万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1618)―広島県呉市倉橋町宮浦 桂浜(萬葉集史蹟長門之島碑)―万葉集 巻十五 三六一七~三六二四

●歌は、

 「石走る滝もとどろに鳴く蝉の声をし聞けば都し思ほゆ(三六一七歌)」

 「山川の清き川瀬に遊べども奈良の都は忘れかねつも(三六一八歌)」

 「礒の間ゆたぎつ山川絶えずあらばまたも相見む秋かたまけて(三六一九歌)」

 「恋繁み慰めかねてひぐらしの鳴く島蔭に廬りするかも(三六二〇歌)」

 「我が命を長門の島の小松原幾代を経てか神さびわたる(三六二一歌)」

 「月読の光を清み夕なぎに水手の声呼び浦み漕ぐかも(三六二二歌)」

 「山の端に月傾けば漁りする海人の燈火沖になづさふ(三六二三歌)」

 「我れのみや夜船は漕ぐと思へれば沖辺の方に楫の音すなり(三六二四歌)」、である。

広島県呉市倉橋町宮浦 桂浜 <萬葉集史蹟長門之島碑>万葉歌碑(遣新羅使

●歌碑は、広島県呉市倉橋町宮浦 桂浜(萬葉集史蹟長門之島碑)にある。

 

●歌をみていこう。                           

 

 三六一七から三六二一歌の歌群の題詞は、「安芸(あき)の国の長門(ながと)の島にして磯辺(いそへ)に船泊まりして作る歌五首」、三六二二から三六二四歌のそれは「長門の浦より船出(ふなで)する夜に、月の光を仰ぎ観て作る歌三首」である。

 

◆伊波婆之流 多伎毛登杼呂尓 鳴蝉乃 許恵乎之伎氣婆 京師之於毛保由

       (大石蓑麻呂 巻十五 三六一七)

 

≪書き下し≫石走(いはばし)る滝(たき)もとどろに鳴く蝉(せみ)の声をし聞けば都し思ほゆ

 

(訳)岩に激する滝の轟(とどろ)くばかりに鳴きしきる蝉、その蝉の声を聞くと、都が思い出されてならぬ。(同上)

 

 左注は、「右一首大石蓑麻呂」<右の一首は大石蓑麻呂(おほいしのみのまろ)>である。

 (注)大石簑麻呂 :?-? 奈良時代の官吏。天平(てんぴょう)8年(736)遣新羅(しらぎ)使として新羅(朝鮮)にむかう途中、安芸(あき)(広島県)長門島でよんだ歌1首が「万葉集」巻15におさめられている。のち東大寺写経生として名がみえる。」(コトバンク 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus)

 

 

◆夜麻河泊能 伎欲吉可波世尓 安蘇倍杼母 奈良能美夜故波 和須礼可祢都母

       (遣新羅使人等 巻十五 三六一八)

 

≪書き下し≫山川(やまがは)の清き川瀬に遊べども奈良の都は忘れかねつも

 

(訳)山あいの清らかな川瀬で遊んでみても、あの奈良の都は忘れようにも忘れられない。(同上)

(注)奈良の都は忘れかねつも:前歌の結句を承ける。(伊藤脚注)

 

 

◆伊蘇乃麻由 多藝都山河 多延受安良婆 麻多母安比見牟 秋加多麻氣弖

       (遣新羅使人等 巻十五 三六一九)

 

≪書き下し≫礒(いそ)の間(ま)ゆたぎつ山川(やまがは)絶えずあらばまたも相見(あひみ)む秋かたまけて

 

(訳)岸辺の岩のあいだから激しく流れ落ちる山川よ、お前が絶え間なく流れるようにずっと無事でいられたらなら、また重ねて相見(あいまみ)えよう。秋ともなって。(同上)

(注)たぎつ【滾つ・激つ】自動詞:水がわき立ち、激しく流れる。心が激することをたとえていうことも多い。 ※上代には「たきつ」とも。(学研)

(注)前歌の「山川」を承け、都への思いを秋待つ心に絞る。(伊藤脚注)

(注)かたまく【片設く】自動詞:(その時節を)待ち受ける。(その時節に)なる。▽時を表す語とともに用いる。 ※上代語。(学研)

 

 

◆故悲思氣美 奈具左米可祢弖 比具良之能 奈久之麻可氣尓 伊保利須流可母

       (遣新羅使人等 巻十五 三六二〇)

 

≪書き下し≫恋繁(こひしげ)み慰(なぐさ)めかねてひぐらしの鳴く島蔭(しまかげ)に廬(いほ)りするかも

 

(訳)妻恋しさに気を晴らしようもないままに、ひぐらしの鳴くこの島蔭で仮の宿りをしている、われらは。(同上)

(注)前歌の妻恋しさを承け、三六一七歌の「蝉」にも応じている。(伊藤脚注)

 

◆和我伊能知乎 奈我刀能之麻能 小松原 伊久与乎倍弖加 可武佐備和多流

       (遣新羅使人等 巻十五 三六二一)

 

≪書き下し≫我(わ)が命(いのち)を長門(ながと)の島の小松原(こまつばら)幾代(いくよ)を経(へ)てか神(かむ)さびわたる

 

(訳)我が命よ、長かれと願う、長門の島の小松原よ、いったいどれだけの年月を過ごして、このように神々(こうごう)しい姿をし続けているのか。(同上)

(注)わがいのちを【我が命を】[枕]:わが命長かれの意から、「長し」と同音を含む地名「長門(ながと)」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)かみさぶ【神さぶ】自動詞:①神々(こうごう)しくなる。荘厳に見える。②古めかしくなる。古びる。③年を取る。 ※「さぶ」は接尾語。古くは「かむさぶ」。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは①の意

 

 三六一七~三六二一歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1593)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

◆月余美乃 比可里乎伎欲美 由布奈藝尓 加古能己恵欲妣 宇良未許具可聞

       (遣新羅使人等 巻十五 三六二二)

 

≪書き下し≫月読(つくよみ)みの光りを清(きよ)み夕(ゆふ)なぎに水手(かこ)の声こゑ)呼び浦(うら)み漕(こ)ぐかも

 

(訳)月読の光が清らかなので、夕凪(ゆうなぎ)の中、水手(かこ)たちが声呼び掛けあって、浦伝いを漕ぎ進めている。(同上)

(注)つくよみ【月夜見・月読み】名詞:月。「つきよみ」とも。(学研)

(注)かこ【水手・水夫】名詞:船乗り。水夫。 ※「か」は「かぢ(楫)」の古形、「こ」は人の意。(学研)

(注)水手(かこ)の声こゑ)呼び:水夫たちが掛け声を発しながら。(伊藤脚注)

 

 

◆山乃波尓 月可多夫氣婆 伊射里須流 安麻能等毛之備 於伎尓奈都佐布

       (遣新羅使人等 巻十五 三六二三)

 

≪書き下し≫山の端(は)に月傾(かたぶ)けば漁(いざ)りする海人(あま)の燈火(ともしび)沖になづさふ

 

(訳)山の端に月が傾いてゆくと、魚を捕る海人(あま)の漁火(いさりび)、その火が沖の波間にちらちらと漂うている。(同上)

(注)なづさふ 自動詞:①水にもまれている。水に浮かび漂っている。②なれ親しむ。慕いなつく。(学研)ここでは①の意

(注)沖になづさふ:前歌の月が傾き、漁火が沖の波間にわびしく揺れ動く。旅愁に暮れている。(伊藤脚注)

 

 

◆和礼乃未夜 欲布祢波許具登 於毛敝礼婆 於伎敝能可多尓 可治能於等須奈里

       (遣新羅使人等 巻十五 三六二四)

 

≪書き下し≫我(わ)れのみや夜船(よふね)は漕ぐと思へれば沖辺(おきへ)の方(かた)に楫(かぢ)の音(おと)すなり

 

(訳)われらだけが、この夜船というものは漕いでいるのかと思っていると、沖辺の方でも櫓を漕ぐ音がしている。(同上)

(注)楫(かぢ)の音(おと)すなり:闇に包まれた海路の心細さを、楫の音でわずかに慰めている。(伊藤脚注)

 

 

■桂浜神社⇒桂浜・萬葉集史蹟長門島之碑

 桂浜神社の前の松原を抜けると広大な浜辺が広がっている。浜と松原の境目に「萬葉集史蹟長門之島碑」が建てられておりそこに三六一七から三六二四歌が刻されている。

 この「萬葉集史蹟長門之島碑」が建てられている「万葉集遺跡長門島松原(桂濱神社境内)」については、「広島県教育委員会HP ホットライン教育ひろしま」の「広島県文化財 - 万葉集遺跡長門島松原(桂濱神社境内)」に次の様に書かれている。

万葉集巻十五に,天平8年(736)遣新羅使(けんしらぎし)が安芸の国長門島船(ながとしまのふな)泊に停泊した時の歌,舟出の歌が八首よまれている。倉橋島長門崎,長門口の地名があることから長門島に当るとみられる。倉橋の本浦は船泊に適し,推古天皇の代から奈良時代(710~793)にかけて幾たびとなく外国に使する船を造った所と伝え,江戸時代に至るまで造船で聞こえた。松原がつづく桂浜(かつらはま)神社の境内は歌意にかなう景勝の地で,今も昔ながらの風趣を保っている。」

桂浜松林内案内板

中央から下段部に歌が刻されている

 

 

 

前稿に引き続きこれまでに巡った「遣新羅使人等」の歌碑ならびに歌の紹介である。

 

■三七一八歌■

◆伊敝之麻波 奈尓許曽安里家礼 宇奈波良乎 安我古非伎都流 伊毛母安良奈久尓

       (遣新羅使人 巻十五 三七一八)

 

≪書き下し≫家島(いへしま)は名にこそありけれ海原(うなはら)を我(あ)が恋ひ来つる妹(いも)もあらなくに

 

(訳)家島とは名ばかりであった。はるかなる海原を私が恋い焦がれながらやって来た、そのいとしき人もいはしないのに。(同上)

20200702撮影    兵庫県高砂市曽根 曽根天満宮(右端)

 

 

■三六〇五歌■

◆和多都美乃 宇美尓伊弖多流 思可麻河泊 多延無日尓許曽 安我故非夜麻米

        (作者未詳 巻十五 三六〇五)

 

≪書き下し≫わたつみの海に出(い)でたる飾磨川(しかまがは)絶えむ日にこそ我(あ)が恋(こひ)やまめ

 

(訳)海の神の統べたまう大海にぐいぐいと流れ出ている飾磨川、その果てもしない流れがもし絶える日があったなら、わたしの恋心もなくなるのであろうか・・・(同上)

(注)わたつみ【海神】名詞:①海の神。②海。海原。 ※参考「海(わた)つ霊(み)」の意。「つ」は「の」の意の上代の格助詞。後に「わだつみ」とも(学研)

20200702撮影    兵庫県高砂市曽根  曽根天満宮(右端)

 

 

■三五九六歌■

◆和伎母故我 可多美尓見牟乎 印南都麻 之良奈美多加弥 与曽尓可母美牟

       (健新羅使 巻十五 三五九六)

 

≪書き下し≫我妹子(わぎもこ)が形見(かたみ)に見むを印南(いなみ)都麻(つま)白波(しらなみ)高み外(よそ)にかも見む

 

(訳)いとしいあの子を偲(しの)ぶよすがに見ようと思うのに、印南都麻、あの印南都麻は、白波が高すぎて、それとはっきり見ることができないのであろうか。(同上)

(注)印南都麻:加古川河口の三角州か。「都麻」に「妻」を懸けている。

20200702撮影    兵庫県高砂市曽根  曽根天満宮(右端)

 

 

■三五九八歌■

◆奴波多麻能 欲波安氣奴良 多麻能宇良尓 安佐里須流多豆 奈伎和多流奈里

       (遣新羅使 巻十五 三五九八)

 

 

≪書き下し≫ぬばたまの夜(よ)は明けぬらし玉(たま)の浦にあさりする鶴(たづ)鳴き渡るなり

 

(訳)ぬばたまの夜は今ようやく明けていくらしい。玉の浦で餌(えさ)をあさる鶴が鳴きながら飛んで行く。(同上)

(注)玉の浦:岡山県玉島あたりか。

(注)あさり【漁り】名詞 ※「す」が付いて他動詞(サ行変格活用)になる:①えさを探すこと。②魚介や海藻をとること。(学研)

 

20201027撮影 瀬戸内市邑久町尻海 道の駅一本松展望園

 

 

■三五九八歌■

20201027撮影 倉敷市玉島 玉島公民館

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus」

★「ホットライン教育ひろしま」 (広島県教育委員会HP)