●歌は、「立て居て待てど待ちかね出でて来し君にここに逢ひかざしつる萩」である。
●歌碑は、石川県羽咋郡宝達志水町臼が峰往来(石仏峠)にある。
●歌をみていこう。
題詞は、「大伴宿祢家持和歌一首」<大伴宿禰家持が和(こた)ふる歌一首>である。
◆立而居而 待登待可祢 伊泥氐来之 君尓於是相 挿頭都流波疑
(大伴家持 巻十九 四二五三)
≪書き下し≫立ちて居(ゐ)て待てど待ちかね出でて来(こ)し君にここに逢(あ)ひかざしつる萩(はぎ)
(訳)立ったり座ったりして、待っても待っても待ちきれずに旅立って来た、そのあなたにここで逢い、相ともにかざしている、この萩の花よ。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)出でて来し:越中から出て来てしまったが。中止法。(伊藤脚注)
(注の注)ちゅうしほう【中止法】〘名〙: 述語となっている用言の連用形を用いて、文をいったん中止し、次に続ける述べ方。「天高く、馬肥ゆ」「よく学び、よく遊べ」「腐ったものを食べ、腹をこわす」の類。中止法に用いられた用言とそれに続く部分との関係は、前後を問わず並列する場合と、時間的な進行の順序に従って述べる場合とがある。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)
(注)ここに逢ひかざしつる萩:このお屋敷でお逢いして共にかざすことができました、この萩の花を。三人が出逢った喜びをこめる。(伊藤脚注)
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家持が久米広縄の「萩の花を矚(み)て作る歌一首(四二五二歌)」に和(こた)ふる歌が四二五三歌である。
四二五二歌をみてみよう。
題詞は、「正税帳使掾久米朝臣廣縄事畢退任 適遇於越前國掾大伴宿祢池主之舘 仍共飲樂也 于時久米朝臣廣縄矚芽子花作歌一首」<正税帳使(せいせいちやうし)、掾(じよう)久米朝臣広縄(くめのあそみひろつな)、事畢(をは)り、任(にん)に退(まか)る。たまさかに越前(こしのみちのくち)の国の掾大伴宿禰池主が館に遇(あ)ひ、よりて共に飲楽す。時に、久米朝臣広縄、萩の花を矚(み)て作る歌一首>である。
(注)任に退る:任地越中に帰ることをいう。(伊藤脚注)
◆君之家尓 殖有芽子之 始花乎 折而挿頭奈 客別度知
(久米広縄 巻十九 四二五二)
≪書き下し≫君が家に植ゑたる萩の初花(はつはな)を折りてかざさな旅別るどち
(訳)あなたの家に育てている萩、季節に先駆けて咲いた花、この初々しい花を手折って挿頭(かざし)にしよう。ここで散り散りになる旅人われらは。(同上)
(注)君:この場の主人。池主。(伊藤脚注)
(注)はつはな【初花】名詞:①その年、その季節になって最初に咲く花。また、その草木に最初に咲いた花。[季語] 春。②年ごろの若い娘をたとえていう語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは①の意
(注)どち 名詞:仲間(なかま)。連れ。(学研)
(注の注)旅別るどち:ここで散り散りになる旅人われらは。「旅別る」は、家持・広縄が別れ去り、池主も一人残されることをいう。(伊藤脚注)
四二五二、四二五三歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1372)」で紹介している。
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四二五二、四二五三歌の背景について、藤井一二氏は、その著「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」(中公新書)の中で次のように書かれている。
家持は、「越中を発ち、何日が経た八月某日に越前国府に到着した。かつて越中に在籍しいま越前国掾の職にある大伴池主の館を訪れたところ、正税帳使の任を終えて帰路にある久米広縄と出会った。互いに「適遇」(偶然の邂逅)に感激し、歌を作って交歓することになった。」
広縄の歌に家持が和(こた)えたのが四二五三歌である。これほどの「適遇」(偶然の邂逅)にも関わらず大伴池主の歌がないのは寂しい限りである。
広縄は都から越中に戻る途中越前の大伴池主の館を訪れている。家持は越中から池主の館を訪問している。広縄も家持も越中の池主の館の場所を知っていたのである。池主はどのようにして、広縄や家持に自分の家の場所を知らせたのか。
平城宮の碁盤状のであれば「〇条〇坊」である程度は分かるのであるが、地方の場合はどうであろうか。幹線からの分かれ道には、道標みたいなものがあったのだろうか。
また、当たり前のように書簡のやり取を行っているが・・・。
疑問に思っていろいろと調べてみたが確たることは分からなかった。大きな宿題である。
昨日、8月19日以来の「おもひぐさ(ナンバンキセル)」のパトロールである。平城宮跡詣である。熱中症注意が叫ばれているが、若い人たちの集団が宮跡内の遊歩道をマラソンしている。首筋からしたたり落ちる汗をものともせずである。
こちらはマイペースで荻の群生している所を目指す。
ありました。ありました。以前より数も増え、少し大きくなっている。
なんとも言えない可憐な、つつましやかな花なのだろう。この姿に惹かれる。
「道の辺の尾花が下の思ひ草 今さらさらに何をか思はむ」(巻十 二二七〇)
花そのものが歌である。
二二七〇歌ならびにナンバンキセルについては、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1151)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」