万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう(その2596の2)―書籍掲載歌を中軸に―

●歌は、「都辺に行かむ船もが刈り薦の乱れて思ふ言告げ遣らむ(羽栗翔 15-3640)」他である。

 

 前稿の「・・・旅人の帰途の歌は『羇旅(きりょ)を悲しみ傷(いた)みて』詠んだ歌だと題されているが、それと同じように、『別を悲しみ贈(おく)り答へ、また海路に情(こころ)慟(いた)み思を陳(の)べ』て作った歌だと題されたものが、天平八年、新羅に遣わされた人びとの歌、巻十五の百四十五首である。このときの大使は阿部継麻呂(あべのつぎまろ)、副使は大伴三中(みなか)であった・・・一行は新羅に到着できたけれども拝朝ができなかった模様である。大使継麻呂は帰途対馬(つしま)で死んでいるが、これは天然痘によるものだとも、使命を果たせなかったための自害だともいわれている。副使三中も感染して復命することができず、判官が代わってそれをしている。その折の歌はたとえば羽栗翔(はぐりのかける)の一首(巻一五、三六四〇)(歌は省略)のごときで、家郷への思いと、『乱れて思ふ』心の中の奥処(おくか)も知らぬ生命感とをみることができる。そしてこのような歌を百四十五首という大歌群として万葉に収めた心理は、極限状況の生命感への共感に発していよう。当事者のみならず、享受者も散漫な読者ではなくて、『家にてもたゆたふ命』を感じていた人びとだったのである。大宮人はつねにこの翳(かげ)りの中にあった。これが新羅よりさらに遠い遣唐使の場合は、言語に絶する苦難があっただろう。・・・この遣唐使たちの将来した文化によって、平城の都城は栄え、天平の文物が花ひらいた・・・文化の基底にひそむ生来の感情がこれらの歌となったのであろう。文明という借り物にかかわらず共感を歌いまた共感するところに、万葉集の生命があった。」(同著)

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感想(3件)

 

 三六四〇歌をみてみよう。

 

■■巻十五 三六四〇~三六四三歌■■

題詞は、「熊毛浦舶泊之夜作歌四首」<熊毛(くまげ)の浦に舶泊(ふなどま)りする夜に作る歌四首>である。

(注)熊毛浦:山口県熊毛郡上関町室津か。(伊藤脚注)

 

■巻十五 三六四〇歌■

◆美夜故邊尓 由可牟船毛我 可里許母能 美太礼弖於毛布 許登都㝵夜良牟

       (羽栗翔 巻十五 三六四〇)

 

≪書き下し≫都辺(みやこへ)に行かむ船もが刈(か)り薦(こも)の乱れて思ふ言(こと)告(つ)げ遣(や)らむ

 

(訳)都の方に帰って行く船でもあったらなあ。そしたら、刈り薦のように千々に乱れて思うこの気持ちを、知らせてやることができように。(同上)

(注)都辺に行かむ船もが:三六一二と同じ心情の望郷歌。(伊藤脚注)

(注の注)もが 終助詞:《接続》体言、形容詞・助動詞の連用形、副詞、助詞などに付く。〔願望〕…があったらなあ。…があればなあ。 ⇒参考:上代語。上代には、多く「もがも」の形で用いられ、中古以降は「もがな」の形で用いられた。⇒もがな・もがも(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)かりこもの【刈り菰の・刈り薦の】分類枕詞:刈り取った真菰(まこも)が乱れやすいことから「乱る」にかかる(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

左注は、「右一首羽栗」<右の一首は羽栗(はくり)>である。

(注)羽栗:伝未詳。(伊藤脚注)

 

 三六一二歌をみてみよう。

◆安乎尓与之 奈良能美也故尓 由久比等毛我母 久左麻久良 多妣由久布祢能 登麻利都ん武仁 <旋頭歌也>

       (大判官 巻十五 三六一二)

 

≪書き下し≫あをによし奈良の都に行く人もがも 草枕(くさまくら)旅行く船の泊(とま)り告(つ)げむに <旋頭歌なり>

 

(訳)あの懐かしい奈良の都に行く人でもあればよいのになあ。そしたら、苦しい船旅のこの泊まり所をあの子に告げることができように。(同上)

 

左注は、「右一首大判官」<右の一首は大判官>

(注)大判官:副使に次ぐ官。ここは従六位上壬生使主宇太麻呂。遣新羅使歌では、少判官以上は官職名で記し、その下の録事以下は無記名歌を除き名で記す。(伊藤脚注)

 

 三六一二歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1622)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

 

■巻十五 三六四一歌■

◆安可等伎能 伊敝胡悲之伎尓 宇良未欲理 可治乃於等須流波 安麻乎等女可母

       (遣新羅使人等 巻十五 三六四一)

 

≪書き下し≫暁(あかとき)の家(いへ)恋(ごひ)しきに浦(うら)みより楫(かぢ)の音(おと)するは海人娘子(あまをとめ)かも

 

(訳)夜明け前の、家恋しくてならぬ時分に、浦のあたりから楫の音がする、あれは、海人娘子たちなのかなあ。(同上)

(注)楫の音:前歌の「船」の縁。(伊藤脚注)

(注)海人娘子かも:妻恋しさゆえに海人娘子を思い浮かべた。(伊藤脚注)。

 

 

 

■巻十五 三六四二歌■

◆於枳敝欲理 之保美知久良之 可良能宇良尓 安佐里須流多豆 奈伎弖佐和伎奴

       (遣新羅使人等 巻十五 三六四二)

 

≪書き下し≫沖辺(おきへ)より潮(しほ)満ち来(く)らし可良(から)の浦にあさりする鶴(たづ)鳴きて騒(さわ)きぬ

 

(訳)沖の方から今にも潮が満ちて来るらしい。可良(から)の浦で餌(え)をあさっている鶴、その鶴が盛んに鳴き騒いでいる。(伊藤 博 著「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)可良(から)の浦:熊毛の浦の一部。前歌の「浦」を具体化している。(伊藤脚注)

(注)鶴鳴きて騒きぬ:鶴の騒ぎに潮時を感じた歌。夜は明けつつある。(伊藤脚注)

 この歌の歌碑は、山口県平生町佐賀 佐賀地域交流センター尾国分館前にある。

 

山口県平生町佐賀 佐賀地域交流センター尾国分館万葉歌碑(遣新羅使人等 15-3642) 20221130撮影

 

 

 

■巻十五 三六四三歌■

◆於吉敝欲里 布奈妣等能煩流 与妣与勢弖 伊射都氣也良牟 多婢能也登里乎

       (遣新羅使人等 巻十五 三六四三)

 

≪書き下し≫沖辺より船人(ふなびと)上(のぼ)る呼び寄せていざ告(つ)げ遣(や)らむ旅の宿(やど)りを

 

(訳)沖の彼方を通って船人が漕ぎ上って行く。こちらへ呼び寄せて、さあ都の妻に知らせてやろう。この旅宿りのわびしさを。(同上)

(注)沖辺より:前歌の初句を承けるが、夜は開け放たれ、船人の上るのが見える。(伊藤脚注)

(注)いざ告げ遣らむ:三六四〇に応じる。四首の結び。(伊藤脚注)

 

左注は、「一云 多妣能夜杼里乎 伊射都氣夜良奈」<一には「旅の宿りをいざ告げ遣らな」といふ>である。

 

 

 

 遣新羅使人等に関する万葉歌碑では、三六一七から三六二四歌が刻された広島県呉市倉橋町宮浦 桂浜の「萬葉集史蹟長門之島碑」を紹介しておこう。

 この碑ならびに歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1618)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

広島県呉市倉橋町宮浦 桂浜 <萬葉集史蹟長門之島碑>万葉歌碑(遣新羅使) 20220524撮影

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「古代史で楽しむ 万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」