万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その784)―吹田市津雲台 千里南公園―万葉集 巻二十 四四二五

●歌は、「防人に行くは誰が背と問ふ人を見るが羨しさ物思ひもせず」である。

 

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吹田市津雲台 千里南公園万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、吹田市津雲台 千里南公園にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆佐伎毛利尓 由久波多我世登 刀布比登乎 美流我登毛之佐 毛乃母比毛世受

               (作者未詳 巻二十 四四二五)

 

≪書き下し≫防人(さきもり)に行くは誰(た)が背(せ)と問(と)ふ人を見るが羨(とも)しさ物思(ものも)ひもせず

 

(訳)「今度」防人に行くのはどなたの旦那さん」と尋ねる人、そんな人を見るのは羨(うらや)ましい限り。何の物思いもせずに。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)自分の身の回りには防人として九州に送られる人がいない着易さと知りたがり屋から少し騒ぎ立てている人への批判を込めて詠っている。

 

 四四二五から四四三二歌の歌群の左注は、「右八首昔年防人歌矣 主典刑部少録正七位上磐余伊美吉諸君抄寫贈兵部少輔大伴宿祢家持」<右の八首は、昔年(さきつとし)の防人(さきもり)が歌なり。主典(さくわん)刑部少録(ぎやうぶのせうろく)正七位上磐余伊美吉諸君(いはれのいみきもろきみ)抄写(せうしや)し、兵部少輔大伴宿禰家持に贈る>である。

 

 他の七首をみてみよう。

 

◆阿米都之乃 可未尓奴佐於伎 伊波比都ゝ 伊麻世和我世奈 阿礼乎之毛波婆

               (作者未詳 巻二十 四四二六)

 

≪書き下し≫天地(あめつし)の神に幣(ぬさ)置き斎(いは)ひつついませ我が背(せ)な我(あ)れをし思(も)はば

 

(訳)天地(あめつち)の神々に幣を捧げ、身を慎み守りながらいらっしゃいませ、あなた。この私のことを思ってくださるならば。(同上)

 

 

◆伊波乃伊毛呂 和乎之乃布良之 麻由須比尓 由須比之比毛乃 登久良久毛倍婆

               (作者未詳 巻二十 四四二七)

 

≪書き下し≫家(いは)の妹(いも)ろ我(わ)を偲ふらし真結(まゆす)ひに結(ゆす)ひし紐(ひも)の解(と)くらく思(も)へば

 

(訳)家の愛(う)い奴(やつ)がおれのことをしきりに偲んでいるのだ。丸結びに結んだ着物の紐が、こんなに解けてくるからには。(同上)

(注)「いは」は「いへ」の訛り

(注)-ろ 接尾語:〔名詞に付いて〕①強調したり、語調を整えたりする。②親愛の気持ちを添える。 ※上代の東国方言。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)真結(まゆす)ひ:本結び。丸結び。

 

◆和我世奈乎 都久志波夜利弖 宇都久之美 叡比波登加奈ゝ 阿夜尓可毛祢牟

               (作者未詳 巻二十 四四二八)「

 

≪書き下し≫我が背なを筑紫(つくし)は遣(や)りて愛(うつく)しみえひは解かななあやにかも寝(ね)む

 

(訳)うちの人、この人を筑紫へ遣(や)ってしまったら、いとしみながら、私の方は紐は解かないままでいたい・・・。ああそれにしても私はただもやもや案じながら独り寝ることになるというのか。(同上)

(注)「筑紫は」は「筑紫へ」の訛り。

(注)「えひ」は「結(ゆ)ひ」の訛り。

(注)なな 分類連語:…ないで。…(せ)ずに。 ※活用語の未然形に接続する。 ※上代の東国方言。 ※なりたち 打消の助動詞「ず」の上代の未然形「な」+上代の東国方言の助詞「な」(学研)

 

 

 

◆宇麻夜奈流 奈波多都古麻乃 於久流我弁 伊毛我伊比之乎 於岐弖可奈之毛

                (作者未詳 巻二十 四四二九)

 

≪書き下し≫馬屋(うまや)なる縄(なは)絶(た)つ駒(こま)の後(おく)るがへ妹(いも)が言ひしを置きて悲しも

 

(訳)馬屋の縄を切って飛び出そうとする駒のように、家に取り残されてなんかおらずに私も一緒に行く、あの子がそう言い張ったのに、無理やりあとに置いて来てしまっていやもうほんとに悲しい。

(注)上二句は序。「後(おく)るがへ」を起こす。

(注)おくる【後る・遅る】自動詞:①あとになる。おくれる。②後に残る。取り残される。③先立たれる。生き残る。④劣る。乏しい。(学研)

(注)がへ 終助詞:《接続》活用語の連体形に付く。〔反語〕…しようか、いや、けっして…しない。…するものか。 ※上代の東国方言。(学研)

 

 

◆阿良之乎乃 伊乎佐太波佐美 牟可比多知 可奈流麻之都美 伊埿弖登阿我久流

               (作者未詳 巻二十 四四三〇)

 

≪書き下し≫荒(あら)し男(を)のいをさ手挟(たはさ)み向(むか)ひ立ちかなるましづみ出(い)でてと我(あ)が来(く)る

 

(訳)冷静剛着な男子がいを矢を手挟んで狙いを定め、ぴたりと引く手を止めるように、見送りに騒ぎが静まるのを見はからって、おれは家を出て来た。(同上)

(注)あらしを【荒し男】名詞:荒々しい男。勇ましい男。「あらを」とも。(学研) →伊藤 博氏は脚注で、「私的な感情にめめしく捉われたりしないはずの、剛の男をいう。荒れすさんだ男をいう「荒男(あらを)」とは、別語、と書かれている。

(注)かなるましづみ 分類連語:騒がしい間を静かにこっそりと。▽真義は不詳。 ※上代東国方言か。成り立ち不詳。(学研)

 

◆佐左賀波乃 佐也久志毛用尓 奈ゝ弁加流 去呂毛尓麻世流 古侶賀波太波毛

               (作者未詳 巻二十 四四三一)

 

 

≪書き下し≫笹(ささ)が葉(は)のさやぐ霜夜(しもよ)に七重(ななへ)着(か)る衣(ころも)に増(ま)せる子(こ)ろが肌(はだ)はも

 

(訳)笹の葉のそよぐこの寒い霜夜に、七重も重ねて着る衣、その衣にもまさるあの子の肌は。(同上)

(注)着(か)る:「着(け)る」の東国形。

 

◆佐弁奈弁奴 美許登尓阿礼婆 可奈之伊毛我 多麻久良波奈礼 阿夜尓可奈之毛

               (作者未詳 巻二十 四四三二)

 

≪書き下し≫障(さ)へなへぬ命(みこと)にあれば愛(かな)し妹(いも)が手枕(たまくら)離(はな)れあやに悲しも

 

(訳)拒もうにも拒めない大君の仰せであるので、いとしいあの子の手枕を離れて来てしまって、ただむしょうにせつない。(同上)

(注)さへなふ【障へなふ】他動詞:こばむ。断る。(学研)

 

巻二十の防人の歌にあって、この八首の「昔年防人歌」は、作者未詳となっているが、 勝宝七歳(七五七年)二月に、東国から徴集され防人として任についた人たちは名前が明記されている。

防人達が奉った歌は一六六首であるが、「ただし、拙劣の歌は取り載せず」とあり、結局万葉集には、八十四首が収録されたのである。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「古代史で楽しむ万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」