万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1349表①~③)―小矢部市蓮沼 万葉公園(源平ライン)(4表①~③)―万葉集 巻十七 三九四三、三九五一、三九七七

―その1349表①―

●歌は、「秋の田の穂向き見がてり我が背子がふさ手折い来るをみなへしかも」である。

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小矢部市蓮沼 万葉公園(源平ライン)(4表①)万葉歌碑(大伴家持

●歌碑は、小矢部市蓮沼 万葉公園(源平ライン)(4表①)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆秋田乃 穂牟伎見我氐里 和我勢古我 布左多乎里家流 乎美奈敝之香物

      (大伴家持 巻十七 三九四三)

 

≪書き下し≫秋の田の穂向き見がてり我(わ)が背子がふさ手折(たお)り来(け)る女郎花(をみなへし)かも

 

(訳)秋の田の垂穂(たりほ)の様子を見廻りかたがた、あなたがどっさり手折って来て下さったのですね、この女郎花は。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)我が背子:客の大伴池主をさしている。

(注)ふさ 副詞:みんな。たくさん。多く。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

題詞は、「八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌」<八月の七日の夜に、守(かみ)大伴宿禰家持が館(たち)に集(つど)ひて宴(うたげ)する歌である。

この歌ならびに次稿の三九五一歌もこの宴での歌である。

 

 

―その1349表②―

●歌は、「ひぐらしの鳴きぬる時はをみなへし咲きたる野辺を行きつつ見べし」である。

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小矢部市蓮沼 万葉公園(4表②)万葉歌碑(秦忌寸八千嶋)

●歌碑は、小矢部市蓮沼 万葉公園(4表②)秦忌寸八千嶋にある。

 

●歌をみていこう。

 

                                         

◆日晩之乃 奈吉奴流登吉波 乎美奈敝之 佐伎多流野邊乎 遊吉追都見倍之

     (秦忌寸八千嶋 巻十七 三九五一)

 

≪書き下し≫ひぐらしの鳴きぬる時はをみなへし咲きたる野辺(のへ)を行(ゆ)きつつ見(み)べし

 

(訳)ひぐらしの鳴いているこんな時には、女郎花の咲き乱れる野辺をそぞろ歩きしながら、その美しい花をじっくり賞(め)でるのがよろしい。(同上)

(注)をみなえし:三九四三(家持),三九四四歌(池主)の女郎花を承ける。越中の「ヲミナ」の意をこめ、望郷の念の深まりを現地への関心に引き戻す。(伊藤脚注)

 

 三九四三から三九五五歌の歌群の題詞は、「八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌」<八月の七日の夜に、守(かみ)大伴宿禰家持が館(たち)に集(つど)ひて宴(うたげ)する歌である。天平十八年(746年)六月二十一日越中守となり赴任してきた家持を歓迎する宴で、越中歌壇の出発点となったと言われている。

 

この歌ならびに十三首すべてについてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その335)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

―その1349表③―

●歌は、「葦垣の外にも君が寄り立たし恋ひけれこそば夢に見えけれ」である。

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小矢部市蓮沼 万葉公園(4表③)万葉歌碑(大伴家持

●歌碑は、小矢部市蓮沼 万葉公園(4表③)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆安之可伎能 保加尓母伎美我 余里多々志 孤悲家礼許曽婆 伊米尓見要家礼

      (大伴家持 巻十七 三九七七)

 

≪書き下し≫葦垣(あしかき)の外(ほか)にも君が寄り立たし恋ひけれこそば夢(いめ)に見えけれ

 

(訳)葦の垣根の外にあなたが寄り立たれながら、私に心を寄せていて下さったからこそ、お姿が夢に見えたのですね、(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)恋ひけれこそば:「恋ひければこそ」に同じ。(伊藤脚注)

(注の注)ばこそ 分類連語:(一)〔活用語の未然形に付いて〕①〔文中に用いて〕…ならばきっと。▽順接の仮定条件を強調する。②〔文末に用いて〕…はずがない。…ものか。▽ある事態を仮定し、それを強く否定する。◇中世以降の用法。

(二)〔活用語の已然形に付いて〕…からこそ。▽順接の確定条件を強調する。語法文中に用いられる場合、文末の活用語は係助詞「こそ」を受けて已然形となる。 ⇒なりたち 接続助詞「ば」+係助詞「こそ」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

左注は、「三月五日大伴宿祢家持臥病作之」<三月の五日に、大伴宿禰家持病(やまひ)に臥(ふ)して作る>である。

 

 もう一首もみてみよう。

 

◆佐家理等母 之良受之安良婆 母太毛安良牟 己能夜万夫吉乎 美勢追都母等奈

      (大伴家持 巻十七 三九七六)

 

≪書き下し≫咲けりとも知らずしあらば黙(もだ)もあらむこの山吹(やまぶき)を見せつつもとな

 

(訳)咲いてはいても、そうと知らずにいたならかかわりなしに平静でいられたでしょう。なのにこの山吹の花を心なく私にお見せになったりして・・・。(同上)

(注)もだ【黙】名詞:黙っていること。何もしないでじっとしていること。▽「もだあり」「もだをり」の形で用いる。(学研)

(注)もとな 副詞:わけもなく。むやみに。しきりに。 ※上代語。(学研)

 

 

 この二首は、書簡と七言一首に添えられている。

 書簡と七言一首もみてみよう。

 

◆(書簡)昨暮来使幸也以垂晩春遊覧之詩 今朝累信辱也以貺相招望野之歌 一看玉藻稍寫欝結二吟秀句已蠲愁緒 非此眺翫孰能暢心乎 但惟下僕稟性難彫闇神靡瑩 握翰腐毫對研忘渇 終日目流綴之不能 所謂文章天骨習之不得也 豈堪探字勒韻叶和雅篇哉 抑聞鄙里少兒 古人言無不酬 聊裁拙詠敬擬解咲焉

<如今賦言勒韵同斯雅作之篇 豈殊将石間瓊唱聾遊之曲歟 抑小兒譬濫謡 敬寫葉端式擬乱曰>

 

七言一首

杪春餘日媚景麗 初巳和風拂自軽

来燕銜泥賀宇入 歸鴻引蘆逈赴瀛

聞君嘯侶新流曲 禊飲催爵泛河清

雖欲追尋良此宴 還知染懊脚▼▽ 

  ▼は「足偏に『令』」。▽は「足偏に『丁』」

 

≪書簡書き下し≫昨暮の来使は、幸(むが)しくも晩春遊覧の詩を垂れたまひ、今朝の累信(るいしん)は、辱(たかじけな)くも相招(さうせう)望野(ぼうや)の歌を貺(たま)ふ。一たび玉藻(ぎよくさう)を看(み)るに、やくやくに欝結(うつけつ)を写(のぞ)き、二たび秀句(しうく)を吟(うた)ふに、すでに愁緒(しうしよ)を蠲(のぞ)く。この眺翫(てつぐわん)にあらずは、孰(た)れか能(よ)く心を暢(の)べむ。ただし下僕(われ)、稟性(ひんせい)彫(ゑ)ること難(かた)く、闇神(あんしん)瑩(みが)くこと靡(な)し。翰(かん)を握(と)りて毫(がう)を腐(くた)し、研(げん)に対(むか)ひて渇(かわ)くことを忘る。終日目流(もくる)とも、綴ること能(あた)はず。謂(い)ふならく、文章は天骨にして、これを習ふこと得ずと。あに字を探り韻を勒(ろく)して、雅篇に叶和(けふわ)するに堪(あ)へめや。はた、鄙里(ひり)の少児(せうこ)に聞えむ。古人は言に酬(むく)いずといひことなし。いささかに拙詠を裁(つく)り、敬(つつし)みて解咲(かいせう)に擬(なぞ)ふらくのみ。

<今(いま) し、言を賦(ふ)し韻を勒し、この雅作の篇に同ず。あに石をもちて瓊(たま)に間(まじ)ふるに殊ならめや。声に唱へて走(わ)が曲に遊ぶといふか。はた、小児の、濫(みだり)に謡(うた)ふがごとし。敬みて葉端(えふたん)に写し、もちて乱に擬(なそ)へて曰(い)はく>

 

七言一首

杪春(べうしゆん)の余日(よじつ)媚景(びけい)は麗(うるは)しく、初巳(しよし)の和風払ひておのづからに軽(かろ)し。

来燕(らいえん)は泥(ひぢ)を銜(ふふ)み宇(いへ)を賀(ほ)きて入り、帰鴻(きこう)は蘆(あし)を引き逈(とほ)く瀛(おき)に赴(おもぶ)く。

聞くならく君は侶(とも)に嘯(うそぶ)き流曲を新たにし、禊飲(けいいん)に爵(さかづき)を催(うなが)して河清に泛(うか)ぶと。

良きこの宴(うたげ)を追ひ尋ねまく欲(ほ)りすれど、なおし知る懊(やまひ)に染(そ)みて脚(あし)▼▽(れいてい)することを。

      ▼は「足偏に『令』」。▽は「足偏に『丁』」

 

(略私訳) 昨夕の使者は喜ばしいことに晩春遊覧の詩を届けてくれ、今朝いただいた重ねてのお便りは、ありがたい野遊びにお誘いの歌をいただきました。最初のすばらしい書きようを見て憂うつな気分が拭われる思いになり、二度目のすばらしい歌を歌ってみてすでに嘆き沈んでいる気持ちが拭われました。佳景を賞でるあなたの詩歌以外に、なにがよく心を暢びやかにしえよう。ただ、小生、生まれつき文才が劣っており、愚かなる心は研きようもありません。筆を取っても筆先を腐らせてしまうだけ、硯に向かっても水が乾いてしまうのを忘れてしまうばかりです。一日中曲水の流れを見やったとしても文字で綴ることができません。いってみれば文章の才は生まれつきのもので、習って得られるようなものではありません。どうして、文字を探し韻を踏んで詩を作る、あなたの風雅な詩にうまく合わせられましょうか。いや多分、小生の作品は田舎の子供の口ずさみのように聞こえましょう。昔の人は贈られた頼りには和(こた)えないことはないそうです。そこで拙い詩歌を作り、謹んでお笑い草にいたします。

(今、文字を起こし韻を踏み、あなたのすばらしき詩歌にお和えします。どうして、それが石をもって玉と一緒にできましょうか。声を張り上げて自分勝手な歌を楽しむというべきであろうか。はてまた子供がやたらに歌うようなものです。謹んで拙文を書き、なんとかしにまとめました。それは、)

(注)さくぼ【昨暮】〘名〙:きのうの暮れがた。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)むがし 形容詞:喜ばしい。ありがたい。 ※「うむがし」の変化した語。(学研)

(注)相招(さうせう)望野(ぼうや)の歌:野遊びに誘う歌。(三月五日の池主の歌、三九七三~三九七五歌をさす)(伊藤脚注)

(注)-たび【度】接尾語:数を表す語に付いて度数を表す。(学研)

(注)やくやく【漸漸】〔副〕:(「ようやく(漸)」の古形) 次第に。おもむろに。そろそろ。だんだん。(weblio辞書 精選版 日本国語大辞典

(注)うつけつ【鬱結】[名]:①ふさがり滞ること。②気分が晴れ晴れしないこと。鬱屈。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)しうしよ【愁緒】:嘆き悲しむ心。悲しみの心。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)眺翫:ここは佳景を賞でる池主の詩歌。(伊藤脚注)

(注の注)眺翫:「眺」には、美しいとか見るべき価値があるという意味が、「翫」には、愛でるとか深く味わうという意味がある。

(注)ひんせい【稟性】:生まれつきの性質。天賦の性質。天性。稟質 (ひんしつ) 。(goo辞書)

(注)闇神(あんしん)瑩(みが)くこと靡(な)し:愚かな心は研きようもない。(伊藤脚注)

(注)かん【翰】:① 羽毛でつくった筆。「翰墨」② 書いたもの。文章。手紙。「貴翰・書翰・尊翰・来翰」③ 学問。学者。「翰林」④ 太い柱。守りとなるもの。「藩翰」(コトバンク デジタル大辞泉)ここでは①の意

(注)ごう【毫】① 細い毛。「毫毛/白毫びゃくごう」② ごくわずかなもの。「毫末/一毫・寸毫」③ 小数の名。一厘の十分の一。「毫釐ごうり」④ 毛筆。「揮毫」(コトバンク デジタル大辞泉)ここでは④の意

(注)けん【研】① とぐ。みがく。「研磨」② 物事の本質をきわめる。「研究・研鑽けんさん・研修」③「研究会」「研究所」の略。「教研・原研」④ (「硯けん」と通用)すずり。「研北」(コトバンク デジタル大辞泉)ここでは④の意

(注)目流すとも:曲水の流れを見やったとしても(伊藤脚注)

(注)てんこつ【天骨】名詞:生まれつき。また、生まれつきの才能や器用さ。「てんこち」とも(学研)

(注)ろくす【勒】〘他サ変〙:① おさえる。ひかえる。制御する。② ととのえる。おさめる。③ 彫りつける。刻みつける。また、書き留める。録する。④ 詩を作る時、あらかじめ韻字を定める。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)ここでは④の意

(注)はた、鄙里(ひり)の少児(せうこ)に聞えむ:いや多分、私の作品は田舎の子供の口ずさみのように聞こえよう、の意か。(伊藤脚注)

(注)<今し・・・日はく>は、「あに字を探り・・・」以下にたいする初案らしい。(伊藤脚注)

(注)声に唱へて走(わ)が曲に遊ぶといふか:声を張り上げて自分勝手な歌を楽しむというべきであろうか。(伊藤脚注)

(注)葉端:紙片。謙遜していう。(伊藤脚注)

(注)乱に擬(なそ)へて:おさめる意。長い詩を短くまとめたもの。(伊藤脚注)

 

(七言一首の訳)晩春の余日は佳景ことのほかうららか、上巳(じょうし)の和風は頬をかすめて吹くともなしに吹く。

訪れ来る燕は泥を含み家を祝して翔(かけ)り入り、帰り行く雁は葦を銜(くわ)えて遠く沖に飛び去る。

聞けば君は夜と詩歌を詠じて今年また曲水を祝い、上巳の酒宴に盃を勧めて清流に浮かべられたと。

我(われ)もまた佳宴に追い列(つら)なりたしと思いつつ、なおかつ覚ゆ病苦いまだ抜けやらず脚下よろめくことを(同上)

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク デジタル大辞泉

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「weblio辞書 デジタル大辞泉