万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その623)―高砂市曽根 曽根天満宮―万葉集 巻十五 三五九六

●歌は、「我妹子が形見に見むを印南都麻白波高み外にかも見む」である。

 

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高砂市曽根 曽根天満宮万葉歌碑(作者未詳)<写真右端>

●歌碑は、高砂市曽根 曽根天満宮にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆和伎母故我 可多美尓見牟乎 印南都麻 之良奈美多加弥 与曽尓可母美牟

                (作者未詳 巻十五 三五九六)

 

≪書き下し≫我妹子(わぎもこ)が形見(かたみ)に見むを印南(いなみ)都麻(つま)白波(しらなみ)高み外(よそ)にかも見む

 

(訳)いとしいあの子を偲(しの)ぶよすがに見ようと思うのに、印南都麻、あの印南都麻は、白波が高すぎて、それとはっきり見ることができないのであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)印南都麻:加古川河口の三角州か。「都麻」に「妻」を懸けている。

 

この歌は「遣新羅使人等」の歌であり、次の歌群の一首である。

三五九四から三六〇一歌の歌群の左注は、「右八首乗船入海路上作歌」<右の八首は、船に乗りて海に入り、路の上(うへ)にして作る歌>とある。難波津から広島県鞆の浦までの航海上に詠った歌である。

すべてみてみよう。

 

◆之保麻都等 安里家流布祢乎 思良受之弖 久夜之久妹乎 和可礼伎尓家利

               (作者未詳 巻十五 三五九四)

 

≪書き下し≫潮(しほ)待つとありける船を知らずして悔(くや)しく妹(いも)を別れ来(き)にけり

 

(訳)この船は、今日まで潮時を待って泊まっていたのだったのに、それとも知らず、残念なことにあの子とそそくさと別れて来てしまった。(同上)

(注)潮(しほ)待つとありける船:潮時を待つとて泊まっていた船

※乗船したまま待機していた船が動き出した時の気持ちを詠っている。

 

 

◆安佐妣良伎 許藝弖天久礼婆 牟故能宇良能 之保非能可多尓 多豆我許恵須毛

               (作者未詳 巻十五 三五九五)

 

≪書き下し≫朝開(あさびら)き漕ぎ出(で)て来(く)れば武庫(むこ)の浦の潮干(しほひ)の潟(かた)に鶴(たづ)が声すも

 

(訳)朝早く船を漕ぎ出して来ると、武庫の浦の、潮の引いた潟の方で、鶴の鳴く声がしている。(同上)

(注)あさびらき【朝開き】名詞:船が朝になって漕(こ)ぎ出すこと。朝の船出。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)武庫の浦:兵庫県武庫川河口付近

(注)鶴が声:(妻呼ぶ)鶴の声。望郷の思い

 

 

◆和多都美能 於伎津之良奈美 多知久良思 安麻乎等女等母 思麻我久礼見由

               (作者未詳 巻十五 三五九七)

 

≪書き下し≫わたつみの沖つ白波立(た)ち来(く)らし海人(あま)娘子(をとめ)ども島隠(しまがく)る見(み)ゆ

 

(訳)海の神が起こす沖の白波、その荒い波が立って来るらしい。折しも、海人娘子たちの船も島陰に漕ぎ隠れて行く。わびしい。(同上)

(注)わたつみ【海神】名詞:①海の神。②海。海原。 ※参考「海(わた)つ霊(み)」の意。「つ」は「の」の意の上代の格助詞。後に「わだつみ」とも。(学研)

(注)しまがくる【島隠る】自動詞:島の陰に隠れる。(学研)

(注)この歌に地名がないのは前歌の播磨から、次歌の備中までの長い船旅を暗示したものか。

 

◆奴波多麻能 欲波安氣奴良 多麻能宇良尓 安佐里須流多豆 奈伎和多流奈里

               (作者未詳 巻十五 三五九八)

 

≪書き下し≫ぬばたまの夜(よ)は明けぬらし玉(たま)の浦にあさりする鶴(たづ)鳴き渡るなり

 

(訳)ぬばたまの夜は今ようやく明けていくらしい。玉の浦で餌(えさ)をあさる鶴が鳴きながら飛んで行く。(同上)

(注)玉の浦:岡山県玉島あたりか。

 

 

◆月余美能 比可里乎伎欲美 神嶋乃 伊素末乃宇良由 船出須和礼波

                (作者未詳 巻十五 三五九九)

 

≪書き下し≫月読(つくよみ)の光を清み神島(かみしま)の礒(いそ)みの浦ゆ船出(ふなで)す我(わ)れは

 

(訳)お月さまの光が清らかなので、それを頼りに、神島の岩の多い入江から船出をするのだ、われらは。(同上)

(注)つくよみ【月夜見・月読み】名詞:月。「つきよみ」とも。(学研)

(注)神島:備後(きびのみちのしり)広島県東部 ※巻十三 三三三九歌の題詞に「備後の国の神島の浜にして」とある。

 

 

◆波奈礼蘇尓 多弖流牟漏能木 宇多我多毛 比左之伎時乎 須疑尓家流香母

               (作者未詳 巻十五 三六〇〇)

 

≪書き下し≫離(はな)れ礒(そ)に立てるむろの木うたがたも久しき時を過ぎにけるかも

 

(訳)離れ島の磯に立っているむろの木、あの木はきっと、途方もなく長い年月を、あの姿のままで過ごしてきたものなのだ。(同上)

(注)むろの木:鞆の浦広島県福山市鞆町) ※太宰帥大伴旅人が大納言となって帰京する時(この時は妻を亡くした後である)に「鞆の浦を過ぐる日に作る歌三首」(四四六から四四八歌の「鞆の浦のむろの木」)を踏まえている。

(注)うたがたも 副詞:①きっと。必ず。真実に。②〔下に打消や反語表現を伴って〕決して。少しも。よもや。(学研) ここでは①

 

 

◆之麻思久母 比等利安里宇流 毛能尓安礼也 之麻能牟漏能木 波奈礼弖安流良武

                (作者未詳 巻十五 三六〇一)

 

≪書き下し≫しましくもひとりありうるものにあれや島のむろの木離(はな)れてあるらむ

 

(訳)ほんのしばらくだって、人は独りでいられるものなのであろうか、そんなはずはないのに、どうしてあの島のむろの木は、あんなに離れて独りぼっちでいられるのであろうか。(同上)

(注)しましく【暫しく】副詞:少しの間。(学研)

※ 妻と別れて来た感慨をこめて詠っている。

 

 三六〇〇、三六〇一歌は、大伴旅人の「鞆の浦を過ぐる日に作る歌三首」(四四六から四四八歌の「鞆の浦のむろの木」)を踏まえている。

遣新羅使人等」の歌群では、少判官以上は官職名で記し、その下の録事以下は無記名歌を除き名が記載されているという。記名があっても大半が「伝未詳」である。

彼らの知的レベルはそれなりのものであったのだろう。

彼らが、大伴旅人の歌を、どのような形で読み、あるいは聞いたのであろう。歌の背景をそれなりに熟知していないと詠えない歌である。いまでこそ、「○○歌集」とったような形で、何人も自由に入手できるのであるが、旅人の歌に接触できた経路等気になる所である。

仮に、鞆の浦のむろの木を望みながら歌ったにせよ、航海中にどのようにしてこれらの歌を集めたのか、宴席のような場があり、余興的に披歴された歌を記録にとどめたのか、いろいろなことが疑問に思える。さらに、これらを踏まえて集大成し、「歌によるドキュメンタリー」を形成していく流れに驚かされる。編纂者が全体のストーリーを描き、最終的にまとめていったのか、いずれにしろ見事と言うほかない。

 

 三五九四、三五九八歌に、今回の遣新羅使達のこれからの航海の大変さを暗示している。

 

 「このような歌を百四十五首という大歌群として万葉に収めた心理は、極限状態の生命感への共感に発していよう。当事者のみならず、享受者も散漫な読者でなくて、『家にてもたゆたふ命(だという現世感)』を感じていた人びとだったのである。大宮人はつねにこの翳(かげ)りの中にあった。」と中西 進氏はその著「古代史で楽しむ万葉集」のなかで鋭く指摘されている。

(注)家にてもたゆたふ命:家にてもたゆたふ命波の上に思ひし居れば奥処(おくか)知らずも(作者未詳 巻十七 三八九六) (訳)家にくらしていてさえも、漂うように定めのない命であるものを、このように波の上で物を思っていると、どうなってしまうのかわからないように心細い(中西 進氏訳)

 

ああ、万葉集・・・

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字」 神野志隆光 著 (東京大学出版会

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「古代史で楽しむ万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」