万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1505,1506,1507)―静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P43、P44、P45)―万葉集 巻十九 四二〇〇、巻十九 四二〇四、巻二十 四四〇八

―その1505―

●歌は、「多祜の浦の底さえにほふ藤波をかざして行かむ見ぬ人のため」である。

静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P43)万葉歌碑<プレート>(内蔵忌寸縄麻呂)

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P43)にある。

 

●歌をみていこう。

 

四一九九~四二〇二歌の題詞は、「十二日遊覧布勢水海船泊於多祜灣望見藤花各述懐作歌四首」<十二日に、布勢水海(ふせのみづうみ)に遊覧するに、多祜(たこ)の湾(うら)に舟泊(ふなどま)りす。藤の花を望み見て、おのもおのも懐(おもひ)を述べて作る歌四首>である。

 

◆多祜乃浦能 底左倍尓保布 藤奈美乎 加射之氐将去 不見人之為

      (内蔵忌寸縄麻呂 巻十九 四二〇〇)

 

≪書き下し≫多祜の浦の底さえへにほふ藤波をかざして行かむ見ぬ人のため

 

(訳)多祜の浦の水底さえ照り輝くばかりの藤の花房、この花房を髪に挿して行こう。まだ見たことのない人のために。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)たこのうら【多祜の浦】:富山県氷見市の南にあった布勢の湖(うみ)の湖岸。現在の上田子・下田子や十二町潟のあたり。藤の名所として知られた。[歌枕](コトバンク デジタル大辞泉

 

 四一九九~四二〇二歌ならびに「藤波」を詠った歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1371)」で紹介している。

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 家持が詠んだ「多祜の埼」や四一九九歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その817,818)」で紹介している。818では「田子浦藤波神社」の歌碑を紹介している。

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―その1506―

●歌は、「我が背子が捧げて持てるほほがしはあたかも似るか青き蓋」である。

静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P44)万葉歌碑<プレート>(僧恵行)

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P44)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆吾勢故我 捧而持流 保寶我之婆 安多可毛似加 青盖

       (講師僧恵行 巻十九 四二〇四)

 

≪書き下し≫我が背子(せこ)が捧(ささ)げて持てるほほがしはあたかも似るか青き蓋(きぬがさ)

 

(訳)あなたさまが、捧げて持っておいでのほおがしわ、このほおがしわは、まことにもってそっくりですね、青い蓋(きぬがさ)に。(同上)

(注)我が背子:ここでは大伴家持をさす。

(注)あたかも似るか:漢文訓読的表現。万葉集ではこの一例のみ。

(注)きぬがさ【衣笠・蓋】名詞:①絹で張った長い柄(え)の傘。貴人が外出の際、従者が背後からさしかざした。②仏像などの頭上につるす絹張りの傘。天蓋(てんがい)。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 題詞は、「見攀折保寳葉歌二首」<攀(よ)ぢ折(を)れる保宝葉(ほほがしは)を見る歌二首>である。

 

 四二〇四歌については、家持の歌とともにブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その965)」で紹介している。

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 一般財団法人国民公園協会「新宿御苑」HPに、「ホオノキは、モクレン科の落葉高木で、北方領土を含む北海道から九州までの山地や雑木林に自生しています。枝先には大人の手のひら程もある大きな杯形の花が上向きにつきます。8~9弁の花びらの中央部には雌しべと雄しべとが集まって妖艶な赤が印象的です。長い楕円形の葉は日本産の広葉樹の中で最も大きく、こちらも芳香があり、殺菌作用があるため、かつては食物を盛ったり包んだりして用いられ、現在でも朴葉寿司、朴葉餅に、また落ち葉は朴葉味噌や朴葉焼きなどの郷土料理に利用されています。」と書かれている。

「ホオノキ」 一般財団法人国民公園協会「新宿御苑」HPより引用させていただきました。

 

 

―その1507―

●歌は、「・・・ははそ葉の母の命はみ裳の裾摘み上げ掻き撫でちちの実の父の命は・・・」である。

静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P45)万葉歌碑<プレート>(大伴家持

●歌碑(プレート)は、静岡県浜松市北区 三ヶ日町乎那の峯(P45)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「陳防人悲別之情歌一首幷短歌」<防人が悲別の情(こころ)を陳(の)ぶる歌一首幷(あは)せて短歌>である。

 

◆大王乃 麻氣乃麻尓ゝゝ 嶋守尓 和我多知久礼婆 波ゝ蘇婆能 波ゝ能美許等波 美母乃須蘇 都美安氣可伎奈埿 知ゝ能未乃 知ゝ能美許等波 多久頭努能 之良比氣乃宇倍由 奈美太多利 奈氣伎乃多婆久 可胡自母乃 多太比等里之氐 安佐刀埿乃 可奈之伎吾子 安良多麻乃 等之能乎奈我久 安比美受波 古非之久安流倍之 今日太尓母 許等騰比勢武等 乎之美都々 可奈之備麻勢婆 若草之 都麻母古騰母毛 乎知己知尓 左波尓可久美為 春鳥乃 己恵乃佐麻欲比 之路多倍乃 蘇埿奈伎奴良之 多豆佐波里 和可礼加弖尓等 比伎等騰米 之多比之毛能乎 天皇乃 美許等可之古美 多麻保己乃 美知尓出立 乎可之佐伎 伊多牟流其等尓 与呂頭多妣 可弊里見之都追 波呂ゝゝ尓 和可礼之久礼婆 於毛布蘇良 夜須久母安良受 古布流蘇良 久流之伎毛乃乎 宇都世美乃 与能比等奈礼婆 多麻伎波流 伊能知母之良受 海原乃 可之古伎美知乎 之麻豆多比 伊己藝和多利弖 安里米具利 和我久流麻埿尓 多比良氣久 於夜波伊麻佐祢 都ゝ美奈久 都麻波麻多世等 須美乃延能 安我須賣可未尓 奴佐麻都利 伊能里麻乎之弖 奈尓波都尓 船乎宇氣須恵 夜蘇加奴伎 可古等登能倍弖 安佐婢良伎 和波己藝埿奴等 伊弊尓都氣己曽

     (大伴家持 巻二十 四四〇八)

 

≪書き下し≫大君(おほきみ)の 任(ま)けのまにまに 島守(そまもり)に 我が立(た)ち来(く)れば ははそ葉(ば)の 母の命(みこと)は み裳(も)の裾(すそ) 摘(つ)み上(あ)げ掻(か)き撫(な)で ちちの実(み)の 父の命(みこと)は 栲(たく)づのの 白(しら)ひげの上(うへ)ゆ 涙垂(なみだた)り 嘆きのたばく 鹿子(かこ)じもの ただひとりして 朝戸出(あさとで)の 愛(かな)しき我(あ)が子 あらたまの 年の緒(を)長く 相(あひ)見ずは 恋(こひ)しくあるべし 今日(けふ)だにも 言(こと)どひせむと 惜(を)しみつつ 悲しびませば 若草の 妻も子どもも をちこちに さはに囲(かく)み居(ゐ) 春鳥(はるとり)の 声のさまよひ 白栲(しろたへ)の 袖(そで)泣き濡(ぬ)らし たづさはり 別れかてにと 引き留(とど)め 慕ひしものを 大君(おほきみ)の 命(みこと)畏(かしこ)み 玉桙(たまぼこ)の 道に出で立ち 岡(おか)の崎(さき) い廻(た)むるごとに 万(よろづ)たび かへり見しつつ はろはろに 別れし来(く)れば 思ふそら 安くもあらず 恋ふるそら 苦しきものを うつせみの 世の人なれば たまきはる 命(いのち)も知らず 海原(うなはら)の 畏(かしこ)き道を 島伝(づた)ひ い漕(こ)ぎ渡りて あり廻(めぐ)り 我が来るまでに 平(たひら)けく 親(おや)はいまさね つつみなく 妻は待たせと 住吉(すみのゑ)の 我(あ)が統(す)め神(かみ)に 幣(ぬさ)奉(まつ)り 祈(いの)り申(まを)して 難波津(なにはづ)に 船を浮け据(す)ゑ 八十(やそ)楫(か)貫(ぬ)き 水手(かこ)ととのへて 朝開(あさびら)き 我は漕ぎ出ぬと 家に告げこそ

 

(訳)大君の仰せのままに、島守として私が家を出て来た時、ははその母の君はみ裳の裾をつまみ上げて私の顔を撫で、ちちの実の父の君は栲づのの白いひげ伝いに涙を流して、こもごも嘆いておっしゃることに、「鹿の子のようにただひとり家を離れて朝立ちして行くいとしい我が子よ、年月久しく逢わなかったら恋しくてやりきれないだろう、せめて今日だけでも存分に話をしよう」と、名残を惜しみながら悲しまれると、妻や子たちもあちらからこちらからいっぱいに私を取り囲んで、春鳥の鳴き騒ぐようにうめき声をあげてせつながり、白い袖を泣き濡らして、手に取り縋って別れるのはつらいと私を引き留め追って来たのに、大君の仰せの恐れ多さに旅路に出で立ち、岡の出鼻を曲がるごとに、いくたびとなく振り返りながら、こんなにはるかに別れて来ると、思う心も安らかでなく、恋い焦がれる心も苦しくてたまらないのだが・・・、生身のこの世の人間である限り、たまきはる命のほども計りがたいとはいえ、どうか、海原の恐ろしい道、その海原の道を島伝いに漕ぎ渡って、旅路から旅路へとめぐり続けて私が無事に帰って来るまで、親は親で幸福でいてほしい、妻は妻で達者でいてほしいと、我が神と縋る住吉の海の神様に幣を捧げてねんごろにお祈りをし、難波津に船を浮かべ、櫂(かい)をびっしり取り付け水手(かこ)を揃えて、朝早く私は漕ぎ出して行ったと、家の者に知らせて下さい。(同上)

(注)しまもり【島守】名詞:島の番人。(学研)

(注)ははそばの <柞葉の>:同音の「はは」の繰り返しで「母」にかかる枕詞。「ははそば」とは「ははその葉」のことで、ははそは、コナラおよびそれと似たクヌギの総称。万葉集には藤原宇合の歌に「山科の 石田の小野の ははそ原」とあり(9-1730)、ははその木が多く生えた原があったらしい。「ははそ葉の母の命」は大伴家持の歌2首にみられ(19-4164、20-4408)、「ちちの実の 父の命」と対にしてよまれている。この歌において父母を「父の命」「母の命」といった神名のごとき呼称でよむにあたって冠された語であることが知られる。(万葉神事語事典 國學院大學デジタル・ミュージアム

(注)ちちのみの【ちちの実の】分類枕詞:同音の繰り返しで「父(ちち)」にかかる。「ちちのみの父の命(みこと)」(学研)

(注)たくづのの【栲綱の】分類枕詞:栲(こうぞ)の繊維で作った綱は色が白いことから「白」に、また、その音を含む「新羅(しらぎ)」にかかる。(学研)

(注)のたぶ【宣ぶ】他動詞:「のたうぶ」に同じ。>のたうぶ【宣ぶ】他動詞:おっしゃる。「のたぶ」とも。 ▽「言ふ」の尊敬語。(学研)

(注)-じもの 接尾語:名詞に付いて、「…のようなもの」「…のように」の意を表す。「犬じもの」「鳥じもの」「鴨(かも)じもの」。 ※上代語。(学研)

(注)あさとで【朝戸出】名詞:朝、戸を開けて出て行くこと。(学研)

(注)ことどひ【言問ひ】名詞:言葉を言い交わすこと。語り合うこと。(学研)

(注)をちこち【彼方此方・遠近】名詞:①あちらこちら。②将来と現在(学研)

(注)さはに 【多に】副詞:たくさん。(学研)

(注)はるとりの【春鳥の】( 枕詞 ):春に鳴く鳥のようにの意で、「さまよふ」「音(ね)のみ泣く」「声のさまよふ」にかかる。 (weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)さまよふ【吟ふ・呻ふ】自動詞:力のない声でうめく。ため息をつく。 ※上代語。(学研)

(注)たづさはる【携はる】自動詞:①手を取り合う。②連れ立つ。③かかわり合う。関係する。(学研)

(注)したふ【慕ふ】他動詞:①(心引かれて)あとを追う。ついて行く。②恋しく思う。愛惜する。慕う。(学研)

(注)はろばろなり【遥遥なり】形容動詞:遠く隔たっている。「はろはろなり」とも。 ※上代語。

(注)そらなり【空なり】形容動詞:①心がうつろだ。上の空だ。②いい加減だ。あてにならない。③〔連用形「そらに」の形で〕物を見ないで。暗記していて。そらんじていて。(学研) ここでは①の意

(注)たひらけし【平らけし】形容詞:穏やかだ。無事だ。(学研)

(注)つつみなし【恙み無し】形容詞:支障がない。無事である。(学研)

(注)かぢ【楫・梶】名詞:櫓(ろ)や櫂(かい)。船をこぐ道具。(学研)

   類語:真楫(まかじ)繁貫(しじぬ)く :船に左右そろった櫂 (かい) をたくさん取り付ける。(goo辞書)

(注)かこ【水手・水夫】名詞:船乗り。水夫。 ※「か」は「かぢ(楫)」の古形、「こ」は人の意。(学研)

 

 この歌ならびに短歌四首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その548)」で紹介している。

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 「ちち」については、イヌビワとイチョウの2説がある。イヌビワは実を傷つけたりするとイチジクのように白い乳液が出ることから、またイチョウは木が古くなると幹に乳房状の突起ができることから共にチチノキと呼ばれて来た。両者とも有史以前から日本に自生していたと考えられてきたが、近年、イチョウ室町時代になってから中国から渡来したとする説が有力となっており、「ちち」はイヌビワ説が妥当と考えられるようになった。

(注)いぬびわ【犬枇杷/天仙果】:クワ科の落葉低木。暖地に自生。葉は倒卵形。雌雄異株。春、イチジク状の花をつけ、熟すと黒紫色になり、食べられる。こいちじく。いたび。(weblio辞書 デジタル大辞泉

「イヌビワ」 「weblio辞書 デジタル大辞泉」より引用させていただきました。

 

 今回で「三ヶ日町乎那の峯」の万葉歌碑(プレート)の紹介は終わりになります。樹脂製のプレートが、心無い人のせいと思われる破損が目立ったのが非常に残念であった。設置された人々の万葉の歌にかける思いを考えると、憤りすら覚える。

 心穏やかに、歌碑やプレートと向き合いたいものである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「万葉神事語事典」 (國學院大學デジタル・ミュージアムHP)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「コトバンク デジタル大辞泉

★「一般財団法人国民公園協会『新宿御苑』HP

 

※20230629静岡県浜松市に訂正