万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その824)―高岡市伏木一宮 高岡市万葉歴史館―万葉集 巻十七 三九八五

●歌は、「射水川い行き廻れる玉櫛笥二上山は春花の咲ける盛りに秋の葉のにほへる時に出で立ちて振り放け見れば神からやそこば貴き山からや見が欲しからむ統め神の裾みの山の渋谿の崎の荒礒に朝なぎに寄する白波夕なぎに満ち来る潮のいや増しに絶ゆることなくいにしへゆ今のをつつにかくしこそ見る人ごとに懸けて偲はめ」である。

 

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高岡市万葉歴史館万葉歌碑(大伴家持

●歌碑は、高岡市伏木一宮 高岡市万葉歴史館にある。

 

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「二上山賦一首  此山者有射水郡也」<二上山(ふたがみやま)の賦(ふ)一首  この山は射水の郡に有り>である。

 

◆伊美都河泊 伊由伎米具礼流 多麻久之氣 布多我美山者 波流波奈乃 佐家流左加利尓 安吉能葉乃 尓保敝流等伎尓 出立氐 布里佐氣見礼婆 可牟加良夜 曽許婆多敷刀伎 夜麻可良夜 見我保之加良武 須賣可未能 須蘇未乃夜麻能 之夫多尓能 佐吉乃安里蘇尓 阿佐奈藝尓 餘須流之良奈美 由敷奈藝尓 美知久流之保能 伊夜麻之尓 多由流許登奈久 伊尓之敝由 伊麻乃乎都豆尓 可久之許曽 見流比登其等尓 加氣氐之努波米

               (大伴家持 巻十七 三九八五)

 

≪書き下し≫射水川(いみづかは) い行き廻(めぐ)れる 玉櫛笥(たまくしげ) 二上山は 春花(はるはな)の 咲ける盛りに 秋の葉の にほへる時に 出で立ちて 振(ふ)り放(さ)け見れば 神(かむ)からや そこば貴(たふと)き 山からや 見が欲(ほ)しからむ 統(す)め神(かみ)の 裾廻(すそみ)の山の 渋谿(しふたに)の 崎(さき)の荒礒(ありそ)に 朝なぎに 寄する白波(しらなみ) 夕なぎに 満ち来(く)る潮(しほ)の いや増しに 絶ゆることなく いにしへゆ 今のをつつに かくしこそ 見る人ごとに 懸(か)けて偲(しの)はめ

 

(訳)射水川、この川がめぐって流れて行く、玉櫛笥二上山は、春の花の盛りの時にも、秋の葉の色づく時にも、外に出て立って振り仰いで見ると、国つ神の品格のせいであんなにも貴いのであろうか、山そのものの気品のせいで見たくてならないのであろうか。この統べ神二上山の麓(ふもと)の山渋谿(しぶたに)、その崎の荒磯に、朝凪(あさなぎ)の時にしずしずとうち寄せる白波、夕凪(ゆうなぎ)の時にひたひたと満ちてくる潮、その満潮(みちしお)のようにいよいよますます、絶えることとてなく、去(い)にし遠い時代から今の世に至るまで連綿と、こんなにも、見る人の誰も彼もが心に懸けてこの山を賞(め)で続けて行くことであろう。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)賦:中国の韻文の一つ。感じる所をそのままに詠じた韻文。ここでは長歌の意に当てている。

(注)射水川:今の小矢部川

(注)たまくしげ【玉櫛笥・玉匣】分類枕詞:くしげを開けることから「あく」に、くしげにはふたがあることから「二(ふた)」「二上山」「二見」に、ふたをして覆うことから「覆ふ」に、身があることから、「三諸(みもろ)・(みむろ)」「三室戸(みむろと)」に、箱であることから「箱」などにかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)かむから【神柄】名詞:神の性格。神の本性。「かみから」とも。 ※多く副詞的に用いられて「神の性格がすぐれているために」の意。(学研)

(注)そこば【若干・許多】副詞:たいそう。たくさん。 ※「ば」は接尾語。(学研)

(注)みがほし【見が欲し】形容詞:見たい。 ※上代語。(学研)

(注)統(す)め神(かみ):二上山をこの地の支配神とみてこう表現した

(注)渋谿(しぶたに):富山県高岡市太田(雨晴)の海岸

(注)をつつ【現】名詞:今。現在。「をつづ」とも。(学研)

 

短歌二首の方もみてみよう。

 

◆之夫多尓能 佐伎能安里蘇尓 与須流奈美 伊夜思久思久尓 伊尓之敝於母保由

               (大伴家持 巻十七 三九八六)

 

≪書き下し≫渋谿(しふたに)の崎(さき)の荒礒(ありそ)に寄する波いやしくしくにいにしへ思ほゆ

 

(訳)渋谿の崎の荒磯にうち寄せる波、その波のように次々と、いよいよしきりに去にし世のことが思われる。「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

(注)いやしくしくに【弥頻く頻くに】副詞:ますますひんぱんに。いよいよしきりに。(学研)

 

◆多麻久之氣 敷多我美也麻尓 鳴鳥能 許恵乃孤悲思吉 登岐波伎尓家里

               (大伴家持 巻十七 三九八七)

 

≪書き下し≫玉櫛笥(たまくしげ)二上山に鳴く鳥の声の恋(こひ)しき時は来にけり

 

(訳)玉櫛笥二上山に鳴く鳥の、その声の慕わしくならぬ季節、待ち望んだ時は、今ここにとうとうやって来た。(同上)

 

左注は、「右三月卅日依興作之 大伴宿祢家持」<右は、三月の三十日に、興に依(よ)りて作る。大伴宿禰家持>である。

(注)興の依りて:感興を催して。家持に目立ち、独詠歌が多い。

 

 

  中国で漢の時代に流行った壮麗な漢文が「賦」である。家持はそれになぞらえ、越中の風土を読んだ長歌を「賦」と称した。越中の三賦と言われるもので、「二上山(ふたがみやま)の賦(三九八五から三九八七)」、「立山(たちやま)の賦(四〇〇〇から四〇〇二)」、「布勢の水海に遊覧する賦(三九九一・三九九二)」の三つである。

 

 

 高岡市公式ホームページ「ほっとホット高岡」に「高岡市万葉歴史館」について次のように書かれている。

 「『万葉集』の歌人で編者ともされる大伴家持は、天平18年(西暦746年)、越中国守として赴任し5年間の在任中に223首ものすぐれた歌を詠みました。家持が政務をとった越中国庁跡に程近い伏木一宮にある高岡市万葉歴史館は、『万葉集』に関心の深い全国の方々との交流をはかるための拠点として、平成元年(西暦1989年)の高岡市市制施行百周年を記念する事業の一環として建設され、平成2年(西暦1990年)10月に開館しました。万葉歴史館では、年間を通して越中万葉や『万葉集』をテーマとした展示や講座を開催しており、全国各地から万葉愛好者や観光客が訪れます。敷地内には『万葉集』ゆかりの花木を植栽した「四季の庭」があり楽しむことができます。また、『万葉集』と上代文学に関する図書・研究論文約85,000冊や、貴重な『万葉集』の断簡・注釈書・古写本などを収集・保存しています。開館以来続けられている『万葉集』の調査・研究は、教育普及や高岡市の「万葉のふるさとづくり」などに活用されています。」

 

 

◆◆◆寺井の跡➡高岡市万葉歴史館◆◆◆

 

 寺井の跡からだらだらと坂を上ること約10分、漸く高岡市万葉歴史館に到着する。駐車場も十分空きスペースがあり、これなら車で移動した方がよかったのではと思う、しかし今更引き返すわけにはいかない。

 入口のエントランスロードをはさんで「二上山の賦」の歌碑があり、入口横に、家持と坂上大嬢のブロンズ像と「四一三九歌」の歌碑があった。

 これまで、ブログを書く中で「高岡市万葉歴史館HP」に何度アクセスしたことであろうか。一度は行って見たいと思っていた、その歴史館の前についに、立ったのである。

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高岡市万葉歴史館


 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「古代史で楽しむ万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫

★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書

★「ほっとホット高岡」 (高岡市公式ホームページ」

★「万葉歌碑めぐりマップ」 (高岡地区広域圏事務組合)