●歌は、「明日よりは継ぎて聞こえむほととぎす一夜のからに恋ひわたるかも」である。
●歌をみていこう。
四〇六六から四〇六九歌群の題詞は、「四月一日掾久米朝臣廣縄之舘宴歌四首」<四月の一日に、掾久米朝臣廣縄(じようくめのあそみひろつな)が館(たち)にして宴(うたげ)する歌四首>である。
◆安須欲里波 都藝弖伎許要牟 保登等藝須 比登欲能可良尓 古非和多流加母
(能登乙美 巻十八 四〇六九)
≪書き下し≫明日(あす)よりは継(つ)ぎて聞こえむ霍公鳥一夜(ひとよ)のからに恋ひわたるかも
(訳)明日からはひっきりなしに聞こえるはずの時鳥の声なのです。たった一夜の違いで焦がれつづけているわけなのです。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)一夜のからに:一晩が原因で。たった一晩の違いで。(伊藤脚注)
(注の注)からに 接続助詞:《接続》活用語の連体形に付く。①〔原因・理由〕…ために。ばかりに。②〔即時〕…と同時に。…とすぐに。③〔逆接の仮定条件〕…だからといって。たとえ…だとしても。…たところで。▽多く「…むからに」の形で。 ⇒参考:格助詞「から」に格助詞「に」が付いて一語化したもの。上代には「のからに」「がからに」の形が見られるが、これらは名詞「故(から)」+格助詞「に」と考える。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは①の意
左注は、「右一首羽咋郡擬主帳能登臣乙美作」<右の一首は、羽咋(はくひ)の郡(こほり)の擬主帳(ぎしゆちやう)能登臣乙美(のとのおみおとみ)作る>である。
(注)擬主帳:郡の四等官の主帳に準ずる人。(伊藤脚注)
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四〇六六から四〇六八歌をみてみよう。
◆宇能花能 佐久都奇多知奴 保等登藝須 伎奈吉等与米余 敷布美多里登母
(大伴家持 巻十八 四〇六六)
≪書き下し≫卯(う)の花の咲く月立ちぬほととぎす来鳴き響(とよ)めよふふみたりとも
(訳)卯の花の咲く四月がついに来た。時鳥よ、来て鳴き立てておくれ。花はまだつぼんでいようとも。(同上)
(注)うのはな【卯の花】 ウツギの白い花。また、ウツギの別名。うつぎのはな。《季 夏》(コトバンク 小学館デジタル大辞泉)
(注)つきたつ【月立つ】分類連語:①月が現れる。月がのぼる。②月が改まる。月が変わる(学研)ここでは②の意
(注)ふふむ【含む】自動詞:花や葉がふくらんで、まだ開ききらないでいる。つぼみのままである。(学研)
左注は、「右一首守大伴宿祢家持作之」<右の一首は守(かみ)大伴宿禰家持作る>である。
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1349表⑤)」で紹介している。
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◆敷多我美能 夜麻尓許母礼流 保等登藝須 伊麻母奈加奴香 伎美尓伎可勢牟
(遊行女婦土師 巻十八 四〇六七)
≪書き下し≫二上(ふたがみ)の山に隠(こも)れるほととぎす今も鳴かぬか君に聞かせむ
(訳)二上の山に隠(こも)っているはずの時鳥よ、今の今鳴いてくれないものか。我が君にお聞かせしたい。(同上)
(注)二上の山に隠れるほととぎす:時鳥は里で鳴く前に山にいるとされた。(伊藤脚注)
(注)君:家持たち宴席の人々をさす。(伊藤脚注)
左注は、「右一首遊行女婦土師作之」<右の一首は、遊行女婦土師作る>である。
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1721)」で、万葉集に収録されている遊行女婦の歌とともに紹介している。
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◆乎里安加之母 許余比波能麻牟 保等登藝須 安氣牟安之多波 奈伎和多良牟曽 <二日應立夏節 故謂之明旦将喧也>
(大伴家持 巻十八 四〇六八)
≪書き下し≫居(を)り明(あ)かしも今夜(こよひ)は飲まむ霍公鳥明けむ朝(あした)は鳴き渡らむぞ <二日は立夏の節の応(あた)る。このゆゑに、「明けむ朝は鳴かむ」といふ>
(注)居り明かしも:このままじっと夜明かししてでも。(伊藤脚注)
(訳)このまま夜明かししてでも今夜は飲もう。時鳥は、夜の明け放たれた朝には、きっと鳴きながら飛び渡って行くにちがいない。(同上)
左注は、「右一首守大伴宿祢家持作之」<右の一首は、守大伴宿禰家持作る>である。
■自宅→石川県羽咋郡達志水町下石
さあ、臼が峰往来、臼が峰頂上の歌碑巡りである。
7月4日、夜中の1時半に目覚ましで起床。(前日19時ごろ就寝。すんなり寝付けるわけはないが・・・)
2時50分、自宅を出発。途中のPA、SAでちょこちょこトイレ休憩と仮眠をとりながらのドライブ。
名神、北陸自動車道を進み、金沢東ICを出て「のと里山海道」を経由して県道29号線で目的地へ。
グーグルマップでは、「歌碑、〒929-1406 石川県羽咋郡宝達志水町下石21」で表示されている。
9時現地到着。あらかじめストリートビューでも確認していた光景が目の前に。道の傍らに車を留め、巻18‐4069の歌碑を撮影。
この瞬間はたまらない。「我はもや安見児得たり・・・」の心境である。
かくして、石川・富山万葉歌碑巡りはスタートしたのであった。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「グーグルマップ」