万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2335)―

●歌は、「ほととぎすいとねたけくは橘の花散る時に来鳴き響むる」である。

富山市松川べり 越中万葉歌石板⑦(大伴家持) 20230705撮影

●歌石板は、富山市松川べり 越中万葉歌石板⑦(大伴家持)である。

 

●歌をみていこう。

 

四〇八九から四〇九二歌までの歌群の題詞は、「獨居幄裏遥聞霍公鳥喧作歌一首幷短歌」<独り幄(とばり)の裏(うち)に居(を)り、遥(はる)かに霍公鳥(ほととぎす)の喧(な)くを聞きて作る歌一首幷(あは)せて短歌>である。

(注)幄(とばり)の裏(うち):ここは部屋の中の意(伊藤脚注)

(注)四〇八九歌の長歌は、四〇一一歌以来一年八か月ぶりの長歌。以下、再び長歌が目立つ。(伊藤脚注)

 

 四〇八九歌からみてみよう。

 

◆高御座 安麻乃日継登 須賣呂伎能 可未能美許登能 伎己之乎須 久尓能麻保良尓 山乎之毛 佐波尓於保美等 百鳥能 来居弖奈久許恵 春佐礼婆 伎吉乃可奈之母 伊豆礼乎可 和枳弖之努波无 宇能花乃 佐久月多弖婆 米都良之久 鳴保等登藝須 安夜女具佐 珠奴久麻泥尓 比流久良之 欲和多之伎氣騰 伎久其等尓 許己呂都呉枳弖 宇知奈氣伎 安波礼能登里等 伊波奴登枳奈思

       (大伴家持 巻十八 四〇八九)

 

≪書き下し≫高御倉(たかみくら) 天(あま)の日継(ひつぎ)と すめろきの 神(かみ)の命(みこと)の きこしをす 国のまほらに 山をしも さはに多みと 百鳥(ももとり)の 来(き)居(ゐ)て鳴く声 春されば 聞きのかなしも いづれをか 別(わ)きて偲(しの)はむ 卯(う)の花の 咲く月立てば めづらしく 鳴くほととぎす あやめぐさ 玉貫(ぬ)くまでに 昼暮らし 夜(よ)わたし聞けど 聞くごとに 心つごきて うち嘆き あはれの鳥と 言はぬ時なし

 

(訳)高い御位にいます、日の神の後継ぎとして、代々の天皇が治めたまう国、この国のまっ只(ただ)中(なか)に、山が至る所にあるからとて、さまざまな鳥がやって来て鳴く声、その声は、春ともなると聞いてひとしお身にしみる。ただとりわけどの鳥の声を賞(め)でるというわけにはゆかない。が、やがて卯の花の咲く夏の四月ともなると、懐かしいも鳴く時鳥、その時鳥の声は、菖蒲(あやめ)を薬玉に通す五月まで、昼はひねもす、夜は夜通し聞くけれど、聞くたびに心がわくわくして、溜息(ためいき)ついて、ああ何と趣深き鳥よと、言わぬ時とてない。(同上)

(注)たかみくら【高御座】名詞:即位や朝賀などの重大な儀式のとき、大極殿(だいごくでん)または紫宸殿(ししんでん)の中央の一段高い所に設ける天皇の座所。玉座。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)あまつひつぎ【天つ日嗣ぎ】名詞:「天つ神」、特に天照大神(あまてらすおおみかみ)の系統を受け継ぐこと。皇位の継承。皇位。(学研)

(注)きこしおす【聞こし食す】[動]《動詞「聞く」の尊敬語「きこす」と、動詞「食う」の尊敬語「おす」の複合したもの》:「治める」の尊敬語。お治めになる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)まほら 名詞:まことにすぐれたところ。まほろば。まほらま。 ※「ま」は接頭語、「ほ」はすぐれたものの意、「ら」は場所を表す接尾語。上代語(学研)

(注)つきたつ【月立つ】分類連語:①月が現れる。月がのぼる。②月が改まる。月が変わる。(学研) ここでは②の意

(注)あやめぐさ 玉貫(ぬ)くまでに:菖蒲を薬玉に通す五月まで。(伊藤脚注)

(注)くらす【暮らす】他動詞:①日が暮れるまで時を過ごす。昼間を過ごす。②(年月・季節などを)過ごす。月日をおくる。生活する。(学研)

(注)よわたし【夜渡し】[副]一晩中。夜どおし。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)心つごきて:心が激しく動いて。(伊藤脚注)

 

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感想(1件)

 

◆由久敝奈久 安里和多流登毛 保等登藝須 奈枳之和多良婆 可久夜思努波牟

        (大伴家持 巻十八 四〇九〇)

 

≪書き下し≫ゆくへなくありわたるともほととぎす鳴きし渡らばかくや偲(しの)はむ

 

(訳)途方に暮れて日を送るようなことがあったとしても、時鳥が鳴きながら飛び渡って行きさえしたら、やはり今と同じように聞き惚(ほ)れることであろうよ。(同上)

(注)ゆくへなし【行く方無し】形容詞①どこへ行ったかわからない。行く先がわからない。②途方にくれる。(学研) ここでは②の意

(注)ありわたる【在り渡る】自動詞:ずっとそのままの状態で時を過ごす。(学研)

(注)かくや偲(しの)はむ:やはり今と同じようにその声を賞(め)でるであろう。時鳥の声はいかなる時もめでたいという心。(伊藤脚注)

 

 

◆宇能花能 登聞尓之奈氣婆 保等登藝須 伊夜米豆良之毛 名能里奈久奈倍

        (大伴家持 巻十八 四〇九一)

 

≪書き下し≫卯(う)の花のともにし鳴けばほととぎすいやめづらしも名告(なの)り鳴くなへ

 

(訳)卯の花の連れ合いとばかり鳴くものだから、時鳥の、その鳴く声にはいよいよと心引かれるばかりだ。自分はホトトギスだとちゃんと名を名告って鳴くにつけても。(同上)

(注)とも【友】名詞:友人。仲間。(学研)

(注)なへ 接続助詞:《接続》活用語の連体形に付く。〔事柄の並行した存在・進行〕…するとともに。…するにつれて。…するちょうどそのとき。 ※上代語。中古にも和歌に用例があるが、上代語の名残である。(学研)

 

 

◆保登等藝須 伊登祢多家口波 橘乃 播奈治流等吉尓 伎奈吉登余牟流

      (大伴家持 巻十八 四〇九二)

 

≪書き下し≫ほととぎすいとねたけくは橘(たちばな)の花(はな)散(ぢ)る時に来鳴き響(とよ)むる

 

(訳)時鳥、この鳥がやたら癪(しゃく)に障るのは、折しも橘の花が散る時にやって来て鳴きたてるせいなのだ。(同上)

(注)いとねたけくは:まことに小憎らしくてならぬのは。以下、時鳥と橘とを同時に賞美できないことへの嘆き。時鳥への逆説的讃美。(伊藤脚注)

(注の注)いと 副詞:①大変。非常に。▽程度がはなはだしい。②〔下に打消の語を伴って〕それほど。たいして。 ⇒注意:②の用法があることを忘れないこと。(学研)

(注の注)ねたし【妬し】形容詞:くやしい。しゃくだ。いまいましい。腹立たしい。憎らしい。(学研)

 

左注は、「右四首十日大伴宿祢家持作之」<右の四首は、十日に大伴宿禰家持作る>である。

 

 

 四〇八九から四〇九二歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その855)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

 四〇九二歌について「松川べり散策 越中万葉歌碑&歌石板めぐり」(富山県文化振興財団発行)の解説に「天平感宝元年(749)5月10日(太陽暦6月3日)の作。家持は帳(とばり)の中で一人、遠くに鳴くホトトギスの声を聞いている。越中ホトトギスのと到来がおそく、タチバナの花が散ってしまうときに思いがけなくやって来て鳴くのでねたましい、と嘆いている。」と書かれている。

 

 この歌石板からしばらく歩くと「安住橋」である。すずかけ通りを走る、富山地方鉄道市内電車の姿も。

 「松川遊覧船HP」の「松川の七橋」に安住橋について「富山城がかつて安住城と呼ばれたことにちなんで名づけられた。松川になってから最も早い昭和8(1933)年に、鉄筋コンクリートアーチ橋として竣工。上を路面電車が通る。桜橋とこの安住橋は、ツインの市街橋として設計されたと考えれる。平成10(1998)年、鋼桁の歩道部分が増設され、高欄は、「ガラスの街とやま」にふさわしく、立山連峰と松川、太陽と青空をイメージしたガラス製のものに変更された。」と書かれている。



 松川べりを、歌石板を探しながら歩くのも楽しいものである。恵みの雨といいながらこのあたりまで来たら突然の風と雨との闘いに。しかし歌石板は見やすくなった。

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」