万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その521)―奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(24)―万葉集 巻十 一八一四

●歌は、「いにしへの人の植ゑけむ杉が枝に霞たなびく春は来ぬらし」である。

 

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奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(24)万葉歌碑(柿本人麻呂歌集 すぎ)

●歌碑(プレート)は、奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(24)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆古 人之殖兼 杉枝 霞霏▼ 春者来良之

            ※▼は、「雨かんむりに『微』」、「霏▼=たなびく」

              (柿本人麻呂歌集 巻十 一八一四)

 

≪書き下し≫いにしへの人の植ゑけむ杉が枝に霞たなびく春は来ぬらし

 

(訳)遠く古い世の人が植えて育てたという、この杉木立(こだち)の枝に霞がたなびいている。たしかにもう春はやってきたらしい。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

 杉は日本特産の常緑高木である。杉材は、古来より建築材として、また酒樽の材料として用いられており、植林も行われていたようである。

万葉集では、「杉」を詠んだ歌は十二首収録されている。すべてみてみよう。歌は、書き下しの形で記している。

 

◇みもろの神(かみ)の神杉(かむすぎ)已具耳矣自得見監乍共寝(い)ねぬ夜(よ)ぞ多き(巻二 一五六)

(訳)神の籠る聖地大三輪の、その神のしるしの神々しい杉、已具耳矣自得見監乍共、いたずらに寝られない夜が続く。(同上 一)

(注)三、四句「已具耳矣自得見監乍共」は訓義未詳。

 

◇いつの間(ま)も神(かむ)さびけるか香具山(かぐやま)の桙杉(ほこすぎ)の本(もと)に苔生(こけむ)すまでに(巻三 二五九)

(訳)いつの間にこうも人気がなく神さびてしまったのか、香具山のとがった杉の大木の、その根元に苔が生(む)すほどに。(同上 一)

 

◇石上(いそのかみ)布留(ふる)の山なる杉群(すぎむら)の思ひ過ぐべき君にあらなくに(巻三 四二二)

(訳)石上の布留の山にある杉の木の群れ、その杉のように、私の思いから過ぎ去って忘れてしまえるお方ではけっしてないのに。(同上 一)

(注)石上:天理市石上神社付近。

(注)上三句「石上布留(いそのかみふる)の山なる杉群(すぎむら)の」は、「思ひ過ぐ」を起こす序。

 

◇味酒(うまさけ)を三輪(みわ)の祝(はふり)が斎(いは)ふ杉手(て)触れし罪か君に逢ひかたき(巻四 七一二)

(訳)三輪の神主があがめ祭る杉、その神木の杉に手を触れた祟(たた)りでしょうか、あなたになかなか逢えないのは。(同上 一)

(注)うまさけ【味酒・旨酒】分類枕詞:味のよい上等な酒を「神酒(みわ)(=神にささげる酒)」にすることから、「神酒(みわ)」と同音の地名「三輪(みわ)」に、また、「三輪山」のある地名「三室(みむろ)」「三諸(みもろ)」などにかかる。 ※参考 枕詞としては「うまさけの」「うまさけを」の形でも用いる(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)はふり【祝】名詞:神に奉仕することを職とする者。特に、神主(かんぬし)や禰宜(ねぎ)と区別する場合は、それらの下位にあって神事の実務に当たる職をさすことが多い。祝(はふ)り子。「はうり」「はぶり」とも。(学研)

 

◇御幣(みぬさ)取り三輪(みわ)の祝(はふり)が斎(いは)ふ杉原 薪伐(たきぎこ)りほとほとしくに手斧(てをの)取らえぬ(巻七 一四〇三) 旋頭歌

(訳)幣帛(へいへく)を手に取って三輪の神官(はふり)が斎(い)み清めて祭っている杉林よ。その杉林で薪を伐(き)って、すんでのところで大切な手斧(ておの)を取り上げられるところだったよ。(同上 二)

(注)ほとほとし【殆とし・幾とし】形容詞:もう少しで(…しそうである)。すんでのところで(…しそうである)。極めて危うい。(学研)

(注)斎(いは)ふ杉原:人妻の譬えか。

(注)「薪伐(たきぎこ)りほとほとしくに手斧(てをの)取らえぬ」:手を出してひどい目にあいかけたの意を喩える。

 

 

◇神(かむ)なびの神依(かみよ)せ板(いた)にする杉(すぎ)の思ひも過ぎず恋の繁きに(巻九 一七七三)

(訳)神なび山の神依せの板に用いる杉の名のように、どうしたら逢えるようになるかという思いは過ぎ去ることがないのです。逢えない苦しみの激しさに。(同上 二)

(注)かみよりいた【神依り板/神憑り板/神寄り板】:上代、神霊を天から招き寄せるためにたたいた杉板。(goo辞書)

(注)「神(かむ)なびの神依(かみよ)せ板(いた)にする杉(すぎ)の」は、「思ひも過ぎず」を起こす序。

 

 

◇いにしへの人の植ゑけむ杉が枝に霞たなびく春は来ぬらし(歌碑プレートの歌)

 

◇石上(いそのかみ)布留(ふる)の神杉(かむすぎ)神(かむ)びにし我(あ)れやさらさら恋にあひにける(巻十 一九二七)

(訳)石上の布留の社(やしろ)の年経た神杉ではないが、老いさらばえてしまった私が、今また改めて、恋の奴(やっこ)にとっつかまってしまいました。(同上 二)

(注)「石上(いそのかみ)布留(ふる)の神杉(かむすぎ)」は「神(かむ)びにし」を起こす序。

(注)さらさら【更更】副詞:①ますます。改めて。②〔打消や禁止の語を伴って〕決して。(学研)

(注)神び<かむぶ【神ぶ】( 動):年月を経て神々しくなる。また、年老いる。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

 

◇石上(いそのかみ)布留(ふる)の神杉(かむすぎ)神(かむ)さびて恋をも我(あ)れはさらにするかも(巻十一 二四一七)

(訳)石上の布留の年古りた神杉、その神杉のように古めかしいこの年になって、私は改めて苦しい恋に陥っている。(同上)三

(注)「石上(いそのかみ)布留(ふる)の神杉(かむすぎ)」は、「神(かむ)さびて」を起こす序。

 

◇神なびの三諸の山に斎ふ杉思ひ過ぎめや苔生すまでに(巻十三 三二二八)

(訳)神なびのみもろの山で、身を慎んではあがめ祭る杉、その杉ではないが、私の思いが消えて過ぎることなどありはしない。杉に苔が生(む)すほどに年を経ようとも。(同上)三

 

◇我(わ)が背子(せこ)を大和(やまと)へ遣(や)りて待つしだす足柄山(あしがらやま)の杉(すぎ)の木(こ)の間(ま)か(巻十四 三三六三)

(訳)いとしいあの方を大和に行かせてしまい、私がひたすら待つ折しも何と、私は、松ならぬ、足柄山の杉―過ぎの木の間なのか。(同上 三)

(注)待つしだす・・・杉(すぎ)の木(こ)の間(ま)か:待つのは松の木ならぬ、いたずらに時の過ぎる杉の木の間でか、の意か。「しだす」は未詳。

 

◇杉(すぎ)の野にさ躍(をど)る雉(きぎし)いちしろく音(ね)にしも泣かむ隠(こも)り妻(づま)かも(巻十九 四一四八)

(訳)杉林の野で鳴き立てて騒いでいる雉よ、お前は、はっきりと人に知られてしまうほど、たまりかねて声をあげて泣くような隠り妻だというのか。(同上 四)

(注)いちしろし【著し】形容詞:「いちしるし」に同じ。 ※上代語。<いちしるし【著し】形容詞:明白だ。はっきりしている。 ※参考:古くは「いちしろし」。中世以降、シク活用となり、「いちじるし」と濁って用いられる。「いち」は接頭語。(学研)

(注)こもりづま【隠り妻】名詞:人の目をはばかって家にこもっている妻。人目につくと困る関係にある妻や恋人。(学研)

(注)妻を求めて鳴く雉を、恋に泣く隠り妻になぞらえて思いやっている。

 

 以上で、「杉」を詠み込んだ歌を見てきたが、詠まれた形や、部立てなどをまとめて見ると次のようになる。杉は神が宿る木と考えられてきたことから、「神」や「斎ふ」と配した歌は、八首もある。序として詠み込まれ「過ぎ」を起こす歌は、三首である。杉の樹齢が長いことを踏まえた、年齢や時の経過を意識した歌も多い。部立で見た場合、神に関連することから「挽歌」が多いイメージがあるが、相聞や戯れ歌的な歌が多いのは、それだけ近過ぎる存在だったからであろう。

 

巻三   一五六 みもろの神の神杉       挽歌

巻三   二五九 神さびけるか香具山の桙杉   雑歌

巻三   四二二 石上布留の山なる杉群     挽歌 過ぎを起こす

巻四   七一二 三輪の祝が斎ふ杉       相聞

巻七  一四〇三 三輪の祝が斎ふ杉原      譬喩歌

巻九  一七七三 神なびの神依せ板にする杉   相聞 過ぎを起こす

巻十  一八一四 いにしへの人の植ゑけむ杉が枝 雑歌

巻十  一九二七 石上布留の神杉        雑歌

巻十一 二四一七 石上布留の神杉        寄物陳思

巻十三 三二二八 神なびの三諸の山に斎ふ杉   雑歌 過ぎを起こす

巻十四 三三六三 足柄山の杉の木の間      相聞

巻十九 四一四八 杉の野

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一~四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「goo辞書」