●歌は、「天の原雲なき宵にぬばたまの夜渡る月の入らまく惜しも」である。
●歌碑は、茨城県つくば市大久保 つくばテクノパーク大穂にある。
●歌をみていこう。
題詞は、「登筑波山詠月一首」<筑波山(つくはやま)に登りて月を詠む歌一首>である。
◆天原 雲無夕尓 烏玉乃 宵度月乃 入巻恡毛
(作者未詳 巻九 一七一二)
≪書き下し≫天の原(あまのはら)雲なき宵(よひ)にぬばたまの夜(よ)渡る月の入らまく惜しも
(訳)天空に、一点の曇りもない宵なのに、この夜空を渡る月が沈もうとしているのが惜しまれてならない。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)よわたる【夜渡る】自動詞:夜中に渡って行く。夜の間に通り過ぎる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
一七一二から一七二四歌の左注は「右の三首は作者未詳」である。
一七一三、一七一四歌もみてみよう。
この二首の題詞は、「幸芳野離宮時歌二首」<吉野(よしの)の離宮(とつみや)に幸(いでま)す時の歌二首>である。
◆瀧上乃 三船山従 秋津邊 来鳴度者 誰喚兒鳥
(作者未詳 巻九 一七一三)
≪書き下し≫滝(たき)の上(うへ)の三船(みふね)の山ゆ秋津辺(あきづへ)に来鳴き渡るは誰(た)れ呼子鳥(よぶこどり)
(訳)滝の上の三船の山から、ここ秋津のあたりに鳴き渡って来るのは、いったい誰を呼ぶ呼子鳥(よぶこどり)なのか。(同上)
(注)三船の山:宮滝にかかる橋の上流右手に見える山。「舟岡山」とも。(伊藤脚注)
(注)よぶこどり【呼子鳥・喚子鳥】名詞:鳥の名。人を呼ぶような声で鳴く鳥。かっこうの別名か。(学研)
◆落多藝知 流水之 磐觸 与杼賣類与杼尓 月影所見
(作者未詳 巻九 一七一四)
≪書き下し≫落ちたぎち流るる水の岩に触(ふ)れ淀(よど)める淀に月の影見ゆ
(訳)落ちたぎって逆巻き流れる水が岩に当たって堰(せ)き止められ、淀んでいる淀みに、月の影がくっきり映っている。(同上)
一七一二歌の「ぬばたまの夜渡る月」という表現は、擬人法的で粋である。
このフレーズを使った歌を探してみよう。
■一六九歌■
◆茜刺 日者雖照者 烏玉之 夜渡月之 隠良久惜毛
(柿本人麻呂 巻二 一六九)
≪書き下し≫あかねさす日は照らせれどぬばたまの夜(よ)渡る月の隠(かく)らく惜しも
(訳)あかねさす天つ日は照り輝いているけれども、ぬばたまの夜空を渡る月の隠れて見えぬことの悲しさよ。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
■三〇二歌■
◆兒等之家道 差間遠焉 野干玉乃 夜渡月尓 競敢六鴨
(阿倍広庭 巻三 三〇二)
≪書き下し≫子らが家道(いへぢ)やや間遠(まどほ)きをぬばたまの夜渡(よわた)る月に競(きほ)ひあへむかも
(訳)あの子の家までの道、その道のりはちょっと遠いけれども、夜空を渡る月に負けないで行き着けるだろうか。(同上)
■一〇七七歌■
◆夜干玉之 夜渡月乎 将留尓 西山邊尓 塞毛有粳毛
(作者未詳 巻七 一〇七七)
≪書き下し≫ぬばたまの夜(よ)渡る月を留(とど)めむに西の山辺(やまへ)に関(せき)もあらぬかも
(訳)夜空を移って行く月、この月を何とかして引き留めるため、西の山辺に関所でもないものか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
一六九、三〇二、一〇〇七歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2283)」で紹介している。
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■一〇八一歌■
◆烏玉之 夜渡月乎 ▼怜 吾居袖尓 露曽置尓鷄類
(作者未詳 巻七 一〇八一)
▼は、「りっしん偏」に「可」 「▼怜」で「おもしろ」
≪書き下し≫ぬばたまの夜渡る月をおもしろみ我が居る袖に露ぞ置きにける
(訳)夜空を移り行く月、この月があまりにもさわやかなので、寝ないで楽しんでいるうちに、私の袖は露に濡れてしまった。(同上)怜
(注)おもしろし【面白し】形容詞:①趣がある。風流だ。すばらしい。②楽しい。興味深い。③珍しい。風変わりだ。(学研)ここでは①の意
■二六七三歌■
◆烏玉乃 夜渡月之 湯移去者 更哉妹尓 吾戀将居
(作者未詳 巻十一 二六七三)
≪書き下し≫ぬばたまの夜渡る月のゆつりなばさらにや妹に我が恋ひ居らむ
(訳)夜空を渡って行く月が傾いて沈んでしまったなら、さらにもっと切ない思いで、私は、あの子に恋焦がれることだろうな。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)ゆつる【移る】:[動]経過する。うつる。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
■三〇〇七歌■
◆野干玉 夜渡月之 清者 吉見而申尾 君之光儀乎
(作者未詳 巻十二 三〇〇七)
≪書き下し≫ぬばたまの夜渡る月のさやけくはよく見てましを君が姿を
(訳)夜空を渡って行く月がもし澄み渡っていたら、心ゆくまで見ることができただろうに。我が君のお姿を。(同上)
■三六七一歌■
◆奴婆多麻乃 欲和多流月尓 安良麻世婆 伊敝奈流伊毛尓 安比弖許麻之乎
(遣新羅使人等 巻十五 三六七一)
≪書き下し≫ぬばたまの夜(よ)渡る月にあらませば家なる妹に逢(あ)ひて来(こ)ましを
(訳)私が夜空を渡る月ででもあったなら、家にいるあの人に逢いに行って、またここに帰ってくることができように。(同上)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1779)」で紹介している。
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■四〇七二歌■
◆奴婆多麻能 欲和多流都奇乎 伊久欲布等 余美都追伊毛波 和礼麻都良牟曽
(大伴家持 巻十八 四〇七二)
≪書き下し≫ぬばたまの夜渡る月を幾夜経(いくよふ)と数(よ)みつつ妹(いも)は我れ待つらむぞ
(訳)ぬばたまの夜空を渡って行く月、この月を眺めながら、もう幾夜を経たかと指折り数えながら、いとしい人は、今頃私を待っていることであろう。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)幾夜経と数みつつ:幾夜を経たかと指折り数えながら(伊藤脚注)
左注は、「右此夕月光遅流和風稍扇 即因属目聊作此歌也」<右は、この夕(ゆうへ)、月光遅(おもぶる)に流れ、和風やくやくに扇(あふ)ぐ。すなはち属目(しよくもく)によりて、いささかにこのこの歌を作る>である。
(注)やくやく【漸漸】:[副]《「ようやく」の古形》だんだん。しだいに。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
(注)あふぐ【扇ぐ】自動詞:(風が)吹く。(学研)
(注)属目によりて:ここは、目に触れた月を題材にして、の意。(伊藤脚注)
歌からも、メルヘンチックな響きが醸し出されるフレーズである面白さがあった。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」