●歌は、「春さらばかざしにせむと我が思ひし桜の花は散り行けるかも」である。
●この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その134)」で紹介している。
歌をみておこう。
◆春去者 挿頭尓将為跡 我念之 櫻花者 散去流香聞 其一
(作者未詳 巻十六 三七八六)
≪書き下し≫春さらばかざしにせむと我が思ひし桜の花は散り行けるかも その一
(訳)春がめぐってきたら、その時こそ挿頭(かざし)にしようと私が心に思い込んでいた桜の花、その花ははや散って行ってしまったのだ、ああ。 その一 (伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)挿頭にせむ:髪飾りにしようと。妻にすることの譬え。
(注)かざし【挿頭】名詞:花やその枝、のちには造花を、頭髪や冠などに挿すこと。また、その挿したもの。髪飾り。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
巻十六「有由縁雑歌」の巻頭の「櫻児の話」の歌である。
―その318―
●歌は、「露霜の寒き夕の秋風にもみちにけらし妻梨の木は」である。
●歌をみていこう。
◆露霜乃 寒夕之 秋風丹 黄葉尓来之 妻梨之木者
(作者未詳 巻十 二一八九)
≪書き下し≫露霜(つゆしも)の寒き夕(ゆふへ)の秋風にもみちにけらし妻梨の木は
(訳)置く露のひとしお寒々とした夕(ゆうべ)、この夕方の秋風によって色づいたのであるらしい。妻なしという梨の木は。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)つまなし【妻梨】名詞:植物の梨(なし)の別名。「妻無し」に言いかけた語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
「なし(梨)」の別名は、「ありのみ(有実)」という。これは、「あし(葦)」が悪(あ)しに通じるから「善(よ)し」に言い替えたのと同じである。
はなしは脱線したが、前歌の二一八八歌にも「妻梨」の木が詠まれているので、こちらもみてみよう。
◆黄葉之 丹穂日者繁 然鞆 妻梨木乎 手折可佐寒
(作者未詳 巻十 二一八八)
≪書き下し≫黄葉(もみぢば)のにほひは繁(しげ)ししかれども妻梨(つまなし)の木を手折(たを)りかざさむ
(訳)あの山のもみじの色づきはとりどりだ。しかし、妻なしの私は梨の木を手折って挿頭(かざし)にしよう。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
両歌とも独り身のわびしさが良く出ている歌である。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)