万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その319)―東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(60)―

●歌は、「道の辺のいちしの花のいちしろく人皆知りぬ我が恋妻は」である。

 

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万葉の森船岡山万葉歌碑(60)(柿本人麻呂歌集)

●歌碑は、東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(60)である。

 

●歌をみてみよう。

 

◆路邊 壹師花 灼然 人皆知 我戀孋  或本日 灼然 人知尓家里 継而之念者

                (柿本人麻呂歌集 巻十一 二四八〇)

 

≪書き下し≫道の辺(へ)のいちしの花のいちしろく人皆知りぬ我(あ)が恋妻(こひづま)は   或る本の歌には「いちしろく人知りにけり継ぎてし思へば」といふ

 

(訳)道端のいちしの花ではないが、いちじるしく・・・はっきりと、世間の人がみんな知ってしまった。私の恋妻のことは。<いちじるしく世間の人が知ってしまったよ。絶えずあの子のことを思っているので>(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)(注)いちしろし【著し】形容詞:「いちしるし」に同じ。※上代語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)いちしるし【著し】形容詞:明白だ。はっきりしている。※参考古くは「いちしろし」。中世以降、シク活用となり、「いちじるし」と濁って用いられる。「いち」は接頭語。(同上)

 

「いちし」が詠まれているのはこの一首のみである。「いちし」については、古くからダイオウ、ギンギシ、クサイチゴ、エゴノキ、イタドリ、ヒガンバナの諸説が入り乱れ、万葉植物群の中で最も難解な植物とされていた。牧野富太郎氏によってヒガンバナ説が出され、山口県では「イチシバナ」、福岡県では、「イチジバナ」という方言があることが確認され、ヒガンバナ説が定着した。

 

彼岸の頃に、田畑の畦などで一斉に咲く。真っ赤な花である。とにかく目立つ花ではある。まさに、いちしろしいちしの花である。梵語の「天上の赤い花、一説には白い花」に由来し「曼珠沙華」とも言われる。

花が咲く一週間ほどまえにつぼみが地上に顔を出す。しばらくすると茎がすっと伸びて、花を咲かせる。葉はないので茎が林立したような感じで花を咲かせる。まさに「天上の花」である。花が終わってしばらくすると葉がすっと出て来る。不思議な花である。

 

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彼岸花(白)

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彼岸花(白)

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)