万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1改)―奈良市庁舎の前庭―万葉集 巻十五 三六〇二

●歌は、「あをによし奈良の都にたなびける天の白露見れど飽かなくに」である。

 

 

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二条大路南「奈良市庁舎前庭」

●歌碑は、奈良市庁舎の前庭にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆安乎尓余志 奈良能美夜古尓 多奈妣家流 安麻能之良久毛 見礼杼安可奴加毛

     (当所誦詠古歌 巻十五 三六〇二)

 

≪書き下し≫あをによし奈良の都にたなびける天(あま)の白雲(しらくも)見れど飽(あ)かぬかも

 

(訳)青土香る奈良の都にたなびいている天の白雲、この白雲は見ても見飽きることがない。「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
 

 万葉集巻十五には、遣新羅使人の歌として一四五首が収録されている。この遣新羅使人は、天平八年(736年)六月難波を出発し秋に帰国予定が難航し九年一月漸く帰国。帰る途中に対馬で大使の阿倍継麻呂(あべのつぎまろ)が亡くなり、副使の大伴三中(おおとものみなか)は病気で遅れて帰り着いたとある。苦労の連続で見るべき成果もなかった遣新羅使人の歌には、望郷の念を抱いた歌がそれだけに多いのである。

 

 苦難の連続で、対馬の浅茅の浦で「慟心を陳べて作る歌」をみてみよう。

 

(題詞)「到對嶋淺茅浦舶泊之時不得順風経停五箇日於是瞻望物華各陳慟心作歌三首」

◆百船の 泊(は)つる対馬の 浅茅山(あさじやま) 時雨の雨に もみたひにけり

                      (巻一五 三六九七)

(訳)多くの船が泊まる津という、その対馬の浅茅山、この山は、しぐれの雨で、早くも色づいてきた。(同上) 

(注)もみたふ(紅葉たふ:)もみじもみじしている

 これは、停泊している対馬の浅茅山の紅葉を詠っているのではなく、秋には都に帰る予定だったのに、都はどうなんだろうという強い望郷の念が詠われているのである。

 

◆天ざかる 鄙にも月は 照れれども 妹そ遠くは 別れ來にける

                      (巻十五 三六九八)

 

(訳)都から空遠く隔てられたこの鄙の地にも、月はこうこうと照っているけれども、思えば、家の妻とはほんとうに遠く離れて来てしまったものだ。(同上)

 この歌も、月をとおして都の妻への強い思いを抱いて詠っている。

 

◆秋去れば 置く露霜に あへずして 都の山は 色づきむらむ

                      (巻十五 三六九九)

 

(訳)秋も深まったこととて、しっかりと置く冷え冷えとした露に堪えきれないで、 都の山々はすっかり色づいていることであろう。(同上)

 (注)あへず:耐えられないで、こらえきれずに

 

 この歌も強い望郷の思いが感じられるのである。題詞にあるように、対馬に到着するも順風が得られず、5日間も停泊せざるを得ずその時に景色等を見て慟哭の思いの歌を歌ったのである。いかにこの船旅が困難を極めてきたということが察せられる。

 

 以前奈良市大宮町に住んでいたので、何度か市庁舎に来たことはあったが、万葉歌碑については初耳であった。

 係りの人からカードをもらい、2階の駐車場に車を止める。カードには、「訪問先の部署の印鑑をもらってください」といったようなことが書かれていた。万葉歌碑の写真を撮るだけなのに、と思いながら。市庁舎を通り抜け正面に出る。出て左側手に碑らしきものが見えた。 

 

 歌碑の写真を撮って、総合受付に行き、先ほどのカードを出して、「万葉歌碑の写真んを撮りに来ました。」と説明すると、「ご苦労様です」と日付印を押してくれたのである。

 市庁舎の中には、平城京第一次大極殿の復元模型が飾られていた。他にも出土した瓦なども展示されていた。奈良市全域の模型も。万葉の時代に思いを馳せながら市庁舎を後にした。

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平城京第1次大極殿復元模型

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奈良市庁舎内奈良市全域模型

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「万葉ゆかりの地を訪ねて~万葉歌碑めぐり~」 (奈良市HP)

 

※20210419朝食関連記事削除し一部改訂