万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2312)―

●歌は、「御民我れ生ける験あり天地の栄ゆる時にあへらく思へば」である。

富山県氷見市葛葉 臼が峰山頂公園地蔵園地万葉歌碑(犬養岡麻呂)  
20230704撮影

●歌碑は、富山県氷見市葛葉 臼が峰山頂公園地蔵園地にある。

 

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「六年甲戌海犬養宿祢岡麻呂應詔歌一首」<六年甲戌(きのえいぬ)に、海犬養宿禰岡麻呂、(あまのいぬかひのすくねをかまろ)、詔(みことのり)に応(こた)ふる歌一首>である。

(注)六年:天平六年(734年)

(注)海犬養宿禰岡麻呂:伝未詳

(注)おうせふ【応詔】〘名〙:① (「詔」は天子の命令の意) 勅命に応じること。勅命にこたえて天子のもとに来ること。〔後漢書‐杜林伝〕② 特に、勅命によって詩歌を詠進すること。中国で、唐以降は応制(おうせい)ということが多い。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

 

◆御民吾 生有驗在 天地之 榮時尓 相樂念者

       (海犬養宿禰岡麻呂 巻六 九九六)

 

≪書き下し≫御民(みたみ)我(わ)れ生(い)ける験(しるし)あり天地(あめつち)の栄ゆる時にあへらく思へば                  

 

(訳)大君の御民であるわれらは、生きているかいがあります。天地の栄える大御代に生まれ合わせたこの幸いを思うと。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)しるし【徴・験】名詞:①前兆。兆し。②霊験。ご利益。③効果。かい。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは③の意

(注)あへらく【会へらく】:会っていること。出会っていること。 ※派生語。 ⇒なり

たち:四段動詞「あ(会)ふ」の已然形+完了の助動詞「り」の未然形+接尾語「く」(学研)

 

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 この歌については、後ほど「巻十七 三九二二~三九二六歌」とともに拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1706)」で紹介いたします。



 

 万葉集は、時代的に見てみると、最も古い歌は磐姫皇后の巻二 八五~八八歌とされ、家持の巻二十 四五一六歌で終わっている。

 これを4期に分け、第一期は壬申の乱(672年)まで、第二期は平城京遷都(710年)まで、第三期は天平五年(733年)までで第四期は、淳仁天皇天平宝字三年(759年)正月一日までとされている。

 

磐姫皇后の巻二 八五~八八歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1034~1037)」で紹介している。

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 第四期には、九九六歌のような「応詔歌」の場が収録されている。それまでは、わずかに長忌寸意吉麻呂の二例にみられるだけである。

 

 長忌寸意吉麻呂の二例をみてみよう。

まず巻三 二三八歌である。

題詞は、「長忌寸意吉麻呂應詔歌一首」<長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)、詔(みことのり)に応(こた)ふる歌一首>である。

(注)文武三年(699年)正月~二月の、持統上皇文武天皇の難波行幸時の詠らしい。(伊藤脚注)

 

◆大宮之 内二手所聞 網引為跡 網子調流 海人之呼聲

       (長忌寸意吉麻呂 巻三 二三八)

 

≪書き下し≫大宮の内まで聞こゆ網引(あびき)すと網子(あご)ととのふる海人(あま)の呼(よ)び声(こゑ)

 

(訳)御殿の内まで聞こえてくる。網を引くとて、網子(あみこ)たちを指揮する漁師の掛け声が。(伊藤 博 著「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)大宮:大阪市中央区法円坂にあった難波離宮。(伊藤脚注)

(注)網子ととのふる:網子の音頭を取る。(伊藤脚注)

(注の注)あご【網子】名詞:地引き網を引く人。漁師。(学研)

(注の注)ととのふ【調ふ・整ふ】他動詞①きちんとそろえる。準備する。②調子を合わせる。(学研)ここでは②の意

 

左注は、「右一首」<右の一首>である。

 

 

 二例目は、巻九 一六七三歌である。

 一六六七から一六七四歌の歌群の題詞は、「大寳元年辛丑冬十月太上天皇大行天皇紀伊國時歌十三首」<大宝(だいほう)元年辛丑(かのとうし)の冬の十月に、太上天皇(おほきすめらみこと)・大行天皇(さきのすめらみこと)、紀伊の国(きのくに)に幸(いでま)す時の歌十三首>である。

(注)ここでは太上天皇持統天皇大行天皇文武天皇をさす。

 

◆風莫乃 濱之白浪 徒 於斯依久流 見人無  <一云 於斯依来藻>

         (作者未詳 巻九 一六七三)

 

≪書き下し≫風莫(かぎなし)の浜の白波いたづらにここに寄せ来(く)る見る人なしに  <一には「ここに寄せ来も」と云ふ>

 

(訳)風莫(かざなし)の浜の静かな白波、この波はただ空しくここに寄せてくるばかりだ。見て賞(め)でる人もないままに。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)風莫(かざなし)の浜:黒牛潟の称か。

 

左注は、「右一首山上臣憶良類聚歌林曰 長忌寸意吉麻呂應詔作此歌」<右の一首は、山上臣憶良(やまのうえおみおくら)が類聚歌林(るいじうかりん)には「長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)、詔(みことのり)に応(こた)へてこの歌を作る」といふ>である。

 

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 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1190)」で紹介している。

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 「別冊國文學 万葉集必携」稲岡耕二 編(學燈社)には、「柿本人麻呂の吉野讃歌なども天皇の詔に応えて作ったのであろうが、『応詔作歌』とは記されていない。長忌寸意吉麻呂の卓越した即興の才を思うと、『応詔』とは臨時に天皇の詔に応じて即座に歌をたてまつること」であったと書かれている。

 

 そして第四期の「応詔歌」の事例があげられている。

■巻六 九九九歌■

◆従千沼廻 雨曽零来 四八津之白水郎 綱手綱乾有 沾将堪香聞

        (守部王 巻六 九九九)

 

≪書き下し≫茅渟(ちぬ)みより雨ぞ降り来(く)る四極(しはつ)の海人(あま)網(あみ)干(ほ)したり濡(ぬ)れもあへむかも

 

(訳)茅渟(ちぬ)のあたりから雨が降って来る。なのに、四極(しはつ)の海人は網を干したままだ。濡れるのに堪えられないのではなかろうか。(同上)

(注)ちぬ【茅渟】:和泉(いずみ)国の沿岸の古称。現在の大阪湾の東部、堺市から岸和田市を経て泉南郡に至る一帯。(weblio辞書 小学館デジタル大辞泉

(注)-み【回・廻・曲】接尾語:〔地形を表す名詞に付いて〕…の湾曲した所。…のまわり。「磯み」「浦み」「島み」「裾(すそ)み(=山の裾のまわり)」(学研)

(注)四極:大阪市住吉区の、当時の海岸にあった地名か。

(注)あふ【敢ふ】自動詞:堪える。我慢する。持ちこたえる。(学研)

(注)かも 終助詞:《接続》体言や活用語の連体形などに付く。①〔感動・詠嘆〕…ことよ。…だなあ。②〔詠嘆を含んだ疑問〕…かなあ。③〔詠嘆を含んだ反語〕…だろうか、いや…ではない。▽形式名詞「もの」に付いた「ものかも」、助動詞「む」の已然形「め」に付いた「めかも」の形で。④〔助動詞「ず」の連体形「ぬ」に付いた「ぬかも」の形で、願望〕…てほしいなあ。…ないかなあ。 ※参考 上代に用いられ、中古以降は「かな」。(学研)

 

左注は、「右一首遊覧住吉濱還宮之時道上守部王應 詔作歌」<右の一首は、住吉(すみのえ)の浜に遊覧し、宮に還ります時に、道の上(へ)にして、守部王(もりべのおほきみ)、詔(みことのり)に応(こた)へて作る歌>である。

(注)宮:ここでは難波の宮

(注)守部王(もりべのおほきみ):舎人皇子の子。船王の弟。

 

 

 

■巻六 一〇〇五・一〇〇六歌■

題詞は、「八年丙子夏六月幸于芳野離宮之時山邊宿祢赤人應詔作歌一首 幷短歌」<八年人、詔(みことのり)に応(こた)へて作る歌一首 幷(あは)せて短歌>である。

(注)八年:天平八年(736年)。年代の知られる、赤人最後の歌。(伊藤脚注)

(注)幸す時:聖武天皇行幸。六月二十七日出発。七月十三日帰京。(伊藤脚注)

 

◆八隅知之 我大王之 見給 芳野宮者 山高 雲曽軽引 河速弥 湍之聲曽清寸 神佐備而 見者貴久 宜名倍 見者清之 此山乃 盡者耳社 此河乃 絶者耳社 百師紀能 大宮所 止時裳有目

       (山部赤人 巻六 一〇〇五)

 

≪書き下し≫やすみしし 我(わ)が大君(おほきみ)の 見(め)したまふ 吉野の宮は 山高み 雲ぞたなびく 川早み 瀬の音(おと)ぞ清き 神(かむ)さびて 見れば貴(たふと)く よろしなへ 見ればさやけし この山の 尽きばのみこそ この川の 絶えばのみこそ ももしきの 大宮(おほみや)ところ やむ時もあらめ

 

(訳)あまねく天下を支配されるわれらの大君がお治めになる吉野の宮、この宮は、山が高くて雲がたなびいている。川の流れが早くて瀬の音が清らかである。山の姿は神々しくて、見れば見るほど貴く、川の姿も宮所に誂(あつらえ)え向きに、見れば見るほどすがすがしい。この山が尽きてなくなりでもしたら、この川の流れが絶えてなくなりでもしたら、ももしきのこの大宮のなくなる時もあろうけれど・・・。(同上)

(注)やすみしし【八隅知し・安見知し】分類枕詞:国の隅々までお治めになっている意で、「わが大君」「わご大君」にかかる。(学研)

(注)よろしなへ【宜しなへ】副詞:ようすがよくて。好ましく。ふさわしく。 ※上代語(学研)

(注)「この山の」以下が後段。下の「この川」とともに、前段の「山」「川」の叙述を承けて本旨へと展開する。(伊藤脚注)

 

 反歌もみてみよう。

◆自神代 芳野宮尓 蟻通 高所知者 山河乎吉三

       (山部赤人 巻六 一〇〇六)

 

≪書き下し≫神代(かみよ)より吉野の宮にあり通(がよ)ひ高知(たかし)らせるは山川(やまかは)をよみ

 

(訳)神代の昔から吉野の宮に絶えず通って、高々と宮殿をお造りになっているのは、ひとえに山と川のたたずまいがよいからだ。(同上)

(注)ありがよふ【有り通ふ】自動詞:いつも通う。通い続ける。 ※「あり」は継続の意の接頭語。(学研)

(注)たかしる【高知る】他動詞:①立派に造り営む。立派に建てる。②立派に治める。 ※「たか」はほめことば、「しる」は思うままに取りしきる意。(学研)

(注)-み 接尾語:①〔形容詞の語幹、および助動詞「べし」「ましじ」の語幹相当の部分に付いて〕(…が)…なので。(…が)…だから。▽原因・理由を表す。多く、上に「名詞+を」を伴うが、「を」がない場合もある。②〔形容詞の語幹に付いて〕…と(思う)。▽下に動詞「思ふ」「す」を続けて、その内容を表す。③〔形容詞の語幹に付いて〕その状態を表す名詞を作る。④〔動詞および助動詞「ず」の連用形に付いて〕…たり…たり。▽「…み…み」の形で、その動作が交互に繰り返される意を表す。(学研)ここでは①の意

 

 

■巻二十 四四三九歌■

題詞は、「冬日幸于靱負御井之時内命婦石川朝臣應詔賦雪歌一首 諱曰邑婆」<冬の日に靱負(ゆけひ)の御井(みゐ)に幸(いでま)す時に、内命婦(ないみやうぶ)石川朝臣(いしかはのあそみ)詔に応へて雪を賦(ふ)する歌一首 諱(いみな)は邑婆(おほば)といふ>である。

(注)ゆげひ【靫負】名詞:①上代天皇の親衛隊として宮廷諸門の警固に当たった者。律令制のもとでは、衛府(えふ)およびその武官をいう。②「靫負の尉(じよう)」の略。 ※「ゆき(靫)お(負)ひ」の変化した語。古くは「ゆけひ」。(学研)

(注)石川朝臣石川郎女坂上郎女の母。大原今城の祖母らしい。女性に姓(かばね)を用いるのは尊称。(伊藤脚注)

(注)諱(いみな):いみな【諱・謚・諡】名詞:①(貴人の生前の)実名。②死後に贈る称号。(学研)ここでは①の意

 

◆麻都我延乃 都知尓都久麻埿 布流由伎乎 美受弖也伊毛我 許母里乎流良牟

       (石川郎女 巻二十 四四三九)

 

≪書き下し≫松が枝の地(つち)に着(つ)くまで降る雪を見ずてや妹(いも)が隠(こも)り居(を)るらむ

 

(訳)松の枝が地に着かんばかりに降り積もる雪、こんなすばらしい雪を見ないで、あなたは閉じ籠(こも)っておられるのでしょうか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)妹(いも)が隠(こも)り居(を)るらむ:あなたは閉じ籠(こも)っておられるのでしょうか。(伊藤脚注)

 

左注は、「于時水主内親王寝膳不安累日不参 因以此日太上天皇勅侍嬬等曰 為遣水主内親王賦雪作歌奉獻者 於是諸命婦等不堪作歌而此石川命婦 獨此歌奏之   右件四首上総國大<掾>正六位上大原真人今城傳誦云尓 年月未詳」<時に、水主内親王(もひとりのひめみこ)寝膳(しんぜん)安くあらずして、累日(るいじつ)参(まゐ)りたまはず。よりてこの日をもちて、太上天皇、侍嬬等(じじゅう)らに勅(みことのり)して曰(のりたま)はく、「水主内親王に遣(おく)らむために、雪を賦(ふ)し歌を作りて奉献(たてまつ)れ」とのりたまふ。ここに、もろもろの命婦等、歌を作るに堪(あ)へずして、この石川命婦のみ独りこの歌を作りて奏す。

右の件(くだり)の四首は、上総(かみつふさ)の国の大掾(だいじよう)正六位上大原真人今城伝誦してしか云ふ。 年月未詳>である。

(注)水主内親王天智天皇の娘。天平九年(737年)八月没。(伊藤脚注)

(注)しんぜん【寝膳】〘名〙:寝ることと食べること。寝食。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)侍嬬等:そこに侍った内命婦や外命婦をいうのであろう。(伊藤脚注)

 

 

 

■巻十七 三九二二歌■

題詞は、「左大臣橘宿祢應詔歌一首」<左大臣宿禰(たちばなのすくね)、詔(みことのり)の応(こた)ふる歌一首>である。

 

◆布流由吉乃 之路髪麻泥尓 大皇尓 都可倍麻都礼婆 貴久母安流香

       (橘諸兄 巻十七 三九二二)

 

≪書き下し≫降る雪の白髪までに大君に仕へまつれば貴くもあるか

 

(訳)降り積もる雪のようにまっ白な髪になるまでも、大君にお仕えさせていただけたことは、何とまあ貴くもったいないことか。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 

■巻十七 三九二三歌■

 題詞は、「紀朝臣清人應詔歌一首<紀朝臣清人(きのあそみきよひと)、詔(みことのり)の応(こた)ふる歌一首>である。

 

◆天下 須泥尓於保比氐 布流雪乃 比加里乎見礼婆 多敷刀久母安流香

       (紀朝臣清人 巻十七 三九二三)

 

≪書き下し≫天(あめ)の下(した)すでに覆(おほ)ひて降る雪の光りを見れば貴くもあるか

 

(訳)天の下をあまねく覆いつくして降り積もる雪、この眩(まぶゆ)い光をみると、何とまあ貴くももったいないことか。(同上)

 

 

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■巻十七 三九二四歌■

題詞は、「紀朝臣男梶應詔歌一首<紀朝臣男梶(きのあそみをかぢ)、詔(みことのり)の応(こた)ふる歌一首>である。

 

◆山乃可比 曽許登母見延受 乎登都日毛 昨日毛今日毛 由吉能布礼々婆

       (紀朝臣男梶 巻十七 三九二四)

 

≪書き下し≫山の狭(かひ)そことも見えず一昨日(をとつひ)も昨日(きのふ)も今日(けふ)も雪の降れれば

 

(訳)山の谷間はどこがそこと指して見ることもできない。一昨日も昨日も今日も、雪が降り続いているので。(同上)

(注)かひ【峡】名詞:山と山との間。(学研)

 

 

■巻十七 三九二五歌■

 題詞は、「葛井連諸会應詔歌一首<葛井連諸会(ふぢゐのむらじもろあひ)、詔(みことのり)の応(こた)ふる歌一首>である。

 

◆新 年乃婆自米尓 豊乃登之 思流須登奈良思 雪能敷礼流波

       (葛井連諸会 巻十七 三九二五)

 

≪書き下し≫新(あらた)しき年の初(はじ)めに豊(とよ)の年(とし)しるすとならし雪の降れるは

 

(訳)新しい年の初めに、今年の豊の年をはっきり示すというのであるらしい。こんなに雪が雪が降り積もっているのは。(同上)

(注)しるす 他動詞:【徴す】前兆を示す。きざしを見せる。(学研)

 

 

■巻十七 三九二六歌■

題詞は、「大伴家持應詔歌一首<大伴家持詔(みことのり)の応(こた)ふる歌一首>である。

 

◆大宮能 宇知尓毛刀尓毛 比賀流麻泥 零流白雪 見礼杼安可奴香聞

      (大伴家持 巻十七 三九二六)

 

≪書き下し≫大宮の内(うち)にも外(と)にも光るまで降れる白雪(しらゆき)見れど飽(あ)かぬかも

 

(訳)ここ大宮の内にも外にも、光輝くまで降り積もっておいでの白雪、この白雪は見えも見ても見飽きることがない。(同上)

 

 

 左注は、「・・・右件王卿等 應詔作歌依次奏之・・・」<・・・右の件(くだり)の王卿等 詔(みことのり)に応(こた)へて歌を作り、次(つぎて)によりて奏す。・・・>

 

 この歌群および左注の詳細ならびに九九六歌についても、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1706)」で紹介している。

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■巻十九 四二七三~四二七八歌■

題詞は、「廿五日新甞會肆宴應詔歌六首」<二五日に、新嘗会(にひなへのまつり)の肆宴(とよのあかり)にして詔(みことのり)に応(こた)ふる歌六首>であり、家持の歌で歌い納めになっている。

 

◆天地与 相左可延牟等 大宮乎 都可倍麻都礼婆 貴久宇礼之伎

       (大納言巨勢朝臣 巻十九 四二七三)

 

≪書き下し≫天地(あめつち)と相栄(あひさか)えむと大宮を仕へまつれば貴(たふと)く嬉(うれ)しき

 

(訳)無窮不変の天地とともにお栄えになるようにと執り行なわれる大宮の祭り、この祭りにお仕え申していると、何とも貴く嬉しいことです。(同上)

(注)大宮:新嘗の新殿

 

左注は、「右一首大納言巨勢朝臣」<右の一首は、大納言(だいなごん)巨勢朝臣(こせのあそみ)である。

 

 

◆天尓波母 五百都綱波布 万代尓 國所知牟等 五百都々奈波布<似古歌而未詳>

        (石川年足朝臣 巻十九 四二七四)

 

≪書き下し≫天(あめ)にはも五百(いほ)つ綱延(つなは)ふ万代(よろづよ)に国知らさむと五百(いほつ)つ綱(つな)延ふ<古歌に似ていまだ詳らかにあらず>

 

(訳)天空には、まあ、あまたの綱が賑々しく張り渡してあります。万代ののちまでもこの国をお治めになるようにと、あまたの綱が賑々しく張り渡してあります。(同上)

(注)天空:神殿の天井。前歌の「大宮」をほめる。

 

左注は、「右一首式部卿石川年足朝臣」<右の一首は、式部卿(しきぶのきやう)石川年足朝臣(いしかはのとしたりのあそみ)>である。

 

 

 

◆天地与 久万弖尓 万代尓 都可倍麻都良牟 黒酒白酒乎

      (文室智努真人 巻十九 四二七五)

 

≪書き下し≫天地と久しきまでに万代(よろづよ)に仕へまつらむ黒酒(くろき)白酒(しろき)を

 

(訳)天地とともに遠い遠い先まで、万代にお仕えも仕上げよう。このめでたい黒酒や白酒を捧げて。(同上)

(注)くろき【黒酒】名詞:黒い酒。新嘗祭(にいなめさい)や大嘗祭(だいじようさい)で供えられる。 ※「き」は、酒の意。[反対語] 白酒(しろき)。(学研)

(注)しろき【白酒】名詞:新嘗祭(にいなめまつ)り・大嘗祭(だいじようさい)などに神前に供える白い酒。 ※「き」は酒のこと。[反対語] 黒酒(くろき)。(学研)

 

左注は、「右一首従三位文室智努真人」<右の一首は、従三位文室智努真人(ふみやのちののまひと)>である。

 

 

◆嶋山尓 照在橘 宇受尓左之 仕奉者 卿大夫等

        (藤原八束朝臣 巻十九 四二七六)

 

≪書き下し≫島山に照れる橘(たちばな)うずに挿(さ)し仕へまつるは卿大夫(まへつきみ)たち

 

(訳)御苑(ぎょえん)の山に照り輝く橘、その実を髪に挿して、今や挙(こぞ)ってお仕えしているのは、我が大君の卿大夫(まえつきみ)たちです。(同上)

(注)しまやま【島山】名詞:①島の中の山。また、川・湖・海などに臨む地の島のように見える山。②庭の池の中に作った山。築山(つきやま)。(学研)ここでは②の意

 

左注は、「右一首右大辨藤原八束朝臣」<右の一首は、右大弁(うだいべん)藤原八束朝臣(ふぢはらのやつかのあそみ)>である。

 

 

 

◆袖垂而 伊射吾苑尓 鴬乃 木傳令落 梅花見尓

       (藤原永手朝臣 巻十九 四二七七)

 

≪書き下し≫袖(そで)垂(た)れていざ我が園(その)にうぐひすの木伝(こづた)ひ散らす梅の花見に

 

(訳)お役目ご苦労様でした。次いでは晴れ着の袖を垂らしながら、さあわれらの園へ行きましょう。鴬が枝を伝って散らす梅の花なんぞ見に。(同上)

(注)我が園:我らの園。前歌の「島山」を承け、別に設けた園遊の場をこう言った。

 

左注は、「右一首大和國守藤原永手朝臣」<右の一首は、大和の国の守(かみ)藤原永手朝臣(ふぢはらのながてのあそみ)>である。

 

 

 

◆足日木之 夜麻之多日影 可豆良家流 宇倍尓左良尓 梅乎之努波

        (大伴家持 巻十九 四二七八)

 

≪書き下し≫あしひきの山下(やました)ひかげかづらける上(うへ)にやさらに梅をしのはむ

 

(訳)山の下蔭の日蔭の縵、その日陰の縵を髪に飾って賀をつくした上に、さらに、梅を賞でようというのですか。その必要もないと思われるほどめでたいことですが、しかしそれもまた結構ですね。(同上)

(注)ひかげのかづら【日陰の蔓・日陰の葛】名詞:①しだ類の一種。つる性で、常緑。深緑の色は美しく、変色しないという。神事に使われた。日陰草。②大嘗祭(だいじようさい)などのとき、親王以下女孺(によじゆ)以上の者が物忌みのしるしとして冠の左右に掛けて垂らしたもの。古くは①を使ったが、のちには、白色または青色の組み紐(ひも)を使った。日陰の糸。◇「日陰の鬘」とも書く。(学研) ここでは①の意で、これを縵にするのは新嘗祭の礼装。

 

 この歌群については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1055)」で紹介している。

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 「応詔歌」の場は宮中での宴席につきものの作歌の場となっていった。天平の官人たちは常に即興の歌が求められたのである。

 また大伴家持がそういった機会に遭遇することが多くなったことも以前の期と比べて万葉集に収録されていることも無視できないと思える。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「別冊國文學 万葉集必携」稲岡耕二 編(學燈社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典