●歌は、「昼は咲き夜は恋ひ寝る合歓木の花君のみ見めや戯奴さへに見よ」である。
●歌をみていこう。
◆晝者咲 夜者戀宿 合歡木花 君耳将見哉 和氣佐倍尓見代
(紀女郎 巻八 一四六一)
≪書き下し≫昼は咲き夜(よる)は恋ひ寝(ね)る合歓木(ねぶ)の花君のみ見めや戯奴(わけ)さへに見よ
(訳)昼間は花開き、夜は葉を閉じ人に焦がれてねむるという、ねむの花ですよ。そんな花を主人の私だけが見てよいものか。そなたもご覧。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)きみ【君・公】名詞:①天皇。帝(みかど)。②主君。主人。③お方。▽貴人を敬っていう語。④君。▽人名・官名などの下に付いて、「…の君」の形で、その人に敬意を表す。(学研) ここでは、②の意
(注)わけ【戯奴】代名詞:①私め。▽自称の人称代名詞。卑下の意を表す。②おまえ。▽対称の人称代名詞。目下の者にいう。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
一四六〇、一四六一歌の題詞は、「紀女郎贈大伴宿祢家持歌二首」<紀女郎(きのいらつめ)大伴宿禰家持に贈る歌二首>である。続く一四六二、一四六三歌の題詞は、「大伴家持贈和歌二首」<大伴家持、贈り和(こた)ふる歌二首>である
紀女郎の歌十二首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1114)」で紹介している。
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本稿で、西予市三滝自然公園万葉の道の歌碑の紹介は終わりである。台風12号の影響がかなり心配されたが、幸いにも一通り見て周ることが出来たのである。
今回の巻末歌は、巻十三から巻十六である。みてみよう。
■巻十三 三三四七歌■
◆草枕 此羈之氣尓 妻放 家道思 生為便無
(作者未詳 巻十三 三三四七)
≪書き下し≫草枕この旅の日(け)に妻離(さか)り家道(いへぢ)思ふに生(い)けるすべなし
(訳)草を枕の、こんな旅のさ中に、妻が遠い所へ行ってしまって、家への道中を思うと、どうやって日を過ごしてよいのやら我が身をつなぐ手立てもない。<こんな旅のさ中にあって>
(注)妻離り:妻が遠い所に行ってしまい。(伊藤脚注)
左注は、「或本歌曰 羈之氣二為而 右二首」<或本の歌には「旅の日(け)にして」といふ 右二首>である。
三三四六歌もみてみよう。
◆欲見者 雲居所見 愛 十羽能松原 小子等 率和出将見 琴酒者 國丹放甞 別避者 宅仁離南 乾坤之 神志恨之 草枕 此羈之氣尓 妻應離哉
(作者未詳 巻十三 三三四六)
≪書き下し≫見欲(みほ)しきは 雲居(くもゐ)に見ゆる うるはしき 鳥羽(とば)の松原 童(わらは)ども いざわ出(い)で見む こと放(さ)けば 国に放けなむ こと放けば 家に放けなむ 天地(あめつち)の 神(かみ)し恨(うら)めし 草枕(くさまくら) この旅の日(け)に 妻(つま)放くべしや
(訳)ぜひ見たいもの、それは、(このものではなく)雲のかなたに見える鳥羽の松原。皆の者よ、さあ、外に出て見よう。ああ、どうせ引き放すなら、国にいる時に放してほしいもの。ああ、どうせ放すなら、家にいる時に放してほしいもの。何としても、天地の神の思(おぼ)し召しが恨めしい。よそにいるこんなさ中に、妻を引き放すなんていうころがあってよいものか。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)見欲し>みがほし【見が欲し】形容詞:見たい。 ※上代語。(学研)
(注)鳥羽の松原:所在不明。諸国にある地名。(伊藤脚注)
(注)童ども:「子ども」と同じく、宴などで年下や目下の者をいうことが多い。(伊藤脚注)
三三四六歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1388)」で紹介している。
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■巻十四 三五七七歌■
◆可奈思伊毛乎 伊都知由可米等 夜麻須氣乃 曽我比尓宿思久 伊麻之久夜思母
(作者未詳 巻十四 三五七七)
≪書き下し≫愛(かな)し妹(いも)をいづち行かめと山菅(やますげ)のそがひに寝(ね)しく今し悔(くや)しも
(訳)かわいい妻よ、お前さんが私を離れてどこへ行くものかとたかをくくって、山菅の葉のように背を向け合って寝たこと、そのことが今となっては悔やまれてならないのだよ。(同上)
(注)いづち【何方・何処】代名詞:どこ。どの方向。▽方向・場所についていう不定称の指示代名詞。 ※「ち」は方向・場所を表す接尾語。⇒いづかた・いづこ・いづら・いづれ(学研)
(注)山菅の:「そがひ」の枕詞。
(注)そがひ【背向】名詞:背後。後ろの方角。後方。(学研)
巻十四の巻末には「以前の歌詞は、いまだ国土山川の名を勘(かむが)へ知ること得ず。」とある。
(注)以前の歌詞:三四三八~三五七七歌をさている。いわゆる「未勘国歌」のことである。
三五七七歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1159)」で紹介している。
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■巻十五 三七八五歌■
◆保登等藝須 安比太之麻思於家 奈我奈氣婆 安我毛布許己呂 伊多母須敝奈之
(中臣宅守 巻十五 三七八五)
≪書き下し≫ほととぎす間(あひだ)しまし置け汝(な)が鳴けば我(あ)が思(も)ふ心いたもすべなし
(訳)時鳥よ、せめてもう少しあいだを置いてくれ。お前が鳴くとそのたびに、思いに沈むこの私の心が、どうしてよいのやら、何とも処置なしになってしまうのだ。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)しまし【暫し】副詞:「しばし」に同じ。※上代語。(学研)
三七七九から三七八五歌までの左注は、「右七首中臣朝臣宅守寄花鳥陳思作歌」<右の七首は、中臣朝臣宅守、花鳥に寄せ、思ひを陳(の)べて作る歌>である。
この七首は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1694~1700)」で紹介している。
その1694~1696
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その1697~1700
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■巻十六 三八八九歌■
◆人魂乃 佐青有公之 但獨 相有之雨夜乃 葉非左思所念
(作者未詳 巻十六 三八八九)
≪書き下し≫人魂(ひとだま)のさ青(を)なる君がただひとり逢(あ)へりし雨夜(あまよ)の葉非左し思ほゆ
(訳)人魂そのままの真っ青な顔をした君、さよう、このあいだのかのあの君が、たった一人、ふわりと現れてこの私に出くわした暗い雨の夜、あの夜の葉非左、ああぞっとする、とても忘れられない。(同上)
(注)ひとだま【人魂】名詞:夜、空中を飛ぶ青白い火の玉。死んだ人の魂が身体を離れたものと考えられていた。(学研)
(注)葉非左:訓義未詳(はぶりをそおもふ、はひやしおもゆ、といった見方も)
三八八七~三八八九歌の題詞は、「怕(おそ)ろしき物の歌三首」である。
この三首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1056)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「三滝自然公園 万葉の道」 (せいよ城川観光協会)