万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう(その2597の1)―書籍掲載歌を中軸に―

●歌は、「布勢の浦を行きてし見てばももしきの大宮人に語り継ぎてむ(田辺福麻呂 18-4040)」である。

 

 「古代史で楽しむ 万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫)の「田辺福麻呂(たなべのさきまろ)」の項を読み進んでいこう。

 「白鳳の朝廷に人麻呂をもち、また両女帝の先代にも赤人・金村らをもった宮廷派の和歌も、この天平時代に絶え果てたわけではない。この宮廷派の最後を飾る歌人として、われわれは田辺福麻呂という作者を知っている。福麻呂の履歴についても、他の宮廷派同様詳しくはわからない。たったひとつ、天平二十年(七四八)三月下旬橘諸兄の使者として越中の家持を訪れていて、そのときには造酒司(みきつくるつかさ)の令史だったことだけが記されている。家持はこのとき国司の館(やかた)に饗宴(きょうえん)をもうけ歌を作りあったが、さらに越(こし)の名勝布勢の水海(ふせのみずうみ)に彼をともない、時に遊女土師(はにし)、掾(じょう)(国庁の三等官)の久米広縄(くめのひろなわ)が同行している。翌日はさらに広縄の宅(やかた)でも歓待の宴がもよおされた。その折の、(巻一八、四〇四〇)(歌は省略)という福麻呂の歌が、家持にとっては都への想いの橋渡しとなったことだった。」(同著)

(注)天平二十年(七四八)三月下旬橘諸兄の使者として越中の家持を訪れていて、そのときには造酒司(みきつくるつかさ)の令史だったことだけが記されている。:具体的には、四〇三二から四〇三五歌の歌群の題詞は、「天平廿年春三月廾三日左大臣橘家之使者造酒司令史田邊福麻呂饗于守大伴宿祢家持舘爰作新歌幷便誦古詠各述心緒」<天平(てんびやう)二十年の春の三月の二十三日に、左大臣橘家の使者、造酒司(さけのつかさ)の令史(さくわん)田辺史福麻呂(たなべのふびとさきまろ)に、守(かみ)大伴宿禰家持が舘(たち)にして饗(あへ)す。ここに新(あらた)いき歌を作り、幷(あは)せてすなはち古き詠(うた)を誦(うた)ひ、おのもおのも心緒(おもひ)を述ぶ>である。

古代史で楽しむ万葉集 (角川ソフィア文庫) [ 中西 進 ]

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感想(3件)

 

四〇三二から四〇三五歌の歌群については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その843)」で紹介している。

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 四〇三六~四〇四三の歌群の歌をみてみよう。

 

■■巻十八 四〇三六~四〇四三歌■■

題詞は、「于時期之明日将遊覧布勢水海仍述懐各作歌」<時に、明日(あくるひ)に布勢(ふせ)の水海(みづうみ)に遊覧せむことを期(ねが)ひ、よりて、懐(おもひ)を述べておのもおのも作る歌>である。

(注)時に:その時に。四〇三一~四〇三五歌は二十三日、以下四〇四三までは二十四日の歌。この直前に歌の脱落があり、「時に」はそれを承けるらしい。(伊藤脚注)

 

■巻十八 四〇三六歌■

◆伊可尓安流 布勢能宇良曽毛 許己太久尓 吉民我弥世武等 和礼乎等登牟流

        (田辺福麻呂 巻十八 四〇三六)

 

≪書き下し≫いかにある布勢(ふせ)の浦ぞもここだくに君が見せむと我れを留(とど)むる

 

(訳)どんなところなのでしょう。布勢の浦というのは。これほど熱心に、あなたが見せようと私をお引き留めになるとは。(同上)

(注)いかにある布勢の浦ぞも:どんなところなのか、布勢の浦は。(伊藤脚注)

(注の注)ぞも 分類連語:〔疑問表現を伴って〕…であるのかな。▽詠嘆を込めて疑問の気持ちを強調する意を表す。 ※上代は「そも」とも。 ⇒なりたち:係助詞「ぞ」+終助詞「も」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ここだくに>ここだ【幾許】副詞:①こんなにもたくさん。こうも甚だしく。▽数・量の多いようす。②たいへんに。たいそう。▽程度の甚だしいようす。 ※上代語。(学研)

(注)留むる:引き留めるとは。連体形止め。この歌の題詞の前に脱落した歌は家持の詠で、布勢の海をほめる作であったか。(伊藤脚注)

 

左注は、「右一首田邊史福麻呂 」<右の一首は、田辺史福麻呂(たなべのふびとさきまろ)>である。

 

 

 

■巻十八 四〇三七歌■

◆乎敷乃佐吉 許藝多母等保里 比祢毛須尓 美等母安久倍伎 宇良尓安良奈久尓 <一云 伎美我等波須母>

         (大伴家持 巻十八 四〇三七)

 

≪書き下し≫乎布(をふ)の崎(さき)漕(こ)ぎた廻(もとほ)りひねもすに見とも飽(あ)くべき浦にあらなくに  <一には「君が問はすも」といふ>

 

(訳)乎布の崎、その﨑を漕ぎめぐって、日がな一日みても見飽きるような浦ではないのですぞ。ここは。(同上)

(注)乎布の崎:布勢の水海の南岸。(伊藤脚注)

(注)ひねもす(に)【終日(に)】副詞:朝から晩まで。一日じゅう。終日。[反対語] 夜(よ)もすがら。(学研)

(注)「君が問はすも」は第六句であり、仏足石歌体歌であったらしい。「なのに、あなたはお尋ねになるのですね」の意味。

(注の注)仏足石歌(読み)ぶっそくせきか:奈良県薬師寺に現存する仏足石歌碑 (753頃造建) に刻まれた歌謡。歌はかたわらの仏足石をたたえるもの 17首,仏道を勧めるもの 4首の合計 21首。万葉がなで記され,5・7・5・7・7・7の形式をもつ。第6句は第5句の小異を含む繰り返しで,本文より小さい字で記されている。この形式は仏足石歌体と呼ばれ,『古事記』『日本書紀』『万葉集』や風土記にも少数あるが,成立的には短歌から派生したもので,歌謡的性格が濃い。(コトバンク ブリタニカ国際大百科事典)

 

 ちなみに、仏足石歌体歌の歌は、万葉集では巻十六 三八八四歌のみである。

 

左注は、「右一首守大伴宿祢家持 」<右の一首は、守大伴宿禰家持>である。

 

 

 

 

■巻十八 四〇三八歌■

◆多麻久之氣 伊都之可安氣牟 布勢能宇美能 宇良乎由伎都追 多麻母比利波牟

        (田辺福麻呂 巻十八 四〇三八)

 

≪書き下し≫玉櫛笥(たまくしげ)いつしか明けむ布勢の海の浦を行きつつ玉も拾(ひり)はむ

 

(訳)玉櫛笥を開けるというではないが、いつになったら夜が明けるのでしょう。一刻も早く、布勢の海の入江を行きめぐりながら、家づとに小石の玉なんぞも広いたいものです。(同上)

(注)たまくしげ【玉櫛笥・玉匣】名詞:櫛(くし)などの化粧道具を入れる美しい箱。 ※「たま」は接頭語。歌語。

たまくしげ【玉櫛笥・玉匣】分類枕詞:くしげを開けることから「あく」に、くしげにはふたがあることから「二(ふた)」「二上山」「二見」に、ふたをして覆うことから「覆ふ」に、身があることから、「三諸(みもろ)・(みむろ)」「三室戸(みむろと)」に、箱であることから「箱」などにかかる。(学研)

(注)玉:水中の石や貝。(伊藤脚注)

 

 

 

■巻十八 四〇三九歌■

◆於等能未尓 伎吉底目尓見奴 布勢能宇良乎 見受波能保良自 等之波倍奴等母

         (田辺福麻呂 巻十八 四〇三九)

 

≪書き下し≫音(おと)のみに聞きて目に見ぬ布勢の浦を見ずは上(のぼ)らじ年は経(へ)ぬとも

 

(訳)評判に聞くばかりでこの目でまだ見たことのない布勢の浦、その布勢の浦を見ない限りは都に上りますまい。たとえ年は改まっても。(同上)

(注)見ずは上らじ:見ないでは都には上るまい。(伊藤脚注)

 

 

 

 

■巻十八 四〇四〇歌■

◆布勢能宇良乎 由吉底之見弖婆 毛母之綺能 於保美夜比等尓 可多利都藝底牟

       (田辺福麻呂 巻十八 四〇四〇)

 

≪書き下し≫布勢の浦を行(ゆ)きてし見てばももしきの大宮人(おほみやひと)に語り継(つ)ぎてむ

 

(訳)布勢の浦、その浦へ行ってこの目でみたなら、そのすばらしさを、かならず大宮人たちに語り伝えましょう。(同上)

(注)見てば:見たなら。前歌の「見ずは」を承ける。(伊藤脚注)

(注の注)てば 分類連語:もし…たならば。もし…しまったら。▽順接の仮定条件を表す。多く、下に反実仮想の助動詞「まし」を伴い、事実と反する事柄や実現しそうもないことを仮定し、その上で推量する意を表す。 ※なりたち完了の助動詞「つ」の未然形+接続助詞「ば」(学研)

 

 

 

■巻十八 四〇四一歌■

◆宇梅能波奈 佐伎知流曽能尓 和礼由可牟 伎美我都可比乎 可多麻知我底良

       (田辺福麻呂 巻十八 四〇四一)

 

≪書き下し≫梅の花咲き散る園(その)に我れ行かむ君が使(つかひ)を片待(かたま)ちがてら

 

(訳)梅の花が咲いては散る園、その美しい園に、私は行きましょう。あの方からのお使いを心待ちしながら。(同上)

(注)布勢の海の南岸に「園」という地名のあることを聞いて持ちだした歌か。巻十 一九〇〇歌に、類歌がある。「梅の花咲き散る園(その)に我れ行かむ君が使(つかひ)を片待(かたま)ちがてり(作者未詳)」(伊藤脚注)

 

 

 

■巻十八 四〇四二歌■

◆敷治奈美能 佐伎由久見礼婆 保等登藝須 奈久倍吉登伎尓 知可豆伎尓家里

         (田辺福麻呂 巻十八 四〇四二)

 

≪書き下し≫藤波(ふづなみ)の咲き行く見ればほととぎす鳴くべき時に近(ちか)づきにけり

 

(訳)藤の花房が次々と咲いてゆくのを見ると、季節は、時鳥の鳴き出す時にいよいよちかづいたのですね。(同上)

(注)藤波の:布施の藤波の美しさを聞いて詠んだ歌か。(伊藤脚注)

 

左注は、「右五首田邊史福麻呂」<右の五首は、田辺史福麻呂>である。

 

 

 

■巻十八 四〇四三歌■

◆安須能比能 敷勢能宇良未能 布治奈美尓 氣太之伎奈可受 知良之底牟可母 <一頭云 保等登藝須>

       (大伴家持 巻十八 四〇四三)

 

 (注)歌碑は一句に「保等登藝須」をもってきている。

 

≪書き下し≫明日(あす)の日の布勢の浦廻(うらみ)の藤波にけだし来鳴かず散らしてむかも <一には頭に「ほととぎす」といふ>

 

(訳)明日という日の、布勢の入江の藤の花には、おそらく時鳥は来て鳴かないまま、散るにまかせてしまうのではないでしょうか。(同上)

(注)けだし来鳴かず:ひょっとしたら時鳥がやって来て鳴かないまま。(伊藤脚注)

(注)散らしてむかも:散らしてしまうことになりはしないか。「散らす」は散るのを作者の責任のように言ったもの。(伊藤脚注)

(注)「頭」は、ここは第一句をさす。(伊藤脚注)

 

四〇四三歌の左注は、「右一首大伴宿祢家持和之    前件十首歌者廿四日宴作之」<右の一首は、大伴宿禰家持和(こた)ふ    前(さき)の件(くだり)の十首の歌は、二十四日の宴(うたげ)にして作る>である

(注)十首とあるが、四〇三六歌以下のことであり、脱落したようである。

 

 

 この歌群のついては、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その815)」で紹介している。

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氷見市十二町 稲荷社(大フジ前)万葉歌碑(大伴家持 18-4043) 20201104撮影



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「古代史で楽しむ 万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク ブリタニカ国際大百科事典」