万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう(その2777)―書籍掲載歌を中軸に(Ⅱ)―

●歌は、「富士の嶺のいや遠長き山路をも妹がりとへばけによはず来ぬ(作者未詳 14-3356)」である。

 

【富士の裾野】

 「東歌(巻十四‐三三五六)(歌は省略)・・・裾野に生活する人にとっては、さくさくした砂地こそ厄介なしろものだろうし、美景好風をたのしむどころではない。まして恋人のところに通う人の身になってみれば、行けどもつきない単調な歩きにくい山路はいらいらさせるばかりだ。この歌は“そんな長い山路だっても、いとしいお前さんのところというので、いきもきらずにやって来たのだよ”と、自分の労苦を女に訴えて相手の反応を期待する趣である。“富士の嶺のいや遠長き山路”の地方色の中に生きる恋する男たちのみんなにかよう気持ちとして、裾野地方にうたわれた歌であろう。『けに呼ばず』の『け』は接頭語、『によぶ』はうめき声をたてる意とみられるが、『日(け)に及(よ)ばず』とみて『日数もかけずに』とする説もある。折口博士(『総釈』)は『思うて通えば千里が一里などといふ小唄の古い類型』といわれた。土着の人のじかの声をそこにきくような歌だ。」(「万葉の旅 中 近畿・東海・東国」 犬養 孝 著 平凡社ライブラリーより)

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 巻十四 三三五六歌をみていこう。

■巻十四 三三五六歌■

◆不盡能祢乃 伊夜等保奈我伎 夜麻治乎毛 伊母我理登倍婆 氣尓餘婆受吉奴

          (作者未詳 巻十四 三三五六)

 

≪書き下し≫富士の嶺(ね)のいや遠長(とほなが)き山路(やまぢ)をも妹がりとへばけによはず来ぬ

 

(訳)富士の嶺の麓(ふもと)の、やたらに遠く長い山道、そんな道をも、いとしいそなたの許へと思えば、心軽々、すいすいとやって来た。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)いもがり【妹許】名詞:愛する妻や女性のいる所。 ※「がり」は居所および居る方向を表す接尾語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)とへば:「と言へば」の約。(伊藤脚注)

(注)けによはず来ぬ:「気(け)呻吟(によ)はず来ぬ」で、息を苦しく吐かずにやって来たの意か。(伊藤脚注)

(注)によふ【呻吟ふ】自動詞:うめく。うなる。「によぶ」とも。(学研)

 

 この歌についても拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その416)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 「裾野市HP」にこの歌について下記のように紹介されているので引用させていただきました。

裾野市HP」より引用させていただきました。

 

 

 

 

裾野市観光協会HP」に「裾野の富士山」の写真が数多く掲載されていたので、この歌のイメージに近い「いや遠長き山路」をイメージさせる次の写真を引用させていただいた。

「裾野の富士山」(裾野市観光協会HP)より引用させていただきました。



 

 

 

万葉集の世界に飛び込もう―書籍掲載歌を中軸に(Ⅱ)―」シリーズで「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー)をベースに「近畿」「東海」と書いているが、本稿で「東海」が終り、次は、「東国」である。

2004年11月にM大学で特別講義(万葉集ではありませんが・・・)をさせていただく機会をいただきました。

これを利用して千葉県の万葉歌碑巡りをしてきましたので、「万葉歌碑を訪ねて」シリーズとして当該歌碑の紹介を行ったあと、また「東国」からスタートいたします。

よろしくお願い申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の旅 中 近畿・東海・東国」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「裾野市HP」

★「裾野の富士山」 (裾野市観光協会HP)