万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2313)―

●歌は、「立山に降り置ける雪の常夏に消ずてわたるは神ながらとぞ」である。

富山県氷見市葛葉 臼が峰山頂公園地蔵園地万葉歌碑(大伴家持) 20230704撮影

●歌碑は、富山県氷見市葛葉 臼が峰山頂公園地蔵園地にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「立山賦一首并短歌  此山者有新河郡也」<立山(たちやま)の賦(ふ)一首幷(あは)せて短歌   この山は新川の郡に有り>である。

(注)立山富山県の東南部に聳える立山連峰越中国府から眺望できる。(伊藤脚注)

(注)ふ【賦】〘名〙:① 割り当てること。割りつけること。配ること。② みつぎもの。年貢。租税。また、賦役。③ 「詩経」の六義(りくぎ)の一つで、比・興とともに、表現上の方法の分類を示すもの。事実や風景、心に感じたことなどをありのままに述べたもの。④ 漢詩になぞらえて、紀貫之がいう和歌の六義の一つ。ありのままに詠むもので、仮名序のかぞえ歌に相当する。⑤ 漢文の韻文体の一つ。事物の様子をありのままに表わし、自分の感想を付け加えるもの。対句を多く用い、句末は必ず韻を踏む。⑥ 転じて、広く一般的に韻を含んだ詩文。※万葉(8C後)一七・三九八五・題詞「二上山賦一首」⑦ 俳文で、⑤の様式をとり入れ、故事や成句などを交じえ、対句を多く用い自分の感想などを述べるもの。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)ここでは⑥の意

(注)新川郡:越中の東半分を占める大郡。(伊藤脚注)

 

 

◆安麻射可流 比奈尓名可加須 古思能奈可 久奴知許登其等 夜麻波之母 之自尓安礼登毛 加波ゝ之母 佐波尓由氣等毛 須賣加未能 宇之波伎伊麻須 尓比可波能 曽能多知夜麻尓 等許奈都尓 由伎布理之伎弖 於婆勢流 可多加比河波能 伎欲吉瀬尓 安佐欲比其等尓 多都奇利能 於毛比須疑米夜 安里我欲比 伊夜登之能播仁 余増能未母 布利佐氣見都ゝ 余呂豆餘能 可多良比具佐等 伊末太見奴 比等尓母都氣牟 於登能未毛 名能未母伎吉氐 登母之夫流我祢

         (大伴家持 巻十七 四〇〇〇)

 

≪書き下し≫天離(あまざか)る 鄙(ひな)に名(な)懸(か)かす 越(こし)の中(なか) 国内(くぬち)ことごと 山はしも しじにあれども 川はしも 多(さは)に行けども 統神(すめかみ)の うしはきいます 新川(にひかは)の その立山(たちやま)に 常夏(とこなつ)に 雪降り敷(し)きて 帯(お)ばせる 片貝川(かたかひがは)の 清き瀬に 朝夕(あさよひ)ごとに 立つ霧(きり)の 思ひ過ぎめや あり通(がよ)ひ いや年のはに よそのみも 振(ふ)り放(さ)け見つつ 万代(よろづよ)の 語(かた)らひぐさと いまだ見ぬ 人にも告(つ)げむ 音(おと)のみも 名(な)のみも聞きて 羨(とも)しぶるがね

 

(訳)都遠い鄙の中でもとくに御名の聞こえた立山(たちやま)、この越の国の中には国の内至るところ、山はといへば山また山がしじに連なり、川はといえば川まら川がさわに流れているけれども、国の神が支配しておたれる、新川郡(にいかわこおり)のその名も高い立山には、夏も夏のまっ盛りだというのに雪がいっぱい降り積もっており、帯としてめぐらしておられる片貝川の清らかな瀬に、朝夕ごとに立ちこめている霧、その霧のように、この山への思いが消え去るなどということがあろうか。ずっと通い続けて次々と来る年来る年ごとに、遠くからなりとはるか振り仰いで眺めては、万代(よろずよ)の語りぐさとして、まだ見たことのない人にも語り告げよう。噂だけでも名だけでも聞いて羨ましがるように。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)鄙に名懸かす:鄙でも特に御名の聞こえた。スは越の国の神に対する尊称(伊藤脚注)

(注の注)かく【懸く・掛く】他動詞:垂れ下げる。かける。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)しも [連語]《副助詞「し」+係助詞「も」》名詞、副詞、活用語の連用形および連体形、助詞などに付く。:上の語を特に取り立てて強調する意を表す。それこそ…も。…もまあ。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)しじに【繁に】副詞:数多く。ぎっしりと。びっしりと。(学研)

(注)すめかみ【皇神】<統神 名詞:①神々の尊敬語。②皇室の祖先に当たる神。 ※「すめがみ」「すべがみ」とも。「すめ」は接頭語。(学研)

(注)うしはく【領く】他動詞:支配する。領有する。 ※上代語。(学研)

(注)帯(お)ばせる:立山が(川を)帯にしておられる。セは川の神への尊敬。(伊藤脚注)

(注)片貝川立山の北、猫又山に発し、魚津で富山湾に注ぐ川(伊藤脚注)

(注)ありがよふ【有り通ふ】自動詞:いつも通う。通い続ける。 ※「あり」は継続の意の接頭語。(学研)

(注)よそ【余所】名詞:離れた所。別の所。(学研)

(注)ともしぶ【乏しぶ・羨しぶ】自動詞:うらやましく思う。「ともしむ」とも。(学研)

(注)がね 接続助詞《接続》動詞の連体形に付く。:①〔理由〕…であるから。…だろうから。②〔目的〕…ために。…ように。 ⇒参考:「がね」は文末に置かれるので、「終助詞」という説もあるが、倒置と考えられるので、接続助詞とする説に従う。上代語。(学研)


短歌二首の方もみてみよう。

 

◆多知夜麻尓 布里於家流由伎乎 登己奈都尓 見礼等母安可受 加武賀良奈良之

          (大伴家持 巻十七 四〇〇一)

 

≪書き下し≫立山(たちやま)に降り置ける雪を常夏(とこなつ)に見れども飽かず神(かむ)からならし

 

(訳)立山に白々と降り置いている雪、この雪は夏の真っ盛りの今、見ても見ても見飽きることがない。神の品格のせいであるらしい。(同上)

(注)神(かむ)からならし:この山の神の貴さのせいらしい。長歌の「山」を承ける。(伊藤脚注)

(注の注)-から【柄】接尾語:名詞に付いて、そのものの本来持っている性質の意を表す。「国から」「山から」  ※参考後に「がら」とも。現在でも「家柄」「続柄(つづきがら)」「身柄」「時節柄」「場所柄」などと用いる。(学研)

 

◆可多加比能 可波能瀬伎欲久 由久美豆能 多由流許登奈久 安里我欲比見牟

         (大伴家持 巻十七 四〇〇二)

 

≪書き下し≫片貝(かたかひ)の川の瀬清く行く水の絶ゆることなくあり通(がよ)ひ見む

 

(訳)片貝の川瀬も清く流れ行く水のように、絶えることなく、ずっと通い続けてこの山を見よう。(同上)

(注)上三句は序。「絶ゆることなく」を起す。長歌の「川」を承ける。(伊藤脚注)

                           

新版 万葉集 四 現代語訳付き【電子書籍】[ 伊藤 博 ]

価格:847円
(2023/9/10 20:27時点)
感想(0件)

 この歌については、高岡市万葉歴史館屋上の歌碑とともに拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その826)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

 高岡市万葉歴史館HPの「104回 大伴家持長歌・その4~「立山の賦」~」に、「富山県南東部に延びる北アルプスの連峰が立山です。大汝山・雄山・劔岳などの3000m級の山々が連なり、雨晴海岸から眺める『海越しの立山』は富山県を代表する風景のひとつです。

 二上山のふもとで暮らし、その景色を愛でていた家持ですが、立山も当然毎日目にしたことでしょう。都のある畿内には高い山はないこともあり、常夏の雪を抱く立山は神々しく見えたようです。連載第24回の反歌でも『神からならし(神の山だからにちがいない)』と歌っています。

 第102回でも述べましたが、『越中三賦(さんぷ)』と呼ばれる『二上山の賦』、『布勢の水海に遊覧する賦』、そしてこの『立山の賦』は、家持が公務で都に戻る際の土産話であったと考えられています。『越中にはこんなに素晴らしい場所があるんだよ』という家持の気持ちを読み取りたいところです。」と書かれている。

 

 「二上山の賦」については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その824)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 「布勢の水海に遊覧する賦」については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その813)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「高岡市万葉歴史館HP」