―その814―
●歌は、「布勢の海の沖つ白波あり通ひいや年のはに見つつ偲はむ」である。
●歌碑は、氷見市十二町 日宮神社にある。
●歌をみてみよう。
この歌は、前稿のブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その813)」で紹介している。
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◆布勢能宇美能 意枳都之良奈美 安利我欲比 伊夜登偲能波尓 見都追思努播牟
(大伴家持 巻十七 三九九二)
≪書き下し≫布勢(ふせ)の海の沖つ白波(しらなみ)あり通(がよ)ひいや年のはに見つつ偲(しの)はむ
(訳)布勢の海の沖に立つ白波、立ち続けてやまぬその波のように、ずっと通い続けて、来る年も来る年もこの眺めを賞(め)でようぞ。(同上)
左注は、「右守大伴宿祢家持作之 四月廿四日」<右は、守(かみ)大伴宿禰家持作る 四月の二十四日>である。
日宮神社の鳥居と神社名碑は、道をはさんで十二町潟水郷公園のほぼ真向いにある。この歌碑は良く見ると、揮毫が宮司であり、個人の方が奉納されている。奇特な方がいらっしゃるものである。
―その815―
●歌は、「明日の日の布勢の浦廻の藤波にけだし来鳴かず散らしてむかも」である。
●歌碑は、氷見市十二町 稲荷社(大フジ前)にある。
●歌をみてみよう。
◆安須能比能 敷勢能宇良未能 布治奈美尓 氣太之伎奈可受 知良之底牟可母 一頭云 保等登藝須
(大伴家持 巻十八 四〇四三)
(注)歌碑は一句に「保等登藝須」をもってきている。
≪書き下し≫明日(あす)の日の布勢の浦廻(うらみ)の藤波にけだし来鳴かず散らしてむかも <一には頭に「ほととぎす」といふ>
(訳)明日という日の、布勢の入江の藤の花には、おそらく時鳥は来て鳴かないまま、散るにまかせてしまうのではないでしょうか。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
四〇三六から四〇四三歌の歌群の題詞は、「于時期之明日将遊覧布勢水海仍述懐各作歌」<時に、明日(あくるひ)に布勢(ふせ)の水海(みづうみ)に遊覧せむことを期(ねが)ひ、よりて、懐(おもひ)を述べておのもおのも作る歌>である。
四〇四三歌の左注は、「右一首大伴宿祢家持和之 前件十首歌者廿四日宴作之」<右の一首は、大伴宿禰家持和(こた)ふ 前(さき)の件(くだり)の十首の歌は、二十四日の宴(うたげ)にして作る>である
(注)十首とあるが、四〇三六歌以下のことであり、脱落したようである。
四〇三六歌以降をみてみよう。
◆伊可尓安流 布勢能宇良曽毛 許己太久尓 吉民我弥世武等 和礼乎等登牟流
(田辺福麻呂 巻十八 四〇三六)
≪書き下し≫いかにある布勢(ふせ)の浦ぞもここだくに君が見せむと我れを留(とど)むる
(訳)どんなところなのでしょう。布勢の浦というのは。これほど熱心に、あなたが見せようと私をお引き留めになるとは。(同上)
(注)ぞも 分類連語:〔疑問表現を伴って〕…であるのかな。▽詠嘆を込めて疑問の気持ちを強調する意を表す。 ※上代は「そも」とも。 ※※なりたち係助詞「ぞ」+終助詞「も」weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)ここだくに>ここだ【幾許】副詞:①こんなにもたくさん。こうも甚だしく。▽数・量の多いようす。②たいへんに。たいそう。▽程度の甚だしいようす。 ※上代語。(学研)
左注は、「右一首田邊史福麻呂 」<右の一首は、田辺史福麻呂(たなべのふびとさきまろ)>である。
◆乎敷乃佐吉 許藝多母等保里 比祢毛須尓 美等母安久倍伎 宇良尓安良奈久尓 一云 伎美我等波須母
(大伴家持 巻十八 四〇三七)
≪書き下し≫乎布(をふ)の崎(さき)漕(こ)ぎた廻(もとほ)りひねもすに見とも飽(あ)くべき浦にあらなくに <一には「君が問はすも」といふ>
(訳)乎布の崎、その﨑を漕ぎめぐって、日がな一日みても見飽きるような浦ではないのですぞ。ここは。(同上)
(注)乎布の崎:布勢の水海の南岸。
(注)ひねもす(に)【終日(に)】副詞:朝から晩まで。一日じゅう。終日。[反対語] 夜(よ)もすがら。(学研)
(注)「君が問はすも」は第六句であり、仏足石歌体歌であったらしい。「なのに、あなたはお尋ねになるのですね」の意味。
(注の注)仏足石歌(読み)ぶっそくせきか:奈良県の薬師寺に現存する仏足石歌碑 (753頃造建) に刻まれた歌謡。歌はかたわらの仏足石をたたえるもの 17首,仏道を勧めるもの 4首の合計 21首。万葉がなで記され,5・7・5・7・7・7の形式をもつ。第6句は第5句の小異を含む繰り返しで,本文より小さい字で記されている。この形式は仏足石歌体と呼ばれ,『古事記』『日本書紀』『万葉集』や風土記にも少数あるが,成立的には短歌から派生したもので,歌謡的性格が濃い。(コトバンク ブリタニカ国際大百科事典)
ちなみに、仏足石歌体歌の歌は、万葉集では巻十六 三八八四歌のみである。
左注は、「右一首守大伴宿祢家持 」<右の一首は、守大伴宿禰家持>えある。
◆多麻久之氣 伊都之可安氣牟 布勢能宇美能 宇良乎由伎都追 多麻母比利波牟
(田辺福麻呂 巻十八 四〇三八)
≪書き下し≫玉櫛笥(たまくしげ)いつしか明けむ布勢の海の浦を行きつつ玉も拾(ひり)はむ
(訳)玉櫛笥を開けるというではないが、いつになったら夜が明けるのでしょう。一刻も早く、布勢の海の入江を行きめぐりながら、家づとに小石の玉なんぞも広いたいものです。(同上)
(注)たまくしげ【玉櫛笥・玉匣】名詞:櫛(くし)などの化粧道具を入れる美しい箱。 ※「たま」は接頭語。歌語。
たまくしげ【玉櫛笥・玉匣】分類枕詞:くしげを開けることから「あく」に、くしげにはふたがあることから「二(ふた)」「二上山」「二見」に、ふたをして覆うことから「覆ふ」に、身があることから、「三諸(みもろ)・(みむろ)」「三室戸(みむろと)」に、箱であることから「箱」などにかかる。(学研)
(注)玉:水中の石や貝
◆於等能未尓 伎吉底目尓見奴 布勢能宇良乎 見受波能保良自 等之波倍奴等母
(田辺福麻呂 巻十八 四〇三九)
≪書き下し≫音(おと)のみに聞きて目に見ぬ布勢の浦を見ずは上(のぼ)らじ年は経(へ)ぬとも
(訳)評判に聞くばかりでこの目でまだ見たことのない布勢の浦、その布勢の浦を見ない限りは都に上りますまい。たとえ年は改まっても。(同上)
(注)見ずは上らじ:見ないでは都には上るまい
◆布勢能宇良乎 由吉底之見弖婆 毛母之綺能 於保美夜比等尓 可多利都藝底牟
(田辺福麻呂 巻十八 四〇四〇)
≪書き下し≫布勢の浦を行(ゆ)きてし見てばももしきの大宮人(おほみやひと)に語り継(つ)ぎてむ
(訳)布勢の浦、その浦へ行ってこの目でみたなら、そのすばらしさを、かならず大宮人たちに語り伝えましょう。(同上)
(注)てば 分類連語:もし…たならば。もし…しまったら。▽順接の仮定条件を表す。多く、下に反実仮想の助動詞「まし」を伴い、事実と反する事柄や実現しそうもないことを仮定し、その上で推量する意を表す。 ※なりたち完了の助動詞「つ」の未然形+接続助詞「ば」(学研)
◆宇梅能波奈 佐伎知流曽能尓 和礼由可牟 伎美我都可比乎 可多麻知我底良
(田辺福麻呂 巻十八 四〇四一)
≪書き下し≫梅の花咲き散る園(その)に我れ行かむ君が使(つかひ)を片待(かたま)ちがてら
(訳)梅の花が咲いては散る園、その美しい園に、私は行きましょう。あの方からのお使いを心待ちしながら。(同上)
(注)布勢の海の南岸に「園」という地名のあることを聞いて持ちだした歌か。巻十 一九〇〇歌に、類歌がある。「梅の花咲き散る園(その)に我れ行かむ君が使(つかひ)を片待(かたま)ちがてり(作者未詳)」
◆敷治奈美能 佐伎由久見礼婆 保等登<藝>須 奈久倍<吉>登伎尓 知可豆伎尓家里
(田辺福麻呂 巻十八 四〇四二)
≪書き下し≫藤波(ふづなみ)の咲き行く見ればほととぎす鳴くべき時に近(ちか)づきにけり
(訳)藤の花房が次々と咲いてゆくのを見ると、季節は、時鳥の鳴き出す時にいよいよちかづいたのですね。(同上)
左注は、「右五首田邊史福麻呂」<右の五首は、田辺史福麻呂>である。
稲荷社(大フジ前)に行こうとナビをセットし、ナビ通り進むも神社らしい建屋も案内標識も見当たらない。もう一度セットし直し進も同じ道を行ったり来たりである。
あきらめて湖光神社を探すがこちらも見つからない。布勢の水海をさまよっているようなものである。
ガソリンを入れるついでに聞いてみるが、聞いたことがないとのこと。しかし、親切に地図帳をもってきてくれ、稲荷社(大フジ前)の住所からこの辺りではと見当をつけてもらう。
地図には両方の神社名とも記載されていなかった。(結局湖光神社はあきらめざるをえなかった)稲荷社特に大フジは前々から是非見たいと思っていたのである。
地図で見ると、稲荷社への道筋から見ると三度ほど通った道である。再度挑戦。ゆっくりと進む。カーブのところの古びた道標のようなものがある。これまで見落していたようである。よく見ると、かすかに「矢崎の大フジ」の文字が。何とかスペースを見つけ車を止め、道標前を数歩進むと、左手、民家の裏側に折れて傾いた鳥居と歌碑が目に飛び込んできた。よくよく見るとまさに大フジが大蛇のごとく社を飲み込んでいる。
藤の花の季節であれば圧巻だろう。
―その816―
歌は、「 明日の日の布勢の浦廻の藤波にけだし来鳴かず散らしてむかも」である。
歌碑は、氷見市布勢 布勢神社御影社にある。
歌をみてみよう。
この歌は、前稿、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その815)」で紹介しているのでここでは省略する。
「布勢の円山」の説明案内板には、「高さおよそ20メートルの独立した丘陵である。万葉集に詠われている「布勢の水海」は、この辺りに広がっていたと想像され、古くから文人墨客が布勢の円山を、そこに浮かぶ小島か﨑として考えた、風光すぐれる万葉ゆかりの地である。全国で初めて大伴家持を祀った御影社(みかげしゃ)や県内最古の万葉歌碑などが建てられている。(後略)」とある。
御影社は、布勢神社の境内社で布勢神社本殿の裏手にあった。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「コトバンク ブリタニカ国際大百科事典」
★「布勢の円山」 (説明案内板)