万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その445)―五條市小島町 榮山寺―万葉集 巻九 一七二一

●歌は、「苦しくも暮れゆく日かも吉野川清き川原見れど飽かなくに」である。

 

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五條市小島町 榮山寺万葉歌碑(元仁)

●歌碑は、五條市小島町 榮山寺にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆辛苦 晩去日鴨 吉野川 清河原乎 雖見不飽君

              (元仁 巻九 一七二一)

 

≪書き下し≫苦しくも暮れゆく日かも吉野川(よしのがは)清き川原(かはら)を見れど飽(あ)かなくに

 

(訳)残念ながら今日一日はもう暮れて行くのか。吉野川の清らかな川原は、いくら見ても見飽きることはないのに。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)くるし【苦し】形容詞:①苦しい。つらい。②〔上に助詞「の」「も」を伴って〕困難である。③心配だ。気がかりだ。④〔下に打消・反語を伴って〕不都合だ。差しさわりがある。⑤不快だ。見苦しい。聞き苦しい。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

題詞は、「元仁歌三首」<元仁(ぐわんにん)が歌三首>である。

 

他の歌二首もみてみよう。

 

◆馬屯而 打集越来 今日見鶴 芳野之川乎 何時将顧

              (元仁 巻九 一七二〇)

 

≪書き下し≫馬並(な)めて打(う)ち群(む)れ越え来(き)今日(けふ)見つる吉野(よしの)の川(かは)をいつかへり見む

 

(訳)馬をあまた並べて、鞭(むち)くれながらみんなで越えて来て、今日この目でしっかと見た吉野川、この美しい川の流れを、いつの日また再びやってきて見られるだろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

吉野川 河浪高見 多寸能浦乎 不視歟成嘗 戀布莫國

              (元仁 巻九 一七二二)

 

≪書き下し≫吉野川川波高み滝(たき)の浦を見ずかなりなむ恋(こひ)しけまくに

 

(訳)吉野川の川波がこんなに高くては、滝の浦を見ないままになってしまうのではなか。あとで悲しくてならないであろうに。(同上)

 

 元仁については伝未詳であり、万葉集にはこの三首が収録されているだけである。

 

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榮山寺お堂

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榮山寺説明案内板

「なら旅ネット」(奈良県ビジターズビューローHP)には、「榮山寺」について次のように書かれている。

「養老3年(719)に藤原不比等の長男藤原武智麻呂菩提寺として創建したと伝えられる。室町時代に再建された本堂には薬師如来坐像(重要文化財)が祀られており、本堂右手には八角円堂(国宝)が立つ。八角円堂は武智麻呂の菩提を弔うために子の仲麻呂によって建立されたと伝えられており、内陣の柱や天蓋には壁画が施されているなど天平建築の中でも法隆寺夢殿と並ぶ貴重な遺構である。平安期に造られた梵鐘(国宝)は『平安三絶の鐘』の一つで四面には菅原道真の撰、小野道風の書といわれる銘文が残されている。」

 

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梵鐘堂格子

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梵鐘説明案内板

 駐車場に車をとめ、入山手続きをすべく受付に行くが閉まっている。境内に進むと、料金箱が置いてあり、その中に入山料を入れるのである。

 鐘堂があるが、結構密な縦格子がはまっている。しばらく行くと左手にお堂が見えて来る。お堂の左手奥に、庭っぽいところがあり、そこに万葉歌碑がある。

 

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お堂左手奥に歌碑がある

 荒木神社から榮山寺までは約2kmである。吉野川を読んだ歌の歌碑があるのは、榮山寺の南側には吉野川が流れているからであろう。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「なら旅ネット」 (奈良県ビジターズビューローHP)