●歌は、「帰るさに妹に見せむにわたつみの沖つ白玉拾ひて行かな」である。
●歌碑は、広島県三原市糸崎 糸碕神社前国道185線(旧二号線)沿いにある。
●歌をみていこう。
◆可敝流散尓 伊母尓見勢武尓 和多都美乃 於伎都白玉 比利比弖由賀奈
(遣新羅使 巻十五 三六一四)
≪書き下し≫帰るさに妹(いも)に見せむにわたつみの沖つ白玉(しらたま)拾(ひり)ひて行かな
(訳)帰った時にいとしいあの子にみせように。そうだ、海の神様が海の底に秘めている清らかな白玉、その真珠を拾って行こう。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)かへるさ【帰るさ】:帰る時。帰りがけ。かえさ。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
(注の注)帰った時に、家苞(いえづと)を思うことでせめて気を慰め、船を進める。(伊藤脚注)
(注) わたつみ【海神】名詞:①海の神。②海。海原。 ⇒参考:「海(わた)つ霊(み)」の意。「つ」は「の」の意の上代の格助詞。後に「わだつみ」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
三六一二~三六一四歌の題詞は、「備後國水調郡長井浦舶泊之夜作歌三首」<備後(きびのみちのしり)の国の水調(みつき)の郡(こほり)の長井(ながゐ)の浦に舶泊(ふなどま)りする夜(よ)に作る歌三首>である。
(注)備後國:広島県東部。
(注)長井の浦:三原市の糸崎港であろう。安芸との国境。使人たちの実際の紀行歌録はここから始まったらしい。(伊藤脚注)
他の二首をみてみよう。
◆安乎尓与之 奈良能美也故尓 由久比等毛我母 久左麻久良 多妣由久布祢能 登麻利都ん武仁 <旋頭歌也>
(大判官 巻十五 三六一二)
≪書き下し≫あをによし奈良の都に行く人もがも 草枕(くさまくら)旅行く船の泊(とま)り告(つ)げむに <旋頭歌なり>
(訳)あの懐かしい奈良の都に行く人でもあればよいのになあ。そしたら、苦しい船旅のこの泊まり所をあの子に告げることができように。(同上)
左注は、「右一首大判官」<右の一首は大判官>
(注)大判官:副使に次ぐ官。ここは従六位上壬生使主宇太麻呂。遣新羅使歌では、少判官以上は官職名で記し、その下の録事以下は無記名歌を除き名で記す。(伊藤脚注)
伊藤 博氏は、この歌の脚注で「古歌群の冒頭歌三六〇二の上二句と響き合う。旋頭歌体によって重々しく歌ったもの」と書かれている。
三六〇二歌をみてみよう。
◆安乎尓余志 奈良能美夜古尓 多奈妣家流 安麻能之良久毛 見礼杼安可奴加毛
(遣新羅使人 巻十五 三六〇二)
≪書き下し≫あをによし奈良の都にたなびける天(あま)の白雲(しらくも)見れど飽(あ)かぬかも
(訳)青土香る奈良の都にたなびいている天の白雲、この白雲は見ても見飽きることがない。「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦下さい。)
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三六〇二から三六一一歌までの十首の題詞は、「所に当りて誦詠(しようえい)する古歌」である。
これについて伊藤 博氏は題詞の脚注において「難波津出航後から、備後と安芸の国の境長井の浦までの間で、旅愁を慰めるために誦われたという形」と書いておられる。
「長井(ながゐ)の浦に舶泊(ふなどま)りする夜(よ)に作る歌」に戻って、三六一三歌をみてみよう。
◆海原乎 夜蘇之麻我久里 伎奴礼杼母 奈良能美也故波 和須礼可祢都母
(遣新羅使 巻十五 三六一三)
<書き下し>海原(うなはら)を八十島隠(やそしまがく)り来(き)ぬれども奈良の都は忘れかねつも
(訳)海原を、たくさんの島々のあいだを縫いながらはるばる漕いでやって来たけれど、奈良の都は忘れようにも忘れられない。(同上)
(注)しまがくる【島隠る】動:のかげに隠れる。また、島のかげに退避する。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
糸碕神社(いとさきじんじゃ)については、「三原観光nabi」(三原観光協会HP)に「三原駅から国道185号(旧国道2号)を東へ約3km行った国道沿いにあります。神功皇后が西征の帰途、船を寄せられた際に水を献じたという故事によって、この地を井戸崎(後に糸崎)といい、郡を水調(後に御調)と称した縁により天平元年(729年)創建されました。境内には、神功皇后が軍船をつないだという『船つぎの松』の記念碑と、樹齢約500年といわれる市天然記念物のクスノキがあります。糸碕神社は、美しい景色と多くの文化財に恵まれた古い歴史をもつ神社で、正月の初詣などでなじみ深い神社です。)と書かれている。
この歌碑は、糸碕神社の前、国道185号線(旧国道2号)沿いに建てられている。先達のブログ写真では碑の全景がくっきり映っているのであるが、今は桜の木に埋もれる感じで建っており、足下の「万葉歌碑長井之浦」の碑がなければ見落すところであった。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「三原観光nabi」(三原観光協会HP)