万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

ザ・モーニングセット&フルーツフルデザート190304(東歌と防人歌<その2>)

●サンドイッチの中身は、牛カルビとにんにくの芽にキャベツと玉ねぎを加え炒めたものを使った。なかなかの味わいである。

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3月4日のザ・モーニングセット

 デザートは、イチゴの4割りメインにバナナ、ブドウ、干しぶどうで盛り上げた。

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3月4日のフルーツフルデザート

 今日は、昨日に続いて「東歌と防人歌」のその2を書いてみる。

 

万葉集「東歌と防人歌」(その2)

 

■2■防人歌

 巻十四も、雑歌・相聞・比喩歌・挽歌という他の巻と同じ部立をもって構成されている。さらに防人歌としても登場する。防人歌を収録することによって、東歌の広がりが証明されるという。

 巻二十には防人歌が収録されているが、定型短歌であると同時に、東国の方言要素を持っいることに注目すべきという。

 さらに、注目すべきは、防人歌であるが故、「防人としての言立て(決意、誓い)」が前面に押し出されているのではなく、大半が、言立てと「わたくしごと」が詠われていることである。万葉集という世界の中に「歌」として収録されていることが万葉集である所以とみることができるのである。

 

 神野志隆光氏が「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」の中で例として挙げておられる防人歌を見ていくことにする。

 

◆祁布与利波(けふよりは) 可敝里見奈久弖(かへりみなくて) 意富伎美乃(おほきみの) 之許乃美多弖等(しこのみたてと) 伊埿多都和例波(いでたつわれは)

        (今奉部与曽布<いままつりべのよそふ> 巻二十 四三七三)

(著者訳)「今日からは ふりかえらずに 大君の つたない楯として 出ていくのだ私は」

 

◆阿米都知乃(あめつちの) 可美乎伊乃里弖(かみをいのりりて) 佐都夜奴伎(さつやぬき) 都久之乃之麻乎(つくしのしまを) 佐之弖伊久和例波(さしていくわれは)

        (大田部荒耳<おほたべのあらみみ> 巻二十 四三七四)

(著者訳)「天地の 神々に祈って 靫<うつぼ>を背負って筑紫の島を さしてゆくのだわたしは」

  (注)靫(うつぼ):太い筒状で矢を入れ、腰につけて持ち歩く道具

 

◆麻都能氣乃(まつのきの) 奈美多流美礼婆(なみたるみれば) 伊波妣等乃(いはびとの) 和例乎美於久流等(われをみおくると) 多ゝ理之母己呂(たたりしもころ)

          (物部真嶋<もののべのましま> 巻二十 四三七五)

(著者訳)「松の木の 並ぶのを見ると 家人が わたしを見送って 立っていたのとそっくりだ」

(方言要素)「伊波(いは)」➡いへ(家) 「多ゝ理(たたり)」➡たてり(立り)

 

◆多妣由岐尓(たびゆきに) 由久等之良受弖(ゆくとしらずて) 阿母志ゝ尓(あもししに) 己等麻乎佐受弖(ことまをさずて) 伊麻叙久夜之氣(いまぞくやしけ)

           (川上臣老<かはかみのおみおゆ> 巻二十 四三七六)

(著者訳)「旅に 行くとも知らずに 母と父に きちんと挨拶もせずに来て 今は残念だ」

(方言要素)「阿母志ゝ(あもしし)」➡おもちち(母父)

 

◆阿母刀自母(あもとじも) 多麻尓母賀母夜(たまにもがもや) 伊多太伎弖(いただきて) 美都良乃奈可尓(みづらのなかに) 阿弊麻可麻久母(あへまかまくも)

        (津守宿祢小黒栖 巻二十 四三七七)

(著者訳)「母上が 玉ででもあればよい そうしたら頭に載せて みずらのなかに 混ぜて巻こうものを」

(方言要素)「阿母(あも)」➡おも(母)

  (注)みずら(角髪):日本の上古における貴族男性の髪型。耳に連なるが語源といわれる

 

◆都久比夜波(つくひよは) 須具波由氣等毛(すぐはゆけども) 阿母志ゝ可(あもししが) 多麻乃須我多波(たまのすがたは) 和須例西奈布母(わすれせなふも)

          (中臣部足国<なかとみべのたるくに> 巻二十 四三七八)

(著者訳)「月日や夜は 過ぎてゆくが 母と父の 玉のような姿は 忘れられない」

(方言要素)「阿母志ゝ(あもしし)」➡おもちち(母父) 奈布(なふ)」➡なむ

 

◆之良奈美乃(しらなみの) 与曽流波麻倍尓(よそるはまべに) 和可例奈婆(わかれなば) 伊刀毛須倍奈美(いともすべなみ) 夜多妣蘇弖布流(やたびそでふる)

        (大舎人部祢麻呂<おほとねりべのねまろ> 巻二十 四三七九)

(著者訳)「白波の 寄せる浜辺で 分かれてしまったら どうしようもないので 何度も袖を振ることだ」

(方言要素)「与曽流(よそる)」➡寄せる 

 

◆奈尓波刀乎(なにはとを) 己岐埿弖美例婆(こぎいでてみれば) 可美佐夫流(かみさぶる) 伊古麻多可祢尓(いこまたかねに) 久毛曽多奈妣久(くもそたなびく)

          (大田部三成<おほたべのみなり> 巻二十 四三八〇)

(著者訳)「難波の津を 漕ぎ出して見ると 神々しい 生駒の高い嶺に 雲がたなびいている」

(方言要素)「奈尓波刀(なにはと)」➡なにはつ(難波津)

 

◆久尓具尓乃(くにぐにの) 佐岐毛利都度比(さきもりつどひ) 布奈能里弖(ふなのりて) 和可流乎美礼婆(わかるをみれば) 伊刀母須敝奈之(いともすべなし)

       (神麻績部島麻呂<みわおみべのしままろ> 巻二十 四三八一)

(著者訳)「国々の 防人が集まって 船に乗って 別れるのを見ると どうしようもない」

 

◆布多富我美(ふたほがみ) 阿志氣比等奈里(あしけひとなり) 阿多由麻比(あたゆまひ) 和我須流等伎尓(わがするときに) 佐伎母里尓佐須(さきもりにさす)

         (大伴部廣成<おほともべのひろなり> 巻二十 四三八二) 

 

(著者訳)「『ふたほがみ』は いやな人だ 急病に わたしがかかっている時に 防人に指名するとは」

(方言要素)「阿志氣(あしけ)」➡悪しき

 

都乃久尓乃(つのくにの) 宇美能奈岐佐尓(うみのあぎさに) 布奈余曽比(ふなよそひ) 多志埿毛等伎尓(たしでもときに) 阿母我米母我母(あもがめもがも)

         (丈部足人<はせつかべたるひと> 巻二十 四三八三)

(著者訳)「摂津の国の 海の渚で 船の準備をして 出立の時に 母に一目逢いたいものだ」

 

t左注は「二月十四日下野國防人部領使正六位上田口朝臣大戸進歌数十八首 但拙歌者不取載之」(二月十四日に、下野国の防人の部領使、正六位上田口朝臣大戸だ進上した歌の数は十八首 但し拙劣な歌は載せなかった)

 

 防人の言立て(決意、誓い)を前面に押し出している歌は、四三七三、四三七八の二首で、他の歌は、私情をベースにした歌である。

 神野志隆光氏が「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」の中で明快に述べておられる。恐縮であるが引用させていただく。

 「『万葉集』の問題、としていえば、防人の歌は、東歌に対応して律令国家における歌のひろがりのおなじ平面にあるものです。それは、防人の立場の言立て的なものと、『わたくしごと』としての父母・妻との悲別とあいまって、私情までもからめとる歌の世界をあらしめます。歌は、そのように詠われるべきものであったということです。」

 万葉集万葉集たる所以である。

 

(参考文献)

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」神野志隆光 著 

                         (東京大学出版会

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社