万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その993)―名古屋市千種区東山元町 東山植物園(12)―万葉集 巻十一 二四八〇

●歌は、「道の辺のいちしの花のいちしろく人皆知りぬ我が恋妻は」である。

 

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名古屋市千種区東山元町 東山植物園(12)万葉歌碑(プレート)<作者未詳>

●歌碑(プレート)は、名古屋市千種区東山元町 東山植物園(12)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆路邊 壹師花 灼然 人皆知 我戀孋 <或本日 灼然 人知尓家里 継而之念者>

                (柿本人麻呂歌集 巻十一 二四八〇)

 

≪書き下し≫道の辺(へ)のいちしの花のいちしろく人皆知りぬ我(あ)が恋妻(こひづま)は 


 <或る本の歌には「いちしろく人知りにけり継ぎてし思へば」といふ>

 

(訳)道端のいちしの花ではないが、いちじるしく・・・はっきりと、世間の人がみんな知ってしまった。私の恋妻のことは。<いちじるしく世間の人が知ってしまったよ。絶えずあの子のことを思っているので>(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句は序。同音で「いちしろく」を起こす。

(注)いちしろし【著し】形容詞:「いちしるし」に同じ。※上代語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注の注)いちしるし【著し】形容詞:明白だ。はっきりしている。※参考古くは「いちしろし」。中世以降、シク活用となり、「いちじるし」と濁って用いられる。「いち」は接頭語。(同上)

 

この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その319)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 二四八〇歌の「いちしの花のいちしろく」のリズム感が心地良い。言葉の遊びと言ってしまえばそれまでであるが、自然とのかかわりの中で軽妙な歌を作り上げている。

 堅苦しく言えば、「上二句は序。同音で「いちしろく」を起こす。」となるのであるが、心地良いリズム感が万葉歌でありながら時代を先取りしているようにも思えてくる。

 次の歌をみてみよう。

 

◆春去 先三枝 幸命在 後相 莫戀吾妹

               (柿本朝臣人麿歌集 巻十  一八九五)

 

 ≪書き下し≫春さればまづさきくさの幸(さき)くあらば後(のち)にも逢はむな恋ひそ我妹(わぎも)

 

(訳)春になると、まっさきに咲くさいぐさの名のように、命さえさいわいであるならば、せめてのちにでも逢うことができよう。そんなに恋い焦がれないでおくれ、お前さん。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

(注)上二句「春去 先三枝」は、「春去 先」が「三枝」を起こし、「春去 先三枝」が、「幸(さきく)」を起こす二重構造になっている。

(注)そ 終助詞:《接続》動詞および助動詞「る」「らる」「す」「さす」「しむ」の連用形に付く。ただし、カ変・サ変動詞には未然形に付く。:①〔穏やかな禁止〕(どうか)…してくれるな。しないでくれ。▽副詞「な」と呼応した「な…そ」の形で。②〔禁止〕…しないでくれ。▽中古末ごろから副詞「な」を伴わず、「…そ」の形で。(学研)

 

「まづさきくさの幸(さき)くあらば」もしかりである。

この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その494)」で紹介している。

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 次もみてみよう。

 

◆湖葦 交在草 知草 人皆知 吾裏念

                                    (作者未詳 巻十一 二四六八)

 

≪書き下し≫港葦(みなとあし)に交(まじ)れる草のしり草の人皆知りぬ我(あ)が下思(したも)ひは

 

(訳)河口の葦に交じっている草のしり草の名のように、人がみんな知りつくしてしまった。私のこのひそかな思いは。(伊藤 博 著 「万葉集三」 角川ソフィア文庫より)

(注)しりくさ【知り草・尻草】名詞:湿地に自生する三角藺(さんかくい)の別名。また、灯心草の別名ともいう(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

※上三句が序で、「知り」をおこす。

 

 「しり草の人皆知りぬ」も同様である。

 この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その278)」で紹介している。

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もう一首あげてみよう。

 

◆阿之賀利乃 和乎可鶏夜麻能 可頭乃木能 和乎可豆佐祢母 可豆佐可受等母

                (作者未詳 巻十四 三四三二)

 

≪書き下し≫足柄(あしがり)のわを可鶏山(かけやま)のかづの木の我(わ)を誘(かづ)さねも門(かづ)さかずとも

 

(訳)足柄の、我(わ)れを心に懸けるという可鶏山(かけやま)のかずの木、あの木がその名のように、いっそ私を(かず)す・・・そう、かどわかしてくれたらいいのにな。門が開いていなくてもさ。(同上)

(注)「わを可鶏」に「わを懸け」を懸けている。

(注)かづの木:ぬるでの木か。男の譬え。この木から採れる白い樹液で器物を塗ることができるところから「ぬるで」と呼ばれた。

 

 ここまでくれば、おみごとというしかない。先に、時代を先取りしたという風に書いたが、この歌が巻十四であるので、東歌である。そうすると歌垣等の民謡性も考えあわせていくことも求められるのである。

 「信州信濃の新そばよりも、わたしゃそなたのそばがよい」という民謡が聞こえて来る。

 

 

 二四八〇歌や二四六八歌が収録されている万葉集巻十一は、目録によると、「古今相聞往来歌類の上」となっており、巻十二が「古今相聞往来歌類の下」となっている。

 

目録を抜き出してみると次のようになっている。

 

  【万葉集 第十一】

   古今相聞往来歌類の上

旋頭歌     十七首

正述心緒歌 百四十九首

寄物陳思歌 三百二首

問答歌    廿九首

譬喩歌    十三首

 

  【万葉集 第十二】

   古今相聞往来歌類の下

正述心緒歌  一百十首

寄物陳思歌 一百五十首

問答歌    三十六首

羇旅発思歌  五十三首

悲別歌    三十一首

 

 

 万葉集巻十一、十二における柿本人麻呂歌集の位置づけをみてみよう。

 

 

万葉集 第十一】

   

旋頭歌   二三五一~二三六二歌  右十二首柿本朝臣人麻呂之歌集出

      二三六三~二三六七歌  右五首古歌集中出

正述心緒  二三六八~二四一四歌

寄物陳思  二四一五~二五〇七歌

問答    二五〇八~二五一六歌  以前一百四十九首柿本朝臣人麻呂之歌集出

正述心緒  二五一七~二六一八歌

寄物陳思  二六一九~二八〇七歌

問答    二八〇八~二八二七歌

譬喩    二八二八~二八四〇歌

 

 巻十一は、「旋頭歌」にあっては、人麻呂歌集を収録し、次に古歌集を持ってきている。次いで「正述心緒」「寄物陳思」「問答」のグループを配し、先のグループ群に人麻呂歌集を収録している。

 

 

万葉集 第十二】

   

正述心緒  二八四一~二八五〇歌

寄物陳思  二八五一~二八六三歌  右廿三首柿本朝臣人麻呂之歌集出

正述心緒  二八六四~二九六三歌

寄物陳思  二九六四~三一〇〇歌

問答歌   三一〇一~三一二六歌

羇旅発思  三一二七~三一三〇歌  右四首柿本朝臣人麻呂之歌集出

      三一三一~三一七九歌

悲別歌   三一八〇~三二一〇歌

問答歌   三二一一~三二二〇歌

 

 巻十二も同様、「寄物陳思」「正述心緒」のグループのはじめに人麻呂歌集を配している。「羇旅発思」も先に人麻呂歌集を配しているのである。

 このように、万葉集にあって、柿本人麻呂歌集を核として他の歌集や資料を基に歌を編纂していることがわかるのである。

 

 柿本人麻呂歌集の万葉集における位置づけの重要性についてこれまでも紹介してきたが、まだまだほんの序ノ口にすぎない。紹介するたびに課題の重圧に屈してしまうのである。しかし挑戦はしていきたい。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「萬葉相聞の世界」 伊藤 博 著 (塙書房

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」