万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2449)―

●歌は、「筑波嶺に我が行けりせばほととぎす山彦響め鳴かましやそれ」である。

茨城県つくば市大久保 つくばテクノパーク大穂万葉歌碑(高橋虫麻呂) 20230927撮影

●歌碑は、茨城県つくば市大久保 つくばテクノパーク大穂にある。

 

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「惜不登筑波山歌一首」<筑波山に登らざりしことを惜しむ歌一首>である。

 

◆筑波根尓 吾行利世波 霍公鳥 山妣兒令響 鳴麻志也其

       (高橋虫麻呂 巻八 一四九七)

 

≪書き下し≫筑波嶺(つくはね)に我が行けりせばほととぎす山彦(やまびこ)響(とよ)め鳴かましやそれ

 

(訳)筑波嶺に私が登って行ったとしたら、時鳥が、山をこだまさせて鳴いてくれたでしょうか。果たしてその時鳥が。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)せば 分類連語:もし…だったら。もし…なら。 ⇒参考 多く、下に反実仮想の助動詞「まし」をともない、事実と反する事柄や実現しそうもないことを仮定し、その上で推量する意を表す。 ⇒注意 「せば」の形には、サ変の未然形「せ」+接続助詞「ば」の場合もある。 ⇒なりたち 過去の助動詞「き」の未然形+接続助詞「ば」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)鳴かましやそれ:鳴いてくれたでしょうか、果たしてその時鳥が。(伊藤脚注)

(注の注)まし 助動詞特殊型《接続》活用語の未然形に付く。:①〔反実仮想〕(もし)…であったら、…であるだろうに。…であっただろう。…であるだろう。▽実際には起こり得ないことや、起こらなかったことを想像し、それに基づいて想像した事態を述べる。②〔悔恨や希望〕…であればよいのに。…であったならばよかったのに。▽実際とは異なる事態を述べたうえで、そのようにならなかったことの悔恨や、そうあればよいという希望の意を表す。③〔ためらい・不安の念〕…すればよいだろう(か)。…したものだろう(か)。…しようかしら。▽多く、「や」「いかに」などの疑問の語を伴う。④〔単なる推量・意志〕…だろう。…う(よう)。 ⇒語法:(1)未然形と已然形の「ましか」已然形の「ましか」の例「我にこそ開かせ給(たま)はましか」(『宇津保物語』)〈私に聞かせてくださればよいのに。〉(2)反実仮想の意味①の「反実仮想」とは、現在の事実に反する事柄を仮定し想像することで、「事実はそうでないのだが、もし…したならば、…だろうに。(だが、事実は…である)」という意味を表す。(3)反実仮想の表現形式反実仮想を表す形式で、条件の部分、あるいは結論の部分が省略される場合がある。前者が省略されていたなら、上に「できるなら」を、後者が省略されていたなら、「よいのになあ」を補って訳す。「この木なからましかばと覚えしか」(『徒然草』)〈この木がもしなかったら、よいのになあと思われたことであった。〉(4)中世以降の用法 中世になると①②③の用法は衰え、推量の助動詞「む」と同じ用法④となってゆく。(学研)ここでは①の意

 

左注は、「右一首高橋連蟲麻呂之歌中出」<右の一首は、高橋連虫麻呂が歌の中に出づ>である。

(注)歌の中に出づ:歌集の中から採って掲出した、の意。巻八のうち、唯一、私家集所出。追補らしい。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1172)」で、虫麻呂が詠った常陸の歌十一首とともに紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 巻八は、伊藤脚注にあったように、一四九七歌は、「唯一、私家集所出」である。ところが、巻九は、柿本人麻呂歌集歌以外に個人名を冠した歌集の歌でもって構成されているという特徴を持っている。

 

 神野志隆光氏は、その著「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」(東京大学出版会)の中で、巻九は、「総歌数は一四八首ですが、人麻呂歌集歌が四四首、虫麻呂歌集歌が三〇首、金村歌集歌が五首、福麻呂歌集歌が一五首をかぞえるのであり、これら個人の名を冠した歌集―「歌集出」「歌中出」もおなじにあつかいます―から出たとするものが九四首にのぼるのです。巻全体の六割を超えています。」と書かれ、さらに人麻呂歌集・虫麻呂歌集の左注の「右」の範囲をどこまでするするかによっては、八割に達するとも書かれている。そして、巻九について、「人麻呂歌集歌にならんで、個人の歌集の歌があったということは、巻九が、そうした歌の基盤の上に構成されたということにほかなりません。単発的な個々の歌によるものではないのです。いいなおせば、歌集のうえに成り立つ歌集―個人の集=『別集』に対する『総集』です―であることをうけとめることがもとめられます。要は、歌集といういとなみをすでにもつということです。」と書かれている。

 万葉集をこういった視点から見ることの必要性に触れられている。

 万葉集の懐の深さを探る見方を教えられた気がする。しかし万葉集の懐はと悩まされられるのである。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著(東京大学出版会

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」