万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1019)―愛知県豊明市新栄町 大蔵池公園(1)―万葉集 巻二十 四四四八

●歌は、「あぢさゐの八重咲くごとく八つ代にをいませ我が背子見つつ偲はむ」である。

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愛知県豊明市新栄町 大蔵池公園(1)万葉歌碑(橘諸兄


 

●歌碑は、愛知県豊明市新栄町 大蔵池公園(1)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆安治佐為能 夜敝佐久其等久 夜都与尓乎 伊麻世和我勢故 美都ゝ思努波牟

                (橘諸兄 巻二十 四四四八)

 

≪書き下し≫あぢさいの八重(やへ)咲くごとく八(や)つ代(よ)にをいませ我が背子(せこ)見つつ偲ばむ

 

(訳)あじさいが次々と色どりを変えてま新しく咲くように、幾年月ののちまでもお元気でいらっしゃい、あなた。あじさいをみるたびにあなたをお偲びしましょう。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)八重(やへ)咲く:次々と色どりを変えて咲くように

(注)八(や)つ代(よ):幾久しく。「八重」を承けて「八つ代」といったもの。

(注)います【坐す・在す】[一]自動詞:①いらっしゃる。おいでになる。▽「あり」の尊敬語。②おでかけになる。おいでになる。▽「行く」「来(く)」の尊敬語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 左注は、「右一首左大臣寄味狭藍花詠也」≪右の一首は、左大臣、味狭藍(あじさゐ)の花に寄せて詠(よ)む。>である。

 

 この歌については、これまでも何回か紹介してきている。

 

 聖武天皇と大仏建立、防人、恵美押勝の乱等々日本史でいろいろと習ってきたが、この歴史的な背景の中に関わる、大伴家持の接点などは、万葉歌碑巡りをして、ブログを書き始めて知ったことが多く、今更ながら、たかが万葉歌碑、されど万葉歌碑の思いである。

 

 橘諸兄大伴家持の接点などは、微塵も知る由もなかった。

 ますます「万葉集」に引き込まれていくのである。

 

 

 11月14日、愛知県春日井市東野町「ふれあい縁道 万葉の小道」と同豊明市新栄町「大蔵池公園」の万葉歌碑を巡った。

 どちらも万葉植物ゆかりの歌碑であるので、この橘諸兄の四四四八歌は重複している。

 ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1005)」で書いた通り、橘諸兄の歌は万葉集には十首収録されている。本稿では、四〇五六、四〇五七、四四四七、四四五四、四四五五歌を紹介することにさせていただく。「その1005」では、一〇二五、一五七四、一五七五、三九二二歌を紹介している。

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 四〇五六、四〇五七歌からみてみよう。

 

総題詞は、「太上皇御在於難波宮之時歌七首 清足姫天皇也」 <太上皇(おほきすめらみこと)、難波(なには)の宮に御在(いま)す時の歌七首 清足姫天皇(きよたらしひめのすめらみこと)なり>である

(注)太上皇元正天皇

 

題詞は、「左大臣橘宿祢歌一首」<左大臣宿禰(たちばなのすくね)が歌一首>である。

 

◆保里江尓波 多麻之可麻之乎 大皇乎 美敷祢許我牟登 可年弖之里勢婆

                 (橘諸兄 巻十八 四〇五六)

 

≪書き下し≫堀江(ほりえ)には玉敷かましを大君(おほきみ)を御船(みふね)漕(こ)がむとかねて知りせば

 

(訳)堀江には玉を敷き詰めておくのでしたのに。我が大君、大君がここで御船を召してお遊びになると、前もって存じ上げていたなら。(同上)

(注)堀江:難波の堀江。今の天満橋あたりの大川。

 

◆多萬之賀受 伎美我久伊弖伊布 保里江尓波 多麻之伎美弖ゝ 都藝弖可欲波牟 <或云 多麻古伎之伎弖>

                (橘諸兄 巻十八 四〇五七)

 

≪書き下し≫玉敷かず君が悔(く)いて言ふ堀江には玉敷き満(み)てて継ぎて通(かよ)はむ  <或いは「玉扱き敷きて」といふ>

 

(訳)玉を敷かないで、そのことをあなたが悔やんで言うこの堀江には、私が玉を一面に敷き詰めてあげて、これからの何度でも通ってきましょう。<私がこの玉を散らかして敷いてあげて>(同上)

 

左注は、「右二首件歌者御船泝江遊宴之日左大臣奏幷御製」<右の二首の件(くだり)の歌は、御船(おほみふね)江(かわ)を泝(さかのぼ)り遊宴する日に、左大臣が奏、幷(あは)せて御製>である。

(注)奏:天皇に奏上した歌

 

四〇五六から四〇六二歌は、橘諸兄の命を承け、田辺福麻呂が「橘家の使者」として越中大伴家持に会い、伝誦した歌群である。歌群の左注には「伝承する人は、田辺史福麻呂ぞ」とある。

この歌群については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その982)」で紹介している。

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続いて四四四七歌である。

 

◆麻比之都ゝ 伎美我於保世流 奈弖之故我 波奈乃未等波無 伎美奈良奈久尓

             (橘諸兄 巻二十 四四四七)

 

≪書き下し≫賄(まひ)しつつ君が生(お)ほせるなでしこが花のみ問(と)はむ君ならなくに

 

(訳)贈り物をしてはあなたがたいせつに育てているなでしこ、あなたは、そのなでしこの花だけに問いかけるようなお方ではないはずです。(同上)

(注)まひ:依頼や謝礼のしるしとして神にささげたり、人に贈ったりする物。「まひなひ」とも。

 

 題詞は、「同月十一日左大臣橘卿宴右大辨丹比國人真人之宅歌三首」<同じき月の十一日に、左大臣橘卿(たちばなのまへつきみ)、右大弁(うだいべん)丹比國人真人(たぢひのくにひとのまひと)が宅(たく)にして宴(うたげ)する歌三首>である。

 

この歌を含む三首は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その191改)」で紹介している。

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次は、四四五四歌である。

 

題詞は、「十一月廿八日左大臣集於兵部卿橘奈良麻呂朝臣宅宴歌一首」<十一月の二十八日に、左大臣兵部卿橘奈良麻呂朝臣が宅(いへ)にて宴する歌一首>である。

 

◆高山乃 伊波保尓於布流 須我乃根能 祢母許呂其呂尓 布里於久白雪

               (橘諸兄 巻二十 四四五四)

 

≪書き下し≫高山(たかやま)の巌(いはほ)に生(お)ふる菅(すが)の根(ね)のねもころごろに降り置く白雪

 

(訳)高い山の巌に根をおろしている菅の根ではないが、ねんごろに隅々まで置いている白雪の、まあ何と鮮やかなこと(同上)

(注)上三句は序。「ねもころごろに」を起こす。

(注)ねもころごろなり【懇ごろなり】形容動詞:①細やかだ。ねんごろだ。②隅々まで行き届いている。(学研)

 

左注は、「右一首左大臣作」<右の一首は、左大臣作る>である。

 

 

続いて四四五五歌である。

 

題詞は、「天平元年班田之時使葛城王従山背國贈薩妙觀命婦等所歌一首 副芹子褁」<天平元年の班田(はんでん)の時に、使(つかひ)の葛城王(かづらきのおほきみ)、山背の国より薩妙観命婦等(せちめうくわんみやうぶら)の所に贈る歌一首 芹子(せり)の褁に副ふ>である。

 

◆安可祢佐須 比流波多ゝ婢弖 奴婆多麻乃 欲流乃伊刀末仁 都賣流芹子許礼

                 (葛城王 巻二十 四四五五)

 

≪書き下し≫あかねさす昼は田(た)賜(た)びてぬばたまの夜のいとまに摘(つ)める芹子(せり)これ

 

(訳)日の照る昼には田を班(わか)ち与えるのに手を取られ、暗い夜の暇を盗んで摘んだ芹ですぞ、これは。(同上)

 

班田収受法(後述※※参照)に基づく班田使の仕事は、土地の測量、住民の把握、帳簿の整理と多忙を極めたといわれる。四四五五歌で葛城王は、昼の多忙さを前に出し、「夜の暇に」と戯れている。これに対して、四四五六歌で、薩妙観命婦はからかいにたいし絶妙に切り返しているのである。

 

 こちらもみてみよう。

 

◆麻須良乎等 於毛敝流母能乎 多知波吉弖 可尓波乃多為尓 世理曽都美家流

               (薩妙観命婦 巻二十 四四五六)

 

≪書き下し≫ますらをと思へるものを大刀(たち)佩(は)きて可爾波(かには)の田居(たゐ)に芹ぞ摘みける

 

(訳)立派なお役人と思い込んでおりましたのに、何とまあ、太刀を腰に佩いたまま、蟹のように這いつくばって、可爾波(かには)の田んぼで芹なんぞをお摘みになっていたとは。

(同上)

(注)可爾波(かには):京都府木津川市山城町綺田の地

 

題詞は、「薩妙觀命婦報贈歌一首」<薩妙觀命婦が報(こた)へ贈る歌一首>である。

 

左注は、「右二首左大臣讀之云尓 左大臣葛城王 後賜橘姓也」<右二首は、左大臣読みてしか云ふ 左大臣はこれ葛城王にして、 後に橘の姓を賜はる>である。

 

 この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その277改)」で紹介している。

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今回から、「大蔵池公園」シリーズである。

 池の周りに遊歩道が整備されている。全周700mである。

 昭和四十七年の堤防改修工事の折、池の中から四基の古窯が発見されたとの説明案内板があり、また昭和二十九年に発見され同四十八年発掘調査が行われ「九左山古窯址」と命名された碑が建てられていた。穴窯であり、奈良様式の須恵器や平安瓷器などが発掘されたと書かれていた。

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「大蔵池公園」名碑

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大蔵池公園園内案内図

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大蔵池古窯群説明案内板

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「九左山古窯址」の碑

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「九左山古窯址」の説明案内碑




 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」