万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう(その2597の2)―書籍掲載歌を中軸に―

●歌は、「小垣内の 麻を引き干し 妹なねが 作り着せけむ 白栲の 紐をも解かず・・・(田辺福麻呂 9-1800)」、「八千桙の 神の御世より 百舟の 泊つる泊と 八島国 百舟人の 定めてし 敏馬の浦は・・・(田辺福麻呂 6-1065)」である。

 

 「古代史で楽しむ 万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫)によると、「役人であり歌人であった福麻呂に、地方でのどんな役割があったのか、・・・彼は足柄山(あしがらやま)を越えては死人を見(巻九、一八〇〇)、敏馬(みぬめ)の浦(巻六、一〇六五・一〇六六)、芦屋処女(あしやのおとめ)の墓(巻九、一八〇一~一八〇三)を過ぎては歌を作っている。」(同著)

古代史で楽しむ万葉集 (角川ソフィア文庫) [ 中西 進 ]

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感想(3件)

 本稿では、巻九 一八〇〇歌と巻六 一〇六五・一〇六六歌をみてみよう。

 

■巻九 一八〇〇歌■

題詞は、「過足柄坂見死人作歌一首」<足柄(あしがら)の坂を過ぐるに、死人(しにん)を見て作る歌一首>である。

(注)足柄:箱根山の北の峠。駿河と相模の国境。(伊藤脚注)

(注)死人:行き倒れて死んでいる人。(伊藤脚注)

 

◆小垣内之 麻矣引干 妹名根之 作服異六 白細乃 紐緒毛不解 一重結 帶矣三重結 <苦>伎尓 仕奉而 今谷裳 國尓退而 父妣毛 妻矣毛将見跡 思乍 徃祁牟君者 鳥鳴 東國能 恐耶 神之三坂尓 和霊乃 服寒等丹 烏玉乃 髪者乱而 邦問跡 國矣毛不告 家問跡 家矣毛不云 益荒夫乃 去能進尓 此間偃有

       (田辺福麻呂 巻九 一八〇〇)

 

≪書き下し≫小垣内(をかきつ)の 麻(あさ)を引き干(ほ)し 妹なねが 作り着せけむ 白栲(しろたへ)の 紐(ひも)をも解かず 一重(ひとへ)結(ゆ)ふ 帯(おび)を三重(みへ)結(ゆ)ひ 苦しきに 仕(つか)へ奉(まつ)りて 今だにも 国に罷(まか)りて 父母(ちちはは)も 妻をも見むと 思ひつつ 行きけむ君は 鶏(とり)が鳴く 東(あづま)の国の 畏(かしこ)きや 神の御坂(みさか)に 和妙(にきたへ)の 衣(ころも)寒(さむ)らに ぬばたまの 髪は乱れて 国問(と)へど 国をも告(の)らず 家問(と)へど 家をも言はず ますらをの 行きのまにまに ここに臥(こ)やせる

 

(訳)垣根の内の庭畠の麻を引き抜いて干し、いとしいお人が布に織って着せてくれた白い着物の紐も解かないまま、一廻(まわ)りの帯を三廻りにも結ぶほど瘦せ細り、つらさに堪えながら任務を果たして、今すぐにでも家に帰って父母にも妻にも逢おうと、胸はずませて道を辿ったあなたは、遠い東の国の、恐ろしい神の支配されるこの坂で、柔らかな着物も寒々と、黒い髪の毛はばらばらに乱れて、国はどこかと尋ねても国の名も告げず、家はどこかと尋ねても家のありかも言わず、雄々しい立派な男子が、遠く故郷を離れたまま、こんな所に臥せっておられる。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)小垣内(をかきつ):「小」は接頭語。(伊藤脚注)

(注の注)かきつ【垣内】:《「かきうち」の音変化か》垣根に囲まれたうち。屋敷地の中。かいと。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)妹なね:ナネは親愛の接尾語。(伊藤脚注)

(注)帯(おび)を三重(みへ)結(ゆ)ひ:勤務の苦しさに痩せたさま。(伊藤脚注)

(注)行きけむ君は:故郷へと道を辿った君は。(伊藤脚注)

(注)とりがなく【鳥が鳴く・鶏が鳴く】分類枕詞:東国人の言葉はわかりにくく、鳥がさえずるように聞こえることから、「あづま」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)畏(かしこ)きや 神の御坂(みさか)に:恐ろしい神の支配する足柄坂。ヤは間投助詞。(伊藤脚注)

(注)にきたへ【和栲・和妙】名詞:打って柔らかくした布。織り目の細かい布。 ※「にき」は接頭語。中古以降は「にぎたへ」。[反対語] 荒栲(あらたへ)。(学研)

(注)まにまに【随に】分類連語:①…に任せて。…のままに。▽他の人の意志や、物事の成り行きに従っての意。②…とともに。▽物事が進むにつれての意。 ⇒参考:名詞「まにま」に格助詞「に」の付いた語。「まにま」と同様、連体修飾語を受けて副詞的に用いられる。(学研)ここでは①の意

(注)臥やせる:臥っておられる。死の敬避表現。以上、行路死人への鎮魂歌。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2355)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

■■巻六 一〇六五・一〇六六歌■■

題詞は、「過敏馬浦時作歌一首并短歌」<敏馬(みぬめ)の浦を過ぐる時に作る歌一首并せて短歌>である。

(注)敏馬(みぬめ):神戸市東部、灘(なだ)区の西郷(さいごう)川河口付近の古地名。埋立てによる摩耶埠頭(まやふとう)一帯の地で、国道2号沿い(岩屋中町)に汶売(みぬめ)(敏馬)神社がある。『万葉集』には「玉藻(たまも)刈る敏馬を過ぎて夏草の野島が崎に舟近づきぬ」(柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ))のほか、「敏馬の浦」「敏馬の崎」として多く詠まれている。敏馬神社の境内には柿本人麻呂の万葉歌碑がある。かつては難波津(なにわづ)と淡路島の中間にある港であったのであろう。(コトバンク 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ))

 

 

 

■巻六 一〇六五歌■

◆八千桙之 神乃御世自 百船之 泊停跡 八嶋國 百船純乃 定而師 三犬女乃浦者 朝風尓 浦浪左和寸 夕浪尓 玉藻者来依 白沙 清濱部者 去還 雖見不飽 諾石社 見人毎尓 語嗣 偲家良思吉 百世歴而 所偲将徃 清白濱

       (田辺福麻呂 巻六 一〇六五)

 

≪書き下し≫八千桙(やちほこ)の 神の御世(みよ)より 百舟(ものふね)の 泊(は)つる泊(とまり)と 八島国(やしまくに) 百舟人(ももふなびと)の 定(さだ)めてし 敏馬(にぬめ)の浦は 朝風(あさかぜ)に 浦浪騒(さわ)き 夕波(ゆふなみ)に 玉藻(たまも)は来寄る 白(しら)真砂(まなご) 清き浜辺(はまへ)は 行き帰り 見れども飽(あ)かず うべしこそ 見る人ごとに 語り継(つ)ぎ 偲(しの)ひけらしき 百代(ももよ)経(へ)て 偲(しの)はえゆかむ 清き白浜

 

(訳)国造りの神、八千桙の神の御代以来、多くの舟の泊まる港であると、この大八島の国の国中の舟人が定めてきた敏馬の浦、この浦には、朝風に浦波が立ち騒ぎ、夕波に玉藻が寄って来る。白砂の清らかな浜辺は、行きつ戻りついくら見ても見飽きることはない。さればこそ、見る人の誰しもが、この浦の美しさを口々に語り伝え、賞(め)で偲んだのであるらしい。百代ののちまでも長く久しく、いとしまれてゆくにちがいない。この清らかな白砂の浜辺は。(同上)

(注)やちほこのかみ【八千矛神】:大国主神(おおくにぬしのかみ)の別名。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)白真砂(読み)シラマナゴ:白いまさご。白砂。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)うべし【宜し】副詞:いかにももっとも。なるほど。 ※「し」は強意の副助詞。(学研)

(注)偲ひけらしき:賞でてきたのももっともなことだ。ケラシキはケラシの連体形で「うべしこそ」の結び。形容詞活用は連体形でコソを承けた。(伊藤脚注)

(注の注)けらし 助動詞特殊型:《接続》活用語の連用形に付く。①〔過去の事柄の根拠に基づく推定〕…たらしい。…たようだ。②〔過去の詠嘆〕…たのだなあ。…たなあ。 ⇒参考:(1)過去の助動詞「けり」の連体形「ける」に推定の助動詞「らし」の付いた「けるらし」の変化した語。(2)②は近世の擬古文に見られる。(学研)

(注)偲はえゆかむ:「え」は受身の助動詞「ユ」の連用形。(伊藤脚注)

(注の注)ゆ 助動詞:《接続》四段・ナ変・ラ変の動詞の未然形に付く。 ①〔受身〕…れる。…られる。②〔可能〕…できる。③〔自発〕自然と…するようになる。…れる。 ⇒語法(1)上代に限って用いられ、助動詞「る」の発達に伴って衰退した。⇒らゆ(2)「射ゆ」「見ゆ」という語のあることから、古くは上一段活用の未然形にも接続した。 ⇒注意:助動詞「る」に対応するが尊敬の意はない。 ⇒参考:(1)「おもほゆ」「おぼゆ」「聞こゆ」「見ゆ」などの「ゆ」も、もと、この助動詞であったが、これらは「ゆ」と複合した一語の動詞と考えられる。(2)現代語の連体詞「あらゆる」「いわゆる」は、「あり」「言ふ」の未然形に、連体形の「ゆる」が接続して固定化したものである。(学研)

 

神戸市灘区窟屋中町 敏馬神社拝殿横万葉歌碑(田辺福麻呂 6-1065) 20200603撮影



■巻六 一〇六六歌■

◆真十鏡 見宿女乃浦者 百船 過而可徃 濱有七國

       (田辺福麻呂 巻六 一〇六六)

 

≪書き下し≫まそ鏡敏馬(みぬめ)の浦は百舟(ももふね)の過ぎて行くべき浜ならなくに

 

(訳)よく映る鏡を見るというその敏馬の浦は、ここを通る舟という舟が素通りして行くことのできるような浜ではないのに。(同上) 

(注)まそかがみ【真澄鏡】分類枕詞:鏡の性質・使い方などから、「見る」「清し」「照る」「磨(と)ぐ」「掛く」「向かふ」「蓋(ふた)」「床(とこ)」「面影(おもかげ)」「影」などに、「見る」ことから「み」を含む地名「敏馬(みぬめ)」「南淵山(みなぶちやま)」にかかる。(学研)

(注)過ぎて行くべき浜ならなくに:素通りできるような浜ではない。(伊藤脚注)

 

 

 

神戸市灘区窟屋中町 敏馬神社拝殿横万葉歌碑(田辺福麻呂 6-1066) 20200603撮影

 

■巻六 一〇六七歌■

◆濱清 浦愛見 神世自 千船湊 大和太乃濱

       (田辺福麻呂 巻六 一〇六七)

 

≪書き下し≫浜清み浦うるはしみ神代(かみよ)より千舟(ちふね)の泊(は)つる大和太(おほわだ)の浜(はま)

 

(訳)浜は清らかで、浦も立派なので、遠い神代の時から舟という舟が寄って来て泊まった大和太(おおわだ)の浜なのだ、ここは。(同上)

(注)大和太の浜:神戸市兵庫区和田岬から北東方へかけて湾入した海岸。(伊藤脚注)

 

 

 

 左注は「右廿一首田邊福麻呂之歌集中出也」<右の二十一首は、田辺福麻呂(たなべのさきまろ)が歌集の中に出づ>である。伊藤 博氏は、脚注で「この歌集の歌は福麻呂自身の作と見られる」と記されている。

 

 

 この歌群については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その564)、(その565)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「古代史で楽しむ 万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「コトバンク デジタル大辞泉

★「コトバンク 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)」