●歌は、「石上布留の神杉神さびて恋をも我れはさらにするかも」である。
●歌をみていこう。
◆石上 振神杉 神成 戀我 更為鴨
(作者未詳 巻十一 二四一七)
≪書き下し≫石上 布留の神杉(かむすぎ) 神さびて 恋をも我(あ)れは さらにするかも
(訳)石上の布留の年古りた神杉、その神杉のように古めかしいこの年になって、私はあらためて苦しい恋に陥っている。
(注)石上 分類地名:歌枕(うたまくら)。今の奈良県天理市石上付近の地名。石上神宮や石上寺がある。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)布留 分類地名:歌枕(うたまくら)。今の奈良県天理市布留町付近。石上(いそのかみ)神宮がある。天理市旧市街とその東方一帯を石上といい、布留はその一部であったので、和歌では「石上布留」と続けて用いられもする。同音の「古」や「降る」をかける歌も多い。(学研)
(注)上二句は序。「神さびて」を起す。(伊藤脚注)
(注)神さびて:古めかしいこの年になって。(伊藤脚注)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その54改)」で、「石上」と歌い出す歌とともに紹介している。
➡
「万葉の森」説明案内板によると、歌碑は30基設置されているとある。実は28基しか撮影できていない。どこかで見落としたのであろう。
撮影枚数を確認し、この歌碑も二度目に反対側から探した時に見つけたものである。葉っぱに隠れしかも半分以上埋もれているのである。「神さびて歌碑を求め我さらにするかも」である。
集中に詠まれている「杉」を探しにいこう。
■一五六歌■
題詞「十市皇女薨時高市皇子尊御作歌三首」<十市皇女(といちのひめみこ)の薨(こう)ぜし時に、高市皇子尊(たけちのみこのみこと)の作らす歌三首>のうちの一首である。
◆三諸之 神之神須疑 巳具耳矣自得見監乍共 不寝夜叙多
(高市皇子 巻二 一五六)
≪書き下し≫みもろの神の神杉(かむすぎ)巳具耳矣自得見監乍共(第三、四句、訓義未詳)寝(い)ねる夜(よ)ぞ多き
(注)第三、四句は訓義未詳ではあるが、次のような説がある。
①こぞのみをいめにはみつつ
②いめにだにみむちすれども
③よそのみをいめにはみつつ
④いめにのみみえつつともに
なお、萬葉公園の歌碑(プレート)では、「夢にのみ見えつつ共に」と書かれている。
(訳)神の籠(こも)る聖地大三輪の、その神のしるしの神々しい杉、巳具耳矣自得見監乍共、いたずらに寝られない夜が続く(伊藤 博著「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)
(注)みもろ【御諸・三諸・御室】名詞:神が降臨して宿る神聖な所。磐座(いわくら)(=神の御座所)のある山や、森・岩窟(がんくつ)など。特に、「三輪山(みわやま)」にいうこともある。また、神座や神社。「みむろ」とも。 ※「み」は接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)第三、四句、訓義未詳。(伊藤脚注)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その944)」で紹介している。
➡
■二五九歌■
二五七から二五九歌の題詞は、「鴨君足人香具山歌一首 幷短歌」<鴨君足人(かものきみたりひと)が香具山(かぐやま)の歌一首 幷(あは)せて短歌>である。
(注)鴨君足人:伝未詳
(注)持統十一年(697年)頃、高市皇子の香具山周辺の荒廃を嘆く歌か。
◆何時間毛 神左備祁留鹿 香山之 鉾椙之本尓 薜生左右二
(鴨君足人 巻三 二五九)
≪書き下し≫いつの間(ま)も神(かむ)さびけるか香具山(かぐやま)の桙杉(ほこすぎ)の本(もと)に苔(こけ)生(む)すまでに
(訳)いつの間にこうも人気がなく神さびてしまったのか。香具山の尖(とが)った杉の大木の、その根元に苔が生すほどに。(同上)
(注)ほこすぎ【矛杉・桙杉】:矛のようにまっすぐ生い立った杉。(広辞苑無料検索)
(注)桙杉(ほこすぎ)の本(もと):矛先の様にとがった、杉の大木のその根元。(伊藤脚注)
この歌については、二五七から二五八歌ならびに題詞「或本の歌に日はく」の二六〇歌とともに拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1466)」で紹介している。
➡
■422歌■
◆石上 振乃山有 杉村乃 思過倍吉 君尓有名國
(丹生王 巻三 四二二)
≪書き下し≫)石上 布留の山なる 杉群(すぎむら)の 思ひ過ぐべき 君にあらなくに
(訳)石上の布留の山にある杉の木の群れ、その杉のように、私の思いから過ぎ去って忘れてしまえるお方ではけっしてないのに。(伊藤 博著「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)
(注)石上:天理市石上神宮付近。上三句は序。「思ひ過ぐ」を起す。(伊藤脚注)
■七一二歌■
◆味酒呼 三輪之祝我 忌杉 手觸之罪歟 君二遇難寸
(丹波大女娘子 巻四 七一二)
≪書き下し≫味酒(うまさけ)を三輪の祝(はふり)が斎(いは)ふ杉手(て)触(ふ)れし罪か君に逢ひかたき
(訳)三輪の神主(かんぬし)があがめ祭る杉、その神木の杉に手を触れた祟(たた)りでしょうか。あなたになかなか逢えないのは(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)うまさけ【味酒・旨酒】分類枕詞:味のよい上等な酒を「神酒(みわ)(=神にささげる酒)」にすることから、「神酒(みわ)」と同音の地名「三輪(みわ)」に、また、「三輪山」のある地名「三室(みむろ)」「三諸(みもろ)」などにかかる。 ※ 参考枕詞としては「うまさけの」「うまさけを」の形でも用いる。(学研)
(注)はふり【祝】名詞:神に奉仕することを職とする者。特に、神主(かんぬし)や禰宜(ねぎ)と区別する場合は、それらの下位にあって神事の実務に当たる職をさすことが多い。祝(はふ)り子。「はうり」「はぶり」とも。(学研)
(注)か 係助詞《接続》種々の語に付く。「か」が文末に用いられる場合、活用語には連体形(上代には已然形にも)に付く。(一)文中にある場合。(受ける文末の活用語は連体形で結ぶ。)①〔疑問〕…か。②〔反語〕…か、いや…ではない。(二)文末にある場合。①〔疑問〕…か。②〔反語〕…か、いや…ではない。▽多く「かは」「かも」「ものか」の形で。(学研)
(注)手触れし罪か:手を触れたはずはないのにの気持ちがこもる。(伊藤脚注)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2217)」で紹介している。
➡
■一四〇三歌■
◆三幣帛取 神之祝我 鎮齋杉原 燎木伐 殆之國 手斧所取奴
(作者未詳 巻七 一四〇三)
≪書き下し≫御幣(みぬさ)取り三輪(みわ)の祝(はふり)が斎(いは)ふ杉原 薪伐(たきぎこ)りほとほとしくに手斧(てをの)取らえぬ
(訳)幣帛(へいへく)を手に取って三輪の神官(はふり)が斎(い)み清めて祭っている杉林よ。その杉林で薪を伐(き)って、すんでのところで大切な手斧(ておの)を取り上げられるところだったよ。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)三輪の祝(はふり):三輪の社の神職。女の夫の譬え。(伊藤脚注)
(注)ほとほとし【殆とし・幾とし】形容詞:もう少しで(…しそうである)。すんでのところで(…しそうである)。極めて危うい。(学研)
(注)斎(いは)ふ杉原:人妻の譬え。上三句は親が大切にする深窓の女性の譬えとも解せる。(伊藤脚注)
(注)「薪伐(たきぎこ)りほとほとしくに手斧(てをの)取らえぬ」:手を出してひどい目にあいかけたの意を喩える。(伊藤脚注)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2103)」で紹介している。
➡
■一七七三歌■
題詞は。「獻弓削皇子歌一首」<獻弓削皇子(ゆげのみこ)に献(たてまつ)る歌一首>である。
◆神南備 神依板尓 為杉乃 念母不過 戀之茂尓
(柿本人麻呂歌集 巻九 一七七三)
≪書き下し≫神(かむ)なびの神依(かみよ)せ板(いた)にする杉(すぎ)の思ひも過ぎず恋の繁きに(巻九 一七七三)
(訳)神なび山の神依せの板に用いる杉の名のように、どうしたら逢えるようになるかという思いは過ぎ去ることがないのです。逢えない苦しみの激しさに。(同上 二)
(注)かみよりいた【神依り板/神憑り板/神寄り板】:上代、神霊を天から招き寄せるためにたたいた杉板。(goo辞書)
(注)上三句は序。「思ひも過ぎず」を起す。(伊藤脚注)
■一八一四歌
◆古 人之殖兼 杉枝 霞霏▼ 春者来良之
(柿本人麻呂歌集 巻十 一八一四)
※ ▼は、「雨かんむり+微」である。「霏▼」で「たなびく」と読む。
≪書き下し≫いにしへの人の植ゑけむ杉が枝に霞(かすみ)たなびく春は来(き)ぬらし
(訳)遠く古い世の人が植えて育てたという、この杉木立の枝に霞がたなびいている。たしかにもう春はやってきたらしい。(同上)
(注)いにしへのひと【古への人】分類連語:①古人。昔の人。②古風な人。昔風な家柄の人。(学研)ここでは①の意
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その73改)」で紹介している。
➡
■一九二七歌■
◆石上 振乃神杉 神備西 吾八更ゝ 戀尓相尓家留
(作者未詳 巻十 一九二七)
≪書き下し≫石上(いそのかみ)布留(ふる)の神杉(かむすぎ)神(かむ)びにし我(あ)れやさらさら恋にあひにける
(訳)石上の布留の社の年経た神杉ではないが、老いさらばえてしまった私が、今また改めて、恋の奴にとっつかまってしまいました。(伊藤 博著「万葉集 二」角川ソフィア文庫より)
(注)石上布留の神杉:奈良県天理市石上神宮一帯。上二句は序。「神びにし」を起す。(伊藤脚注)
(注)神びにし:下との関係では年老いるの意。(伊藤脚注)
(注)さらさら【更更】副詞:①ますます。改めて。②〔打消や禁止の語を伴って〕決して。(学研)ここでは①の意
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その54改)」で紹介している。
➡
■三二二八歌■
◆神名備能 三諸之山丹 隠蔵杉 思将過哉 蘿生左右
(作者未詳 巻十三 三二二八)
≪書き下し≫神なびの三諸の山に斎ふ杉思ひ過ぎめや苔生すまでに
(訳)神なびのみもろの山で、身を慎んではあがめ祭る杉、その杉ではないが、私の思いが消えて過ぎることなどありはしない。杉に苔が生(む)すほどに年を経ようとも。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その145)」で紹介している。
➡
■三三六三歌■
◆和我世古乎 夜麻登敝夜利弖 麻都之太須 安思我良夜麻乃 須疑乃木能末可
(作者未詳 巻十四 三三六三)
≪書き下し≫我(わ)が背子(せこ)を大和(やまと)へ遣(や)りて待つしだす足柄山(あしがらやま)の杉(すぎ)の木(こ)の間(ま)か
(訳)いとしいあの方を大和へ行かせてしまい、私がひたすら待つ折しも、何と、私は、松ならぬ、足柄山の杉―過ぎの木の間なのか。(同上)
(注)待つしだす以下:松のは松の木ならぬ、いたずらに時の過ぎる杉の木の間でか、の意か。「しだす」は未詳。(伊藤脚注)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その792)」で「相模の国の歌」とともに紹介している。
➡
■四一四八歌■
題詞は、「聞暁鳴▼歌二首」<暁(あかとき)に鳴く雉(きざし)を聞く歌二首>である。
▼「矢」へん+「鳥」でキザシ
(注)きじ【雉・雉子】名詞:鳥の名。「きぎし」「きぎす」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
◆椙野尓 左乎騰流▼ 灼然 啼尓之毛将哭 己母利豆麻可母
(大伴家持 巻十九 四一四八)
▼「矢」へん+「鳥」でキザシ
≪書き下し≫杉(すぎ)の野にさ躍(おど)る雉(きざし)いちしろく音(ね)にしも泣かむ隠(こも)り妻(づま)かも
(訳)杉林の野で鳴き立てて騒いでいる雉(きざし)よ、お前は、はっきりと人に知られてしまうほど、たまりかねて声をあげて泣くような隠り妻だというのか。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)をどる【踊る・躍る】自動詞:飛び跳ねる。跳ね上がる。はやく動く。(学研)
(注)いちしろし【著し】形容詞:「いちしるし」に同じ。 ※上代語
>いちしるし【著し】形容詞:明白だ。はっきりしている。 ※参考 古くは「いちしろし」。中世以降、シク活用となり、「いちじるし」と濁って用いられる。「いち」は頭語。(学研)
(注)こもりづま【隠り妻】名詞:人の目をはばかって家にこもっている妻。人目につくと困る関係にある妻や恋人。(学研)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その845)」で紹介している。
➡
三三六三歌の「待つしだす足柄山(あしがらやま)の杉(すぎ)の木(こ)の間(ま)か」の松と杉の絡みが秀逸である。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「goo辞書」
★「広辞苑無料検索」