●歌は、「うちひさつ三宅の原ゆ直土に足踏み貫き夏草を腰になづみいかなるや人の子ゆゑぞ通はすも我子うべなうべな母は知らじうべなうべな父は知等地蜷の腸か黒き髪に真木綿もちあざさ結ひ垂れ大和の黄楊の小櫛を押へ刺すうらぐわし子それぞわが妻(作者未詳 13-3295)である。
【三宅の原】
「作者未詳(巻十三‐三二九五)(歌は省略) ・・・一首としては自問自答になっている。『真木綿(まゆふ)』は楮(こうぞ)の繊維のきれ、『あざさ』髪の形か飾か、植物説もある。古代の演劇風な歌曲としてうたわれた歌であろう。『みやけ』はもともと屯倉、すなわち皇室御料地の稲穀を収める倉庫の意で、したがってこの地名は各地にあるが、ここの『三宅』は磯城郡三宅郷、いまの同郡三宅村(昭和49年磯城郡三宅町に町政施行。)や田原本町宮古付近といわれている。・・・付近に唐子(からこ)(田原本町)の古代遺跡もあり、古くから平野のまん中の穀倉地帯であった。」(「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 平凡社ライブラリーより)
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巻十三 三二九五歌をみていこう。
■巻十三 三二九五歌■
◆打久津 三宅乃原従 常土 足迹貫 夏草乎 腰尓魚積 如何有哉 人子故曽 通簀文吾子 諾ゝ名 母者不知 諾ゝ名 父者不知 蜷腸 香黒髪丹 真木綿持 阿邪左結垂 日本之 黄楊乃小櫛乎 抑刺 卜細子 彼曽吾孋
(作者未詳 巻十三 三二九五)
≪書き下し≫うちひさつ 三宅(みやけ)の原ゆ 直土(ひたつち)に 足踏(ふ)み貫(ぬ)き 夏草を 腰になづみ いかなるや 人の子ゆゑぞ 通(かよ)はすも我子(あご) うべなうべな 母は知らじ うべなうべな 父は知らじ 蜷(みな)の腸(わた) か黒(ぐろ)き髪に 真木綿(まゆふ)もち あざさ結(ゆ)ひ垂(た)れ 大和の 黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)を 押(おさ)へ刺(さ)す うらぐはし子 それぞ我(わ)が妻
(訳)うちひさつ三宅の原を、地べたに裸足なんかを踏みこんで、夏草に腰をからませて、まあ、いったいどこのどんな娘御(むすめご)ゆえに通っておいでなのだね、お前。ごもっともごもっとも、母さんはご存じありますまい。ごもっともごもっとも、父さんはご存じありますまい。蜷の腸そっくりの黒々とした髪に、木綿(ゆう)の緒(お)であざさを結わえて垂らし、大和の黄楊(つげ)の小櫛(おぐし)を押えにさしている妙とも妙ともいうべき子、それが私の相手なのです。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)うちひさす:「三宅」の枕詞。「宮」の意。以下、親の問いかけに、息子が相手の女の魅力を打ち明ける。(伊藤脚注)
(注の注)うちひさす【打ち日さす】分類枕詞:日の光が輝く意から「宮」「都」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは「三宅」にかかっている。
(注)ひたつち【直土】名詞:地面に直接接していること。 ※「ひた」は接頭語。(学研)
(注)こしなづむ【腰泥む】分類連語:腰にまつわりついて、行き悩む。難渋する。(学研)
(注)うべなうべな【宜な宜な・諾な諾な】副詞:なるほどなるほど。いかにももっともなことに。(学研)
(注)みなのわた【蜷の腸】分類枕詞:蜷(=かわにな)の肉を焼いたものが黒いことから「か黒し」にかかる。(学研)
(注)ゆふ【木綿】名詞:こうぞの樹皮をはぎ、その繊維を蒸して水にさらし、細く裂いて糸状にしたもの。神事で、幣帛(へいはく)としてさかきの木などに掛ける。(学研)
(注)あざさ:ミツガシワ科アサザ属の多年生水草。ユーラシア大陸の温帯地域に生息し、日本では本州や九州に生息。5月から10月頃にかけて黄色の花を咲かせる水草。(三宅町HP) ※あざさは三宅町の町花である。現在の植物名は「アサザ」である。
(注)うらぐはし子:霊妙で美しい娘。巫女など近寄りがたい女か。(伊藤脚注)
(注の注)うらぐはし【うら細し・うら麗し】形容詞:心にしみて美しい。見ていて気持ちがよい。すばらしく美しい。(学研)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その432)」で「三宅の原万葉歌碑」とともに紹介している。
➡ こちら432
太子道と「三宅の原万葉歌碑」は下記の地図を参照してください。
南都銀行HPより引用作成させていただきました。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「三宅町HP」
★「南都銀行HP」