万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1508)―静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園駐車場―万葉集 巻五 八〇三

●歌は、「銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも」である。

静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園駐車場万葉歌碑(山上憶良

●歌碑は、静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園駐車場にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆銀母 金母玉母 奈尓世武尓 麻佐礼留多可良 古尓斯迦米夜母

       (山上憶良 巻五 八〇三)

 

≪書き下し≫銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに)まされる宝子にしかめやも

 

(訳)銀も金も玉も、どうして、何よりすぐれた宝である子に及ぼうか。及びはしないのだ。(同上)

(注)なにせむに【何為むに】分類連語:どうして…か、いや、…ない。▽反語の意を表す。 ※なりたち代名詞「なに」+サ変動詞「す」の未然形+推量の助動詞「む」の連体形+格助詞「に」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 (注)しかめやも【如かめやも】分類連語:及ぼうか、いや、及びはしない。※なりたち動詞「しく」の未然形+推量の助動詞「む」の已然形+係助詞「や」+終助詞「も」(学研)

 

 中学校の授業でこの歌と、八〇二歌(瓜食めば 子供思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ・・・)は歌として習い、子供はかけがえのない宝ということを歌った歌であると学んだ記憶がある。

この八〇二、八〇三歌の歌群の題詞は、「子等(こら)を思ふ歌一首 幷せて序」である。

 「子等を思う歌」八〇二、八〇三歌の神髄が序の「愛は子に過ぎたることなし」に込められているのである。

(注)愛は子に過ぎたることなし:釈迦の語としては仏典に見当たらないという。憶良の作為か。「愛」は愛執、愛欲に意。(伊藤脚注)

 

 

 八〇〇・八〇一歌の題詞は、「惑情(わくじやう)を反(かへ)さしむる歌一首 幷せて序」と、八〇二・八〇三歌の題詞は、「「子等(こら)を思ふ歌一首 幷せて序」、八〇四・八〇五歌の題詞は、「世間(せけん)の住(とど)みかたきことを哀(かな)しぶる歌一首 幷せて序」の三群からなり、第一群が情苦、第二群が愛苦、第三群が老苦を主題として詠われているのである。

 

 通して味わってみよう。

◆◆◆第一歌群(序、八〇〇、八〇一歌)

題詞は、「令反或情歌一首 幷序」<惑情(わくじやう)を反(かへ)さしむる歌一首 幷せて序>である。

(注)惑情:煩悩にまみれた心。(伊藤脚注)

 

◆序◆或有人 知敬父母忘於侍養 不顧妻子軽於脱屣 自称倍俗先生 意氣雖揚青雲之上 身體猶在塵俗之中 未驗修行得道之聖 蓋是亡命山澤之民 所以指示三綱更開五教 遣之以歌令反其或 歌曰

 

◆序の書き下し◆或(ある)人、父母(ふぼ)を敬(うやま)ふことを知りて侍養(じやう)を忘れ、妻子(さいし)を顧(かへり)みずして脱屣(だつし)よりも軽(かろ)みす。自(みづか)ら倍俗先生(ばいぞくせんせい)と称(なの)る。意気は青雲(せいうん)の上に揚(あが)るといへども、身体はなほ塵俗(ぢんぞく)の中(うち)に在り。いまだ修行(しゆぎやう)得道(とくだう)の聖(ひじり)に験(しるし)あらず、けだしこれ山沢(さんたく)に亡命する民ならむか。

このゆゑに、三綱(さんかう)を指し示し、五教(こけう)を更(あらた)め開(と)き、遣(おく)るに歌をもちてし、その惑(まと)ひを反(かへ)さしむ。歌に曰(い)はく、

 

◆序の訳◆ある人がいて、父母を敬うことを知りながら孝養を尽くすことを忘れ、しかも妻子の扶養をも意に会せず、脱ぎ捨てた履物よりも軽んじている。そして、自分から“倍俗先生”などと称している。その意気は青雲かかる天空の上に舞う観があるけれども、身体は依然として俗世の塵(ちり)の中にある。といって、行を修め道を得た仏聖の証(あかし)があるわけでもない。多分これは戸籍を脱して山野に亡命する民なのであろう。

そこで、三綱の道を指し示し、さらに改めて五教の道を諭すべく、贈るのにこんな倭歌(やまとうた)を作って、その迷いを直させることにする。その歌に曰く、(同上)

(注)じやう【侍養】〘名〙:そばに付き添って孝養を尽くしたり、養い育てたりすること。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)だっし【脱屣】: 履物をぬぎ捨てること。転じて、未練なく物を捨て去ること。(goo辞書)

(注)倍俗先生:俗に背く先生。「先生」は学人の称。(伊藤脚注)

(注)とくだう【得道】〘名〙 仏語: 聖道または仏の無上道の悟りをうること。成道。悟道。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)亡命:戸籍を捨てて逃亡すること。養老初年頃から、逃亡民を戒める詔勅がしきりに出ている。(伊藤脚注)

(注)さんかう【三綱】:儒教で、君臣・父子・夫婦の踏み行うべき道。(goo辞書)

(注)ごけう【五教】: 儒教でいう、人の守るべき五つの教え。君臣の義、父子の親、夫婦の別、長幼の序、朋友(ほうゆう)の信の五つとする説(孟子)と、父は義、母は慈、兄は友、弟は恭、子は孝の五つとする説(春秋左氏伝)とがある。五倫。(weblio辞書 デジタル大辞泉) ⇒伊藤氏は後者

(注の注)管内に五教を諭し農耕を勧めるのは、令の定める国守の任務の一つ。(伊藤脚注)

 

 

◆父母乎 美礼婆多布斗斯 妻子見礼婆 米具斯宇都久志 余能奈迦波 加久叙許等和理 母智騰利乃 可可良波志母与 由久弊斯良祢婆 宇既具都遠 奴伎都流其等久 布美奴伎提 由久智布比等波 伊波紀欲利 奈利提志比等迦 奈何名能良佐祢 阿米弊由迦婆 奈何麻尓麻尓 都智奈良婆 大王伊摩周 許能提羅周 日月能斯多波 雨麻久毛能 牟迦夫周伎波美 多尓具久能 佐和多流伎波美 企許斯遠周 久尓能麻保良叙 可尓迦久尓 保志伎麻尓麻尓 斯可尓波阿羅慈迦

      (山上憶良 巻五 八〇〇)

 

≪書き下し≫父母を 見れば貴(たふと)し 妻子(めこ)見れば めぐし愛(うつく)し 世の中は かくぞことわり もち鳥(どり)の かからはしもよ ゆくへ知らねば 穿沓(うけぐつ)を 脱(ぬ)き棄(つ)るごとく 踏(ふ)み脱(ぬ)きて 行(ゆ)くちふ人は 石木(いはき)より なり出(で)し人か 汝(な)が名告(の)らさね 天(あめ)へ行(ゆ)かば 汝(な)がまにまに 地(つち)ならば 大君(おほきみ)います この照らす 日月(ひつき)の下(した)は 天雲(あまくも)の 向伏(むかぶ)す極(きは)み たにぐくの さ渡る極み きこしをす 国のまほらぞ かにかくに 欲(ほ)しきまにまに しかにはあらじか

 

(訳)父母を見ると尊いし、妻子を見るといとおしくかわいい。世の中はこうあって当然で、恩愛の絆は黐(もち)にかかった鳥のように離れがたく断ち切れぬものなのだ。行く末どうなるともわからぬ有情世間(うじょうせけん)のわれらなのだから。それなのに穴(あな)あき沓(ぐつ)を脱ぎ棄てるように父母妻子をほったらかしてどこかへ行くという人は、非情の岩や木から生まれ出た人なのか。そなたはいったい何者なのか名告りたまえ。天へ行ったらそなたの思い通りにするもよかろうが、この地上にいる限りは大君がおいでになる。

この日月の照らす下は、天雲のたなびく果て、蟇(ひきがえる)の這(は)い回る果てまで、大君の治められる秀(ひい)でた国なのだ。あれこれと思いどおりにするもよういが、物の道理は私の言うとおりなのではあるまいか。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)めぐし【愛し・愍し】形容詞:①いたわしい。かわいそうだ。②切ないほどかわいい。いとおしい。 ※上代語。(学研)ここでは②の意

(注)もちどり【黐鳥】〘名〙: (「もちとり」とも) とりもちにかかった鳥。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注の注)恩愛の絆の譬え(伊藤脚注)

(注)かからはし【懸からはし】形容詞:ひっかかって離れにくい。とらわれがちだ。(学研)

(注)ゆくへ知らねば:俗世の人は行く末どうなるともわからぬのだから。(伊藤脚注)

(注)うけぐつ【穿沓】〘名〙 (「うけ」は穴があく意の動詞「うぐ(穿)」の連用形) はき古して穴のあいたくつ。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)ちふ 分類連語:…という。 ⇒参考 「といふ」の変化した語。上代には「とふ」の形も用いられ、中古以後は、「てふ」が用いられる。(学研)

(注)いはき【石木・岩木】名詞:岩石や木。多く、心情を持たないものをたとえて言う。(学研)

(注)きこしめす【聞こし召す】他動詞:①お聞きになる。▽「聞く」の尊敬語。②お聞き入れなさる。承知なさる。▽「聞き入る」の尊敬語。③関心をお持ちになる。気にかけなさる。④お治めになる。(政治・儀式などを)なさる。▽「治む」「行ふ」などの尊敬語。⑤召し上がる。▽「食ふ」「飲む」の尊敬語。(学研)ここでは④の意

(注)まほら 名詞:まことにすぐれたところ。まほろば。まほらま。 ※「ま」は接頭語、「ほ」はすぐれたものの意、「ら」は場所を表す接尾語。上代語。(学研)

 

 八〇〇歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1326)で紹介している。

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◆比佐迦多能 阿麻遅波等保斯 奈保ゝゝ尓 伊弊尓可弊利提 奈利乎斯麻佐尓

       (山上憶良 巻五 八〇一)

 

≪書き下し≫ひさかたの天道(あまじ)は遠しなほなほに家に帰りて業(なり)を為(し)まさに

 

(訳)天への道のりは遠いのだ。私の言う道理を認めて、すなおに家に帰って家業に励みなさい。(同上)

(注)あまぢ【天路・天道】名詞:①天上への道。②天上にある道。(学研)ここでは①の意

 

 

◆◆◆第二歌群(序、八〇二、八〇三歌)

 

◆序◆釈迦如来金口正説 等思衆生如羅睺羅 又説 愛無過子 至極大聖尚有愛子之心 况乎世間蒼生誰不愛子乎

 

 

◆序の書き下し◆釈迦如来(しゃかにょらい)、金口(こんく)に正(ただ)に説(と)きたまはく、「等(ひと)しく衆生(しうじゃう)を思うこと羅睺羅(らごら)のごとし」と。また、説きたまはく、「愛は子に過ぎたることなし」と。至極(しごく)の大聖(たいせい)すらに、なほ子を愛したまふ心あり。いはむや、世間(せけん)の蒼生(そうせい)、誰れか子を愛せずあらめや

 

◆序の訳◆釈尊が御口ずから説かれるには、「等しく衆生を思うことは、我が子羅睺羅(らごら)を思うのと同じだ」と。しかしまた、もう一方で説かれるには、「愛執(あいしゅう)は子に勝るものはない」と。この上なき大聖人でさえも、なおかつ、このように子への愛着に執(とら)われる心をお持ちである。ましてや、俗世の凡人たるもの、誰が子を愛さないでいられようか。(同上)

(注)こんく【金口】〘仏〙:釈迦の口や、その言葉を敬っていう語。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)羅睺羅(らごら):釈迦の出家以前の一子。

(注)そうせい【蒼生】:多くの人々。庶民。国民。あおひとぐさ。(三省堂

 

 

◆宇利波米婆 胡藤母意母保由 久利波米婆 麻斯堤葱斯農波由 伊豆久欲利 枳多利斯物能曽 麻奈迦比尓 母等奈可利堤 夜周伊斯奈佐農

     (山上憶良 巻五 八〇二)

 

≪書き下し≫瓜食(うりはめ)めば 子ども思ほゆ 栗(くり)食めば まして偲(しぬ)はゆ いづくより 来(きた)りしものぞ まなかひに もとなかかりて 安寐(やすい)し寝(な)さぬ

 

(訳)瓜を食べると子どもが思われる。栗を食べるとそれにも増して偲(しの)ばれる。こんなにかわいい子どもというものは、いったい、どういう宿縁でどこ我が子として生まれて来たものなのであろうか。そのそいつが、やたら眼前にちらついて安眠をさせてくれない。(同上)

(注)まして偲(しぬ)はゆ:それにも増して偲ばれる。「偲(しぬ)ふ」は「偲(しの)ふ」に同じ。(伊藤脚注)

(注)まなかひ【眼間・目交】名詞:目と目の間。目の辺り。目の前。 ※「ま」は目の意、「な」は「つ」の意の古い格助詞、「かひ」は交差するところの意。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)もとな 副詞:わけもなく。むやみに。しきりに。 ※上代語。(学研)

(注)やすい【安寝・安眠】名詞:安らかに眠ること。安眠(あんみん)。 ※「い」は眠りの意(学研)

 

◆銀母 金母玉母 奈尓世武尓 麻佐礼留多可良 古尓斯迦米夜母

       (山上憶良 巻五 八〇三)

 

≪書き下し≫銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに)まされる宝子にしかめやも

 

(訳)銀も金も玉も、どうして、何よりすぐれた宝である子に及ぼうか。及びはしないのだ。(同上)

 

 序、八〇二、八〇三歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その477)」で紹介している。

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◆◆◆第三歌群(序、八〇四、八〇五)

 

題詞は、「哀世間難住歌一首 幷序」<世間(せけん)の住(とど)みかたきことを哀(かな)しぶる歌一首 幷せて序>である。

 

◆序◆易集難排八大辛苦 難遂易盡百年賞樂 古人所歎今亦及之 所以因作一章之歌 以撥二毛之歎 其歌曰

 

◆序の書き下し◆集まりやすく拝(はら)ひかたきものは八大(はちだい)の辛苦(しんく)なり、遂(と)げかたく尽(つく)しやすきものは百年の賞楽(しやうらく)なり。古人の嘆くところ、今にもおよぶ。

 

◆序の訳◆集まりやすく払にくいものは、八つの大きな苦しみで、成し遂げにくく尽きやすいものは人生の楽しみだ。これは古人の嘆いたところで、今日でも同じことだ。こういう次第で、一編の歌を作って、鬢髪(びんぱつ)日に白きを加える老いの嘆きを払いのけようと

思う。その歌にいう。(同上)

 

◆世間能 周弊奈伎物能波 年月波 奈何流々其等斯 等利都々伎 意比久留母能波 毛ゝ久佐尓 勢米余利伎多流 遠等咩良何 遠等咩佐備周等 可羅多麻乎 多母等尓麻可志 <或有此句云 之路多倍乃 袖布利可伴之 久礼奈為乃 阿可毛須蘇▼伎> 余知古良等 手多豆佐波利提 阿蘇比家武 等伎能佐迦利乎 等々尾迦祢 周具斯野利都礼 美奈乃和多 迦具漏伎可美尓 伊都乃麻可 斯毛乃布利家武 久礼奈為能 <一云 尓能保奈須> 意母提乃宇倍尓 伊豆久由可 斯和何伎多利斯 <一云 都祢奈利之 恵麻比麻欲▼伎 散久伴奈能 宇都呂比尓家利 余乃奈可伴 可久乃未奈良之> 麻周羅遠乃 遠刀古佐備周等 都流伎多智 許志尓刀利波枳 佐都由美乎 多尓伎利物知提 阿迦胡麻尓 志都久良宇知意伎 波比能利提 阿蘇比阿留伎斯 余乃奈迦野 都祢尓阿利家留 遠等咩良何 佐那周伊多斗乎 意斯比良伎 伊多度利与利提 麻多麻提乃 多麻提佐斯迦閇 佐祢斯欲能 伊久陀母阿羅祢婆 多都可豆恵 許志尓多何祢提 可由既婆 比等尓伊等波延 可久由既婆 比等尓邇久麻延 意余斯遠波 迦久能尾奈良志 多麻枳波流 伊能知遠志家騰 世武周弊母奈新

       (山上憶良 巻五 八〇四)

   ▼は、「田へんに比」→「阿可毛須蘇▼伎」<あかもすそびき>

             →「恵麻比麻欲▼伎」<えまひまよびき>

 

≪書き下し≫世の中の すべなきものは 年月(としつき)は 流るるごとし とり続(つづ)き 追ひ来(く)るものは 百種(ももくさ)に 迫(せ)め寄(よ)り来(きた)る 娘子(をとめ)らが 娘子さびすと 韓玉(からたま)を 手本(たもと)に巻(ま)かし、<或いはこの句有り、日はく「白妙の 袖振り交はし 紅の 赤裳裾引き」 よち子らと 手たづさはりて 遊びけむ 時の盛(さか)りを 留(とど)みかね 過(すぐ)しやりつれ 蜷(みな)の腸(わた) か黒(ぐろ)き髪に いつの間(ま)か 霜の降りけむ 紅の <一には「丹のほなす」といふ> 面(おもて)の上(うへ)に いづくゆか 皺(しわ)が来(きた)りし <一には「常なりし 笑まひ眉引き 咲く花の うつろひにけり 世間は かくのみならし」といふ> ますらをの 男(をとこ)さびすと 剣太刀(つるぎたち) 腰に取り佩(は)き さつ弓(ゆみ)を 手握(たにぎ)り持ちて 赤駒(あかごま)に 倭文鞍(しつくら)うち置き 這(は)ひ乗りて 遊び歩きし 世の中や 常にありける 娘子(をとめ)らが さ寝(な)す板戸(いたと)を 押し開(ひら)き い辿(たど)り寄りて 真玉手(またまで)の 玉手(たまて)さし交(か)へ さ寝(ね)し夜(よ)の いくだもあらねば 手束杖(たつかづゑ) 腰にたがねて か行(ゆ)けば 人に厭(いと)はえ かく行けば 人に憎(にく)まえ 老(お)よし男(を)は かくのみならし たまきはる 命(いのち)惜(を)しけど 為(せ)むすべもなし

 

(訳)この世の中で何ともしようがないものは、幾月は遠慮なく流れ去ってしまい、くっついて追っかけて来る老醜はあの手この手と身に襲いかかることである。たとえば、娘子たちがいかにも娘子らしく、舶来の玉を手首に巻いて<異文にはこんな句がある。いわく、「まっ白な袖を振り交わし、まっ赤(か)な裳(も)の裾(すそ)をひきずって」と>、同輩の仲間たちと手を取り合って遊んだ、その娘盛りを長くは留(とど)めきれずにやり過ごしてしまうと、蜷(にな)の腸のようなまっ黒い髪にいつの間(ま)に霜が降りたのか、紅の<まっ赤な土のような>面(おもて)の上にどこからか皺(しわ)のやつが押し寄せて来たのか、<変わりのなかった眉引きの笑顔も咲く花のように消えてしまった。世の中とはいつもこういうものであるらしい>、みんなあっという間(ま)に老いさらばえてしまう。一方、勇ましい若者たちがいかに男らしく、剣太刀を腰に帯び狩弓を握りしめて、元気な赤駒に倭文(しつ)の鞍を置き手綱さばきもあざやかに獣を追い回した、その楽しい人生がいつまで続いたであろうか。娘子たちが休む部屋の板戸を押し開けて探り寄り、玉のような腕(かいな)をさし交わして寝た夜などいくらもなかったのに、いつの間にやら握り杖(づえ)を腰にあてがい、よぼよぼとあっちへ行けば人にいやがられ、こっちに行けば人に嫌われて、ほんにまったく老人とはこんなものであるらしい。むろん、命は惜しくて常住不変を願いはするものの、施すすべもない。(同上)

(注)追ひ来る:老醜をいう。(伊藤脚注)

(注)ももくさ【百種】名詞:多くの種類。いろいろな種類。(学研)

(注)-さぶ 接尾語バ行上二段活用〔名詞に付いて〕…のようだ。…のようになる。▽上二段動詞をつくり、そのものらしく振る舞う、そのものらしいようすであるの意を表す。「神さぶ」「翁(おきな)さぶ」(学研)

(注)からたま【唐玉・韓玉】〘名〙: 唐や朝鮮などから渡来した珠玉。また、美しい玉。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)異文は、憶良の初案。(伊藤脚注)

(注)よちこ【よち子】:同じ年ごろの子。よち。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)すぐす【過ぐす】他動詞:①時を過ごす。年月を送る。暮らす。②終わらせる。すませる。③そのままにしておく。うち捨てておく。④年をとる。ふける。年上である。⑤度をこす。やりすぎる。(学研)ここでは③の意

(注)みなのわた【蜷の腸】分類枕詞:蜷(=かわにな)の肉を焼いたものが黒いことから「か黒し」にかかる。(学研)

(注)紅の面:「紅顔」の翻読語。(伊藤脚注)

(注)にのほ【丹の穂】〔雅語〕目立って赤いこと。また、(顔などが)赤みをおびて美しいこと。(広辞苑無料検索 学研国語大辞典)

(注)さつゆみ【猟弓】名詞:獲物をとるための弓。(学研)

(注)しづ【倭文】名詞:日本固有の織物の一種。梶(かじ)や麻などから作った横糸を青・赤などに染めて、乱れ模様に織ったもの。倭文織。 ※唐から伝来した綾(あや)に対して、日本(=倭)固有の織物の意。上代は「しつ」。(学研)

(注)さなす【さ寝す】[動サ四]:《「なす」は「寝る」の尊敬語》おやすみになる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)またまで【真玉手】:手の美称。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)いくだ【幾だ】副詞:〔「いくだもあらず」の形で〕どれほども。いくらも。たいして。※「だ」は接尾語。(学研)

(注)たつかづゑ【手束杖】:手に握り持つ杖。(goo辞書)

(注)老よし男:老いたる男。「老よし」は「老ゆ」から派生した形容詞。(伊藤脚注)

 

 

◆等伎波奈周 迦久斯母何母等 意母閇騰母 余能許等奈礼婆 等登尾可祢都母

       (山上憶良 巻五 八〇五)

 

≪書き下し≫常磐(ときは)なすかくしもがもと思へども世の事理(こと)なれば留(とど)みかねつも

 

(訳)常磐(ときわ)のように不変でありたいと思うけれども、老や死は人の世の定めであるから、留(とど)めようにも留られはしない。(同上)

(注)じり【事理】名詞:さまざまな現象(=事)と、その根本にある真理(=理)。 ※

仏教語。(学研)

 

 

左注は、「神龜五年七月廿一日於嘉摩郡撰定 筑前國守山上憶良」<神亀五年七月二十一日嘉摩(かま)の郡(こほり)にして撰定(せんてい)す。 筑前国山上憶良>である。

(注)嘉摩の郡:福岡県歌嘉麻市(伊藤脚注)

(注)せんてい【撰定】[名](スル)書物や文書を編集すること。また、多くの詩歌・文章の中からよいものを選び出すこと。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 

 子への愛は、七種の宝以上に、愛着や迷いの本であり、お釈迦さまは、七種の宝も「愛する妻子」をも捨てよと説いている。それほど子への迷いは、それ以上のものは無いのである。憶良は、それほどの迷いであっても憶良は、「子への愛」を選択するのである。

 憶良は、万葉の時代にこれほどまでに人としての選択を主張した歌を詠っているのである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「山上憶良」 辰巳正明 著 (笠間書院

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「goo辞書」

★「広辞苑無料検索 学研国語大辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典