にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆如是為哉 猶八成牛鳴 大荒木之 浮田之社之 標尓不有尓

                                    (作者未詳 巻十一 二八三九)

 

≪書き下し≫かくしてやなほまもらむ大荒木(おほあらき)の浮田(うきた)の社(もり)の標(しめ)にあらなくに

 

(訳)このまま、やっぱりあの子をずっと見守るだけでいなければならないのであろうか。私は何も、大荒木の浮田の社(やしろ)の標縄ではないはずなのに。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)まもる【守る】他動詞:①目を放さず見続ける。見つめる。見守る。②見張る。警戒する。気をつける。守る。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 ➡自分の女に他の男が手出しをしないように監視すること。女の親からの許しがでないのであろう。

(注)大荒木の浮田の社:奈良県五條市荒木神社か。

(注)しめ【標・注連】名詞:①神や人の領有区域であることを示して、立ち入りを禁ずる標識。また、道しるべの標識。縄を張ったり、木を立てたり、草を結んだりする。②「標縄(しめなは)」の略。

 

左注は、「右一首寄標喩思」<右の一首は、標に寄せて思ひを喩ふ>である。

f:id:tom101010:20200330211740j:plain

荒木神社鳥居と参道

 

f:id:tom101010:20200330211549j:plain

「史跡浮田杜」説明案内板

 國學院大學デジタル・ミュージアムの「万葉神事語辞典」に「浮田の杜」(うきたのもり)として次のように説明されている。

「所在未詳。『延喜式神名帳に『大和国宇智郡荒木神社』とあることから、奈良県五條市今井にある荒木神社だと言われるが、京都市伏見区淀の与杼(よど)神社とする説もある。万葉集に1例のみで、11-2839に『かくしてや なほやなりなむ 大荒木(おほあらき)の 浮田の社の 標(しめ)にあらなくに(こうしてやはり老いてゆくのか。大荒木の浮田の神社の注連縄(しめなわ)でもないのに)』とある。歌意から察するに、当時のウキタノモリは、古びた注連縄がかかっている、古色蒼然とした訪れる人の少ない神社であったのであろう。浮田の杜の枕詞の『大荒木』が、死者を埋葬するまでの期間に遺体を納めて置くことを意味することからも、浮田の社の荒涼としたイメージが感じ取れる。」

 二句目の「猶八成牛鳴」の読やみかたが、「なほやなりなむ」と「なほやもりなむ」の二通りがある。前者の場合は、「やはり老いてゆくのか」、後者の場合は、「やっぱりあの子をずっと見守るだけでいなければならないのであろうか」となる。

 

 これまで見て来た万葉集の「標」は、恋の対象に対する比喩として用いられてきたものが多いので、ここも、恋の歌と見たい。しかし、念のため「標」について調べてみると、同じく、前出の「國學院大學デジタル・ミュージアム」の「万葉神事語辞典」に、「標」について次のように書かれている。長いが引用させていただく。

「神域であることを示したり、自分の所有であることを示したりするための標識、あるいは結界として張られた縄のことで、その中への立ち入りを禁ずるためもの。たとえば、額田王の蒲生野の歌(1-20)の『標野』が、その典型である。また、道しるべと見られる例もある。但馬皇女の歌(2-115)に見られる『道の隈廻』に結った『標』である。その多くは〈結ふ〉ものだが、〈刺す〉もの、〈立つ〉もの、〈延ゆ〉ものもある。山・野・港・墓所などに、杭を打ったり、縄を張ったり、人目につくような印をつけたりしたのであろう。占有するという意の動詞〈標む〉の例も見られる。天智天皇崩御に際しての額田王の『大御船 泊てし泊まりに 標結はましを』(2-151)と、石川夫人の『誰がために 山に標結ふ 君もあらなくに』(2-154)の『標』は、他界に赴くことを阻止するための注連縄であろう。しかし、万葉集では譬喩歌に集録された歌々を中心に、恋の歌の中で譬喩として用いられた例が圧倒的に多い。たとえば、余明軍の『標結ひて 我が定めてし 住吉の 浜の小松は 後も我が松』(3-394)が、その典型である。『標結ひて 我が定めてし』「小松」は、許嫁の意。大伴駿河麻呂の『梅の花 咲きて散りぬと 人は言へど 我が標結ひし 枝ならめやも』(3-400)の『我が標結ひし枝』も同じ。大伴坂上郎女の『山守が ありける知らに その山に 標結ひ立てて 結ひの恥しつ』(3-401)は、すでに配偶者がいることを知らずに、思いを寄せていた自分を恥じる歌。ここに見られる『松』『梅』『山』は異性を暗示し、『標』によって自分の所有であることを示す例だが、こうした例は枚挙にいとまがない。中には、『標結ひし妹』という直截的な言い方も見られる。『かくしてや なほやなりなむ 大荒木の 浮田の社の 標にあらなくに』(11-2839)のように、神聖であるがゆえに手に触れることが許されないものの意と見られる例もある。成就しない恋をうたったものであろう。大伴家持には、客をもてなすために、大切に保存しておいたことを言うための『標』の例もある。『今日のためと 思ひて標めし あしひきの 尾の上の桜 かく咲きにけり』(19-4151)という歌である。」

 

 行圓律寺から荒木神社までは車で約10分である。駐車場に車を止め、赤い鳥居を過ぎ参道階段の手前にある歌碑を撮影。令和2年2月26日の御所、五條市万葉歌碑めぐりは、一言主神社、高天寺橋本院、阿吽寺、阿太峯神社、行圓律寺、荒木神社と順調に巡り、残りは榮寺と荒坂峠の2か所となった。

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「「國學院大學デジタル・ミュージアム 万葉神事語辞典」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」