―その1767―
●歌は、「ちちの実の父の命ははそ葉の母の命おほろかに・・・名を立つべしも」である。
●歌碑は、坂出市沙弥島 万葉樹木園(41)にある。
●歌をみていこう。
題詞は、「慕振勇士之名歌一首 并短歌」<勇士の名を振(ふる)はむことを慕(ねが)ふ歌一首 幷(あは)せて短歌」である。
◆知智乃實乃 父能美許等 波播蘇葉乃 母能美己等 於保呂可尓 情盡而 念良牟 其子奈礼夜母 大夫夜 無奈之久可在 梓弓 須恵布理於許之 投矢毛知 千尋射和多之 劔刀 許思尓等理波伎 安之比奇能 八峯布美越 左之麻久流 情不障 後代乃 可多利都具倍久 名乎多都倍志母
(大伴家持 巻十九 四一六四)
≪書き下し≫ちちの実の 父の命(みこと) ははそ葉(ば)の 母の命(みこと) おほろかに 心尽(つく)して 思ふらむ その子なれやも ますらをや 空(むな)しくあるべき 梓弓(あづさゆみ) 末(すゑ)振り起し 投矢(なげや)持ち 千尋(ちひろ)射(い)わたし 剣(つるぎ)大刀(たち) 腰に取り佩(は)き あしひきの 八(や)つ峰(を)踏(ふ)み越え さしまくる 心障(さや)らず 後(のち)の世(よ)の 語り継ぐべく 名を立つべしも
(訳)ちちの実の父の命も、ははそ葉の母の命も、通り一遍にお心を傾けて思って下さった、そんな子であるはずがあろうか。されば、われらますらおたる者、空しく世を過ごしてよいものか。梓弓の弓末を振り起こしもし、投げ矢を持って千尋の先を射わたしもし、剣太刀、その太刀を腰にしっかと帯びて、あしひきの峰から峰へと踏み越え、ご任命下さった大御心のままに働き、のちの世の語りぐさとなるよう、名を立てるべきである。(同上)
(注)ちちのみの【ちちの実の】分類枕詞:同音の繰り返しで「父(ちち)」にかかる。(学研weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)ちちのみこと【父の命】:父を敬っていう語。父上。父君。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
(注)ははそばの【柞葉の】分類枕詞:「ははそば」は「柞(ははそ)」の葉。語頭の「はは」から、同音の「母(はは)」にかかる。「ははそはの」とも。(学研)
(注の注)ははそ【柞】名詞:なら・くぬぎなど、ぶな科の樹木の総称。紅葉が美しい。[季語] 秋。(学研)
(注)ははのみこと【母の命】名詞:母君。母上。▽母の尊敬語。(学研)
(注)おほろかなり【凡ろかなり】形容動詞:いいかげんだ。なおざりだ。「おぼろかなり」とも。(学研)
(注)や 係助詞《接続》種々の語に付く。活用語には連用形・連体形(上代には已然形にも)に付く。文末に用いられる場合は活用語の終止形・已然形に付く。 ※ここでは、文中にある場合。(受ける文末の活用語は連体形で結ぶ。):①〔疑問〕…か。②〔問いかけ〕…か。③〔反語〕…(だろう)か、いや、…ない。(学研) ここでは、③の意
(注)空しくあるべき:無為に過ごしてよいものであろうか。ここまで前段、次句以下後段。(伊藤脚注)
(注)さしまくる心障(さや)らず:御任命下さった大御心に背くことなく。「さし」は指命する意か。「まくる」は「任く」の連体形。(伊藤脚注)
(注の注)まく【任く】他動詞:①任命する。任命して派遣する。遣わす。②命令によって退出させる。しりぞける。(学研) ここでは①の意
(注の注)さやる【障る】自動詞:①触れる。ひっかかる。②差し支える。妨げられる。(学研)
この歌ならびに四一五九から四一六五歌の歌群についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その867)」で紹介している。
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「ちちの実の 父の命(みこと) 」「ははそ葉(ば)の 母の命(みこと)」の両句は、家持の四四〇八歌にみえる。
四四〇八歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1507)」で紹介している。
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「ははそ」は、藤原宇合の一七三〇歌にみえる。
一七三〇歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その553)」で紹介している。
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―その1768―
●歌は、「ちちの実の父の命ははそ葉の母の命おほろかに・・・名を立つべしも」である。
●歌碑は、坂出市沙弥島 万葉樹木園(42)にある。
●歌は、前稿(その1767)と同じである。歌碑の写真の掲載にとどめる。
―その1769―
●歌は、「多祜の浦の底さえにほふ藤波をかざして行かむ見ぬ人のため」である。
●歌碑は、坂出市沙弥島 万葉樹木園(43)にある。
●歌をみていこう。
四一九九~四二〇二歌の題詞は、「十二日遊覧布勢水海船泊於多祜灣望見藤花各述懐作歌四首」<十二日に、布勢水海(ふせのみづうみ)に遊覧するに、多祜(たこ)の湾(うら)に舟泊(ふなどま)りす。藤の花を望み見て、おのもおのも懐(おもひ)を述べて作る歌四首>である。
◆多祜乃浦能 底左倍尓保布 藤奈美乎 加射之氐将去 不見人之為
(内蔵忌寸縄麻呂 巻十九 四二〇〇)
≪書き下し≫多祜の浦の底さえへにほふ藤波をかざして行かむ見ぬ人のため
(訳)多祜の浦の水底さえ照り輝くばかりの藤の花房、この花房を髪に挿して行こう。まだ見たことのない人のために。(同上)
(注)富山県氷見市の南にあった布勢の湖(うみ)の湖岸。現在の上田子・下田子や十二町潟のあたり。藤の名所として知られた。[歌枕](コトバンク デジタル大辞泉)
(注の注)布勢の円山は、万葉集に詠まれた美しい布勢の水海の孤島であったとされており、布勢の水海跡にある小丘陵、布勢の円山の頂上に延喜式内社・布勢神社があります。その社殿裏の松林に建つのが、全国で最初に大伴家持を祭った御影社です。万葉関係の碑としては富山県内最古のものです。大伴家持を祀った全国に数少ない社であることから、昔から、アララギ派の歌人・土屋文明をはじめ、万葉に心よせる人々が各地から訪れています。ぜひ訪れてみてはいかがですか。(富山県観光公式サイト「とやま観光ナビ」)
万葉集には、藤を詠んだ歌は二六首収録されている。そのうち「藤波」と詠まれている歌は十八首に上る。
この歌ならびに「藤波」を詠んだ歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1371)」で紹介している。
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「布勢の水海」「布勢の円山」「御影社」についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その814~816)」で紹介している。
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なお、当該歌の歌碑の作者名は大伴家持となっているが、内蔵忌寸縄麻呂である。
―その1770―
●歌は、「我が背子が捧げて持てるほほがしはあたかも似るか青き蓋」である。
●歌碑は、坂出市沙弥島 万葉樹木園(44)にある。
●歌をみていこう。
題詞は、「見攀折保寳葉歌二首」<攀(よ)ぢ折(を)れる保宝葉(ほほがしは)を見る歌二首>である。
◆吾勢故我 捧而持流 保寶我之婆 安多可毛似加 青盖
(講師僧恵行 巻十九 四二〇四)
≪書き下し≫我が背子(せこ)が捧(ささ)げて持てるほほがしはあたかも似るか青き蓋(きぬがさ)
(訳)あなたさまが、捧げて持っておいでのほおがしわ、このほおがしわは、まことにもってそっくりですね、青い蓋(きぬがさ)に。(同上)
(注)我が背子:ここでは大伴家持をさす。
(注)あたかも似るか:漢文訓読的表現。万葉集ではこの一例のみ。
(注)きぬがさ【衣笠・蓋】名詞:①絹で張った長い柄(え)の傘。貴人が外出の際、従者が背後からさしかざした。②仏像などの頭上につるす絹張りの傘。天蓋(てんがい)。(学研)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その965)」で紹介している。
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万葉名「ほほがしは」、現代名「ほおのき」について、広島大学附属福山中・高等学校/編著「万葉植物物語」(中国新聞社)には、「山地に自生する大木です。花は五月、花弁九枚、直径十五㌢もある大きな花が咲きます。材は密で柔らかく、工作が容易です。ゲタの歯、まな板、版木、家具など用途が多い材です。葉は食べものを包んだり、みそ料理に使います。樹皮は乾燥して煎じて服用すれば、健胃、利尿、去痰に効果があるといわれています。万葉集には二首詠まれています。万葉名の『ほほがしわ』はホオノキの葉で食べ物を包んだり、蒸したりした名残だと思われます。」と書かれている。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉植物物語」 広島大学附属福山中・高等学校/編著 (中国新聞社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「富山県観光公式サイト とやま観光ナビ」