万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1349表④~⑥)―小矢部市蓮沼 万葉公園(源平ライン)(4表④~⑥)―万葉集 巻十七 四〇二一、巻十八 四〇六六、四〇七〇

―その1349表④―

●歌は、「雄神川紅にほふ娘子らし葦付(水松の類)取ると瀬に立たすらし」である。

f:id:tom101010:20220215134319p:plain

小矢部市蓮沼 万葉公園(源平ライン)(4表④)万葉歌碑(大伴家持

●歌碑は、小矢部市蓮沼 万葉公園(源平ライン)(4表④)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「礪波郡雄神河邊作歌一首」<礪波(となみ)の郡(こほり)の雄神(をかみ)の川辺(かはへ)びして作る歌一首>である。

(注)礪波郡:富山県西南部の郡。越前との境。(伊藤脚注)

 

◆乎加未河泊 久礼奈為尓保布 乎等賣良之 葦附[水松之類]等流登 湍尓多々須良之

      (大伴家持 巻十七 四〇二一)

 

≪書き下し≫雄神川(をがみかは)紅(くれなひ)にほふ娘子(をちめ)らし葦付(あしつき)<水松之類>取ると瀬(せ)に立たすらし

 

(訳)雄神川、この川は一面に紅色に照り映えている。娘子たちが、葦付<水松の一種>を取るとて、裳裾濡らして立っておられるのであるらしい。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)雄神川:礪波平野を流れる荘川の、富山県砺波市荘川町付近での古名。(伊藤脚注)

 

 越中国礪波郡東部の石粟(いしあわ)村に、橘奈良麻呂の墾田地が設けられていた。この百町を越える墾田地は、国守である大伴家持の行政力があったからと言われている。藤井一二氏はその著「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」(中公新書)のなかで、「奈良時代における東大寺荘園の開墾状況をつたえる『東大寺開田図(とうだいじかいでんず)』(正倉院所蔵など)のうち、『越中国礪波郡石粟村官施入田(いしあわむらかんせにゅうでん)地図』(奈良県国立博物館所蔵・・・)や『伊加流伎開田地図(いかるきかいでんちず)』(正倉院所蔵)の四至(しいし 東西南北の隣接地)によると、この時期の礪波郡の東部一帯には橘奈良麻呂地、大原麻呂地、越中国分寺田、東大寺伊加留伎荘などが分布していた。彼ら在京の貴族と大伴家持の関係が墾田成立の背景に存在していたことは確かであろう。」と書かれている。

 かかる墾田地は雄神川上流にあった。

 

四〇二一歌に詠まれている「あしつき」は、万葉集ではこの歌のみに詠われており、気になるので検索してみました。

高岡市万葉歴史館HPに次のように書かれている。

「『あしつき』は、清流に自生する緑褐色で塊状の寒天様藻類のこととされています。

 湧水を源とする清流の底石などに付着しています。高岡市中田にある『いきもの公園』に行けば、 本物のその姿を見ることができます。

 しかし、大伴家持はこの歌で『あしつき』を『葦付 水松の類』と表記しており、

地元でも、古くは『いしつき』と呼んでいたというように、石に付着しているその植物は、本当に家持の見た物なのか、疑問視する学者もいます。『万葉集』にただ一度登場する『葦付』とは一体、どんな植物だったのでしょうか。」

f:id:tom101010:20220215134518p:plain

「あしつき」 高岡市万葉歴史館HPより引用させていただきました。

とやまの文化遺産魅力発信事業実行委員会(事務局:富山県教育委員会生涯学習文化財室)HP「とやまの文化遺産」に次のように書かれている。

「上麻生のあしつきのり

高岡市上麻生地内の中田橋を渡り切った庄川右岸に、葦附苔の生育地がある。『雄神川くれない匂う乙女らし葦附とると瀬に立たすらし』と、越中の国守大伴家持の歌に詠まれている万葉植物である。万葉のふるさと高岡にとってもかけがえのない至宝とされ、その保存に努力がはらわれている。

もとは庄川の左岸、北般若の石代付近の湧水地帯にも広く見られたのであるが、おそらく家持の時代には、この付近の浅瀬に多く生えていて、食用にされたものと思われる。

四月初め、小川の底の石や川水べりの葦などの根に緑の小さなイボ状に発生して、しだいに成長し、最大5~8㎝位の塊となる。7月上旬から水温が高くなると黄褐色となり崩れさる。数珠状の中にある大型の細胞が越冬して翌春発芽して再び葦附となる。近年、河川改修などで繁殖地は限られている。」

 

 機会があれば一度見てみたいものである。

 

 

―その1349表⑤―

●歌は、「卯の花の咲く月立ちぬほととぎす来鳴き響めよふふみたりとも」である。

f:id:tom101010:20220215134612p:plain

小矢部市蓮沼 万葉公園(源平ライン)(4表⑤)万葉歌碑(大伴家持

●歌碑は、小矢部市蓮沼 万葉公園(源平ライン)(4表⑤)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「四月一日掾久米朝臣廣縄之舘宴歌四首」<四月の一日に、掾(じよう)久米朝臣広縄が館(たち)にして宴(うたげ)する歌四首>である。

 

◆宇能花能 佐久都奇多知奴 保等登藝須 伎奈吉等与米余 敷布美多里登母

      (大伴家持 巻十八 四〇六六)

 

≪書き下し≫卯(う)の花の咲く月立ちぬほととぎす来鳴き響(とよ)めよふふみたりとも

 

(訳)卯の花の咲く四月がついに来た。時鳥よ、来て鳴き立てておくれ。花はまだつぼんでいようとも。(同上)

(注)うのはな【卯の花】 ウツギの白い花。また、ウツギの別名。うつぎのはな。《季 夏》(コトバンク 小学館デジタル大辞泉

(注)つきたつ【月立つ】分類連語:①月が現れる。月がのぼる。②月が改まる。月が変わる(学研)ここでは②の意

(注)ふふむ【含む】自動詞:花や葉がふくらんで、まだ開ききらないでいる。つぼみのままである。(学研)

 

左注は、「右一首守大伴宿祢家持作之」<右の一首は守(かみ)大伴宿禰家持作る>である。

 

 

―その1349表⑥―

●歌は、「一本のなでしこ植ゑしその心誰れに見せむと思ひそめけむ」である。

f:id:tom101010:20220215134910p:plain

小矢部市蓮沼 万葉公園(源平ライン)(4表⑥)万葉歌碑(大伴家持



●歌碑は、小矢部市蓮沼 万葉公園(源平ライン)(4表⑥)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「詠庭中牛麦花歌一首」<庭中の牛麦(なでしこ)が花を詠(よ)む歌一首>である。

 

◆比登母等能 奈泥之故宇恵之 曽能許己呂 多礼尓見世牟等 於母比曽米家牟

      (大伴家持 巻十八 四〇七〇)

 

≪書き下し≫一本(ひともと)のなでしこ植ゑしその心誰(た)れに見せむと思ひ始めけむ

 

(訳)一株(ひとかぶ)のなでしこを庭に植えたその私の心、この心は、いったい誰に見せようと思いついてのことであったのだろか・・・。(同上)

 

左注は、「右先國師従僧清見可入京師 因設飲饌饗宴 于時主人大伴宿祢家持作此歌詞送酒清見也」<右は、先(さき)の国師(こくし)の従僧(じゆうそう)清見(せいけん)、京師(みやこ)に入らむとす。よりて、飲饌(いんせん)を設(ま)けて饗宴(きやうえん)す。時に、主人(あろじ)大伴宿禰家持、この歌詞(かし)を作り、酒を清見に送る>である。

(注)この歌は、花に先立って上京してしまう相手を惜しむ送別歌。(伊藤脚注)

(注)こくし【国師】:奈良時代の僧の職名。大宝令により、諸国に置かれ、僧尼の監督、経典の講義、国家の祈祷(きとう)などに当たった。のちに講師(こうじ)と改称。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)じゅうそう【従僧】〘名〙 高僧や住職などに付き従う僧侶。従者である僧。ずそう。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク 小学館デジタル大辞泉

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「高岡市万葉歴史館HP」

★「とやまの文化遺産」 (とやまの文化遺産魅力発信事業実行委員会HP 事務局:富山県教育委員会生涯学習文化財室)

★「万葉歌碑めぐりマップ」 (高岡地区広域圏事務組合)