●歌は、「志雄道から直越え来れば羽咋の海朝なぎしたり舟楫もがも」である。
●歌碑は、石川県羽咋郡宝達志水町臼が峰往来(石仏峠)にある。
●歌をみていこう。
題詞は、「赴参氣太神宮行海邊之時作歌一首」<気太(けだ)の神宮(かむみや)に赴(おもぶ)き参り、海辺を行く時に作る歌一首>である。
(注)気多大社(けたたいしゃ):創建二千年もの歴史を持つ能登一宮。(中略)古くは天平二十年(748年)、当時越中国守であった大伴家持が能登巡行の折に「気太神宮」に赴いたと「万葉集」にみえる(後略)(羽咋市HP)
◆之乎路可良 多太古要久礼婆 波久比能海 安佐奈藝思多理 船梶母我毛
(大伴家持 巻十七 四〇二五)
≪書き下し≫志雄道(しをぢ)から直(ただ)越え来れば羽咋(はくい)の海朝なぎしたり船楫(ふなかぢ)もがも
(訳)志雄越えの山道を辿(たど)ってまっすぐに越えてくると、羽咋の海は今しも朝凪(あさなぎ)している。舟の櫂(かい)でもあればよいのに。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)志雄道:富山県氷見市から西へ、石川県羽咋市の南の志雄へ越える道。臼が峰を床鍋から深谷へ抜ける道か。(伊藤脚注)
(注)もがも 終助詞:《接続》体言、形容詞・断定の助動詞の連用形などに付く。〔願望〕…があったらなあ。…があればいいなあ。 ※上代語。終助詞「もが」に終助詞「も」が付いて一語化したもの。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
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四〇二一から四〇二九歌の左注は、「右件歌詞者 依春出擧巡行諸郡 當時當所属目作之 大伴宿祢家持」<右の件(くだり)の歌詞は、春の出挙(すいこ)によりて、諸郡を巡行し、時に当り所に当りて、属目(しよくもく)して作る。大伴宿禰家持>である。
(注)しょくもく【嘱目/属目】[名](スル):①今後どうなるか、関心や期待をもって見守ること。②目を向けること。③俳諧で、指定された題でなく即興的に目に触れたものを詠むこと。(weblio辞書 デジタル大辞泉)ここでは③の意
四〇二五歌については、左注の春の出挙のため「能登巡行」した折の歌(四〇二一~四〇二九)とともに、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1354)」で紹介している。
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そこに百選の一つ「臼ケ峰往来」について下記のように書かれている。
「選定箇所:日名田(富山県氷見市)~臼ヶ峰~下石(石川県宝達志水町)」
「概要:富山県氷見市日名田(ひなた)から臼が峰を越え、石川県宝達志水町下石(さがりいし)へ通じる臼が峰往来は、古代から越中と能登を結ぶ幹線道路である。江戸時代には、幕府の巡見使が通った官道で、御上使往来(ごじょうしおうらい)とも呼ばれた。奈良時代、越中国守大伴家持が出挙(すいこ)巡行のために越えた『之乎路(しおじ)』がこの臼が峰往来と考えられる。」
ルートは下記の地図の通りである。
「臼が峰往来」を歌碑で追ってみよう。
この歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その810)」で紹介している。
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■臼が峰山頂公園万葉歌碑(大伴家持 巻十七 四〇二五)
歌は、本稿紹介の石川県羽咋郡宝達志水町 石仏峠付近万葉歌碑(大伴家持 巻十七 四〇二五 )と同じである。
■石川県羽咋郡宝達志水町 石仏峠付近万葉歌碑(大伴家持 巻十八 四一一三)
■石川県羽咋郡宝達志水町 石仏峠付近万葉歌碑(大伴家持 巻十八 四一一六)
■石仏峠
この説明案内板にある万葉歌碑群は現在40基の歌碑が立てられている。(20230704現在)
■石川県羽咋郡宝達志水町下石万葉歌碑群(大伴家持 巻二十 四五一六他)
この五基の歌碑のなかで代表して拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2258~2262)」で紹介している。このうちの同「同(その2258)」は次の通りである。
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■石川県羽咋郡宝達志水町下石万葉歌碑(能登臣乙美 巻十八 四〇六九)
この歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2257)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「羽咋市HP」