万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2336)―

●歌は、「ほととぎすいとふ時なしあやめぐさかづらにせむ日こゆ鳴き渡れ」である。

富山市松川べり 越中万葉歌石板⑥(古歌<作者未詳>) 20230705撮影

●歌石板は、富山市松川べり 越中万葉歌石板⑥(古歌<作者未詳>)である。

 

●歌をみていこう。

 

 四〇三二から四〇五一歌の歌群の総題詞は、「天平廿年春三月廾三日左大臣橘家之使者造酒司令史田邊福麻呂饗于守大伴宿祢家持舘爰作新歌幷便誦古詠各述心緒」<天平(てんびやう)二十年の春の三月の二十三日に、左大臣橘家の使者、造酒司(さけのつかさ)の令史(さくわん)田辺史福麻呂(たなべのふびとさきまろ)に、守(かみ)大伴宿禰家持が舘(たち)にして饗(あへ)す。ここに新(あらた)いき歌を作り、幷(あは)せてすなはち古き詠(うた)を誦(うた)ひ、おのもおのも心緒(おもひ)を述ぶ>である。

(注)左大臣橘家の使者:左大臣橘諸兄家の使者。用向きは不明。(伊藤脚注)

(注)みきのつかさ【造酒司】:律令制で、宮内省に属し、酒・酢の醸造や、節会せちえの酒をつかさどった役所。さけのつかさ。ぞうしゅし。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)れいし【令史】〘名〙:令制の四等官の最下位。司・監・署等の主典(さかん)。→主典(さかん)(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)田辺福麻呂:万葉最後の宮廷歌人左大臣橘諸兄の庇護のもとに。天平十年~十六年頃に活躍。(伊藤脚注)

 

 四〇三二歌からみてみよう。

◆奈呉乃宇美尓 布祢之麻志可勢 於伎尓伊泥弖 奈美多知久夜等 見底可敝利許牟

         (田辺福麻呂 巻十八 四〇三二)

 

≪書き下し≫奈呉の海に舟しまし貸せ沖に出(い)でて波立ち来(く)やと見て帰り来(こ)む

 

(訳)あの奈呉の海に乗り出すのに、どなたか、ほんのしばし舟を貸してください。沖合に漕ぎ出して行って、波が立ち寄せて来るかどうか見て来たいものです。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)奈呉の海:海は、家持の館から眼に入ったのであろう。山国の大和から来た福麻呂には珍しい景色に映ったのであろう。(伊藤脚注)

(注)しまし【暫し】副詞:「しばし」に同じ。 ※上代語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 この歌は、万葉集巻十八の巻頭歌である。

 

 巻頭歌については、次のように拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて」で紹介している。

■巻一~巻四■

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■巻五~巻八■

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■巻九~巻十二■

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■巻十三~巻十六■

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■巻十七~巻二十■

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感想(1件)

◆奈美多氐波 奈呉能宇良未尓 余流可比乃 末奈伎孤悲尓曽 等之波倍尓家流

       (田辺福麻呂 巻十八 四〇三三)

 

≪書き下し≫波立てば奈呉の浦廻(うらみ)に寄る貝の間(ま)なき恋にぞ年は経(へ)にける

 

(訳)波が立つたびに奈呉の入江に絶え間なく寄って来る貝、その貝のように絶え間もない恋に明け暮れているうちに、時は年を越してしまいました。(同上)

(注)上三句は序。「間なき」を起こす。

(注)年は経にける:都で恋していたことを踏まえていう。(伊藤脚注)

 

 

◆奈呉能宇美尓 之保能波夜非波 安佐里之尓 伊泥牟等多豆波 伊麻曽奈久奈流

      (田辺福麻呂 巻十八 四〇三四)

 

≪書き下し≫奈呉の海に潮の早干(はやひ)ばあさりしに出でむと鶴(たづ)は今ぞ鳴くなる

 

(訳)この奈呉の海で、潮が引いたらすぐに餌を漁(あさ)りに出ようとばかりに、鶴(たず)は、今しきりに鳴き立てています。(同上)

(注)前二首は波に関し、以下二首は鳥に関する歌。(伊藤脚注)

 

◆保等登藝須 伊等布登伎奈之 安夜賣具左 加豆良尓勢武日 許由奈伎和多礼

        (田辺福麻呂<誦> 巻十八 四〇三五)

 

≪書き下し≫ほととぎすいとふ時なしあやめぐさかづらにせむ日こゆ鳴き渡れ

 

(訳)時鳥よ、来てくれていやな時などありはせぬ。だけど、菖蒲草(あやめぐさ)を縵(かうら)に着ける日、その日だけはかならずここを鳴いて渡っておくれ。(同上)

(注)古歌(巻十 一九五五)を利用したもの。(伊藤脚注)

 

左注は、「右四首田邊史福麻呂」<右の四首は田辺史福麻呂>である。

 

題詞にあるように、家持の館にて、「ここに新(あらた)しき歌を作り、幷(あは)せて古き詠(うた)を誦(うた)ひ」とあり、四〇三二から四〇三五歌四首の左注は「右の四首は田辺史福麻呂」とある。福麻呂は四〇三二から四〇三四歌を作り。四〇三五歌は、古歌(一九五五歌)を利用して誦(うた)ったのであろう。ここでは、「田辺福麻呂<誦>」と記しておきます。

 

 四〇三二から四〇三五歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その843)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 田辺福麻呂について、藤井一二氏は、その著「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」(中公新書)のなかで、「『万葉集』(巻十八・四〇三二~四〇三五題詞)に『左大臣橘家之使者造酒司令史』と記すのは、田辺福麻呂造酒司に帰属しつつ左大臣橘諸兄の要請で橘家の家事を兼任し行動していたからにちがいない。それは、橘諸兄田辺福麻呂歌人としての卓越した資質を評価したからであろう。この人事には橘諸兄の歌集編纂に対する熱い思いが込められていたと、私には思われる。」と書いておられる。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク デジタル大辞泉

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典