●歌は、「南淵の細川山に立つ檀弓束巻くまで人に知らえじ」である。
●歌をみていこう。
◆南淵之 細川山 立檀 弓束纒及 人二不所知
(作者未詳 巻七 一三三〇)
≪書き下し≫南淵(みなぶち)の細川山(ほそかはやま)に立つ檀(まゆみ)弓束(ゆづか)巻くまで人に知らえじ
(訳)南淵の細川山に立っている檀(まゆみ)の木よ、お前を弓に仕上げて弓束を巻くまで、人に知られたくないものだ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)細川山:奈良県明日香村稲渕の細川に臨む山。
(注)ゆつか【弓柄・弓束】名詞:矢を射るとき、左手で握る弓の中ほどより少し下の部分。また、そこに巻く皮や布など。「ゆづか」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その482)」で紹介している。
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細川は多武峰から流れる川で石舞台古墳近くの玉藻橋辺りで明日香川に合流している。流域には、上、坂田、細川、稲渕といった地域がある。
明日香川(飛鳥川)については、「奈良県明日香地方を流れる川。高取山を源とし、大和川に入る。全長二八キロメートル。昔は流路がたびたび変わったところから、定めなき世のたとえとされ、また、「あす」という音から、『明日(あす)』にかけても用いられた。歌枕。」
この地域にある万葉歌碑をみてみよう。
■明日香村阪田 坂田寺跡
◆御食向 南淵山之 巖者 落波太列可 削遺有
(柿本人麻呂 巻九 一七〇九)
≪書き下し≫御食(みけ)向(むか)ふ南淵山(みなぶちやま)の巌(いはほ)には降りしはだれか消え残りたる
(訳)南淵山の山肌には、いつぞや降った薄ら雪が消え残っているのであろうか。(同上)
(注)みけむかふ【御食向かふ】分類枕詞:食膳(しよくぜん)に向かい合っている「䳑(あぢ)」「粟(あは)」「葱(き)(=ねぎ)」「蜷(みな)(=にな)」などの食物と同じ音を含むことから、「味原(あぢふ)」「淡路(あはぢ)」「城(き)の上(へ)」「南淵(みなぶち)」などの地名にかかる。
(注)はだれ 【斑】名詞:「斑雪(はだれゆき)」の略。(うっすらと積る状態)
題詞は、「獻弓削皇子歌一首」<弓削皇子に献る歌一首>である。
左注は、「右柿本朝臣人麻呂之歌集所出」<右は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づるところなり>である
この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その164改)」で紹介している。
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■飛鳥稲淵宮殿跡
◆明日香川 七瀬之不行尓 住鳥毛 意有社 波不立目
(作者未詳 巻七 一三六六)
≪書き下し≫明日香川七瀬(ななせ)の淀(よど)に棲(す)む鳥も心あれこれ波立ざらめ
(訳)明日香川の七瀬の淀に棲む鳥すらも、思いやりがあればこそ、波をたてないでいるのであろう、なのに。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)ざらめ<ざらむ 分類連語 ①〔「む」が意志の場合〕…まい。②〔「む」が推量の場合〕……ないだろう。(学研)
(注)「不行」は、川の水が流れない、すなわち、淀んでいるところから「よど」とよんでいる。
部立は、「譬喩歌」、題詞は、「寄鳥」<鳥に寄す>である。
噂を立てる世間のさがなさを詠った歌である。
こちらの歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その165改)」で紹介している。
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■稲淵 飛石
◆明日香川 明日文将渡 石走 遠心者 不思鴨
(作者未詳 巻十一 二七〇一)
≪書き下し≫明日香川明日(あす)も渡らむ石橋(いしばし)の遠き心は思ほえぬかも
(訳)明日香川 あの川を明日にでも渡って逢いに行こう。その飛石のように、離れ離れの遠く隔てた気持ちなどちらっとも抱いたことはないのです。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その167改)」の中で紹介している。
稲渕の棚田についても触れている。
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■飛鳥川玉藻橋
◆明日香川 湍瀬尓玉藻者 雖生有 四賀良美有者 靡不相
(作者未詳 巻七 一三八〇)
≪書き下し≫明日香川瀬々(せぜ)に玉藻は生(お)ひたれどしがらみあれば靡きあはなくに
(訳)明日香川の瀬ごとに玉藻は生えているけれど、しがらみが設けてあるので靡きあうことができないでいる。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)上三句は男女が相思相愛であることを歌い、しがらみは、仲を妨げる者の譬え。
この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その180改)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★{犬養孝揮毫万葉歌碑マップ(明日香村)}