万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1395)―福井県越前市 万葉ロマンの道(14)―万葉集 巻十五 三七六四

●歌は、「山川を中にへなりて遠くとも心を近く思ほせ我妹」である。

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福井県越前市 万葉ロマンの道(14)万葉歌碑(中臣宅守

●歌碑は、福井県越前市 万葉ロマンの道(14)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆山川乎 奈可尓敝奈里弖 等保久登母 許己呂乎知可久 於毛保世和伎母

      (中臣宅守 巻十五 三七六四)

 

≪書き下し≫山川(やまかは)を中にへなりて遠くとも心を近く思ほせ我妹(わぎも)

 

(訳)山や川、そう、そんな山や川が中に隔てていて、いかに遠く離れ離れにいようとも、心を私の近く近くへと寄り添って思っていておくれよね、あなた。(同上)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1355⑤)」で紹介している。

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 巻十五の二大歌群の二つ目が三七二三から三七八五歌までが、越前に配流された中臣宅守と都に残された狭野弟上娘子の間で取り交わされた、裁きにより配流され別離の悲劇の渦中の情熱的な贈答歌である。

 巻十五の一つ目の歌群(三五七八から三七二二歌)は、遣新羅使人等の歌である。この中にも別離の渦中の夫婦間の贈答歌が収録されている。これらをみてみよう。

 

■三五七八歌(妻)と三五七九歌(夫)

◆武庫能浦乃 伊里江能渚鳥 羽具久毛流 伎美乎波奈礼弖 古非尓之奴倍之

      (遣新羅使人等 巻十五 三五七八)

 

≪書き下し≫武庫(むこ)の浦の入江(いりえ)の洲鳥(すどり)羽(は)ぐくもる君を離(はな)れて恋(こひ)に死ぬべし

 

(訳)武庫の浦の入江の洲に巣くう鳥、その水鳥が親鳥の羽に包まれているように、大事にいたわって下さったあなた、ああ、あなたから引き離されたら、私は苦しさのあまり死んでしまうでしょう。(妻)(同上)

(注)武庫の浦:兵庫県武庫川河口付近。難波津を出た使人たちの最初の宿泊地らしい。(伊藤脚注)

(注)上二句は序。「羽ぐくもる」を起こす。

(注)はぐくむ【育む】他動詞:①羽で包みこんで保護する。②育てる。養育する。③世話をする。めんどうをみる。 ⇒参考 「羽(は)含(くく)む」の意から。「はごくむ」とも。(学研)

 

 

◆大船尓 伊母能流母能尓 安良麻勢婆 羽具久美母知弖 由可麻之母能乎

       (遣新羅使人等 巻十五 三五七九)

 

≪書き下し≫大船(おほぶね)に妹(いも)乗るものにあらませば羽(は)ぐくみ持ちて行かましものを

 

(訳)大船に女であるあなたも乗っていけるものなら、ほんとうに羽ぐくみ抱えて行きもしよう。(夫)(同上)

 

 妻の「羽ぐくみ」のキーワードを織り込んでの夫の和(こた)える歌も感動ものである。

 

 

■三五八〇歌(夫)と三五八一歌(妻)

◆君之由久 海邊乃夜杼尓 奇里多々婆 安我多知奈氣久 伊伎等之理麻勢

       (遣新羅使人等 巻十五 三五八〇)

 

≪書き下し≫君が行く海辺(うみへ)の宿(やど)に霧(きり)立たば我(あ)が立ち嘆く息(いき)と知りませ

 

(訳)あなたが旅行く、海辺の宿に霧が立ちこめたなら、私が門に立ち出てはお慕いして嘆く息だと思って下さいね。(妻)(同上)

(注)息:嘆きは霧となるとされた。(伊藤脚注)

 

 

◆秋佐良婆 安比見牟毛能乎 奈尓之可母 奇里尓多都倍久 奈氣伎之麻佐牟

      (遣新羅使人等 巻十五 三五八一)

 

≪書き下し≫秋さらば相見(あひみ)むものを何しかも霧(きり)に立つべく嘆きしまさむ

 

(訳)秋になったら、かならず逢えるのだ、なのに、どうして霧となって立ちこめるほどになげかれるのか。(夫)(同上)

(注)秋さらば:遣新羅使歌群は「秋」は帰朝を前提、つまり「愛しい人」に逢えることを軸に詠われている。当時の遣新羅使は数か月で戻れるのが習いであった。(この時は夏四月に発っている)

(注)す 他動詞:①行う。する。②する。▽ある状態におく。③みなす。扱う。する。 ⇒

語法 「愛す」「対面す」「恋す」などのように、体言や体言に準ずる語の下に付いて、複合動詞を作る。(学研)

(注)ます:尊敬の助動詞

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1232)」で紹介している。

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■三五八二歌(妻)と三五八三歌(夫)

◆大船乎 安流美尓伊太之 伊麻須君 都追牟許等奈久 波也可敝里麻勢

      (遣新羅使人等 巻十五 三五八二)

 

≪書き下し≫大船(おほぶね)を荒海(あるみ)に出(い)だしいます君障(つつ)むことなく早(はや)帰りませ

 

(訳)大船を荒海に漕ぎ出してはるばるいらっしゃるあなた、どうか何の禍(わざわい)もなく、一日も早く帰って来て下さいね。(妻)(同上)

(注)つつむ【恙む・障む】自動詞:障害にあう。差し障る。病気になる。(学研)

 

 

◆真幸而 伊毛我伊波伴伐 於伎都奈美 知敝尓多都等母 佐波里安良米也母

       (遣新羅使人等 巻十五 三五八三)

 

≪書き下し≫ま幸(さき)くて妹(いも)が斎(いは)はば沖つ波千重(ちへ)に立つとも障(さわ)りあらめやも

 

(訳)無事でいてあなたが潔斎を重ねて神様に祈ってくれさえすれば、沖の波、そう、そんな波なんかが幾重に立とうと、この身に障りなど起こるはずはありません。(夫)(同上)

(注)いはふ【斎ふ】他動詞:①けがれを避け、身を清める。忌み慎む。②神としてあがめ祭る。③大切に守る。慎み守る。 ⇒注意 「祝う」の古語「祝ふ」もあるが、「斎ふ」とは別語。(学研)

 

 

■三五八四歌(妻)と三五八五歌(夫)

◆和可礼奈波 宇良我奈之家武 安我許呂母 之多尓乎伎麻勢 多太尓安布麻弖尓

       (遣新羅使人等 巻十五 三五八四)

 

≪書き下し≫別れなばうら悲(がな)しけむ我(あ)が衣(ころも)下(した)にを着(き)ませ直(ただ)に逢(あ)ふまでに

 

(訳)離れ離れになったら、さぞもの悲しく心細いことでしょう。私のこの着物を肌身に着けていらして下さい。じかにお目にかかれるまで、ずっと。(妻)(同上)

        

 

◆和伎母故我 之多尓毛伎余等 於久理多流 許呂母能比毛乎 安礼等可米也母

       (遣新羅使人等 巻十五 三五八五)

 

≪書き下し≫我妹子(わぎもこ)が下(した)にも着よと贈りたる衣の紐(ひも)を我(あ)れ解(と)かめやも

 

(訳)いとしいあなたが肌身離さず身の守りにと贈ってくれたのだもの、この着物の紐を、私としたことが解いたりなど決してしません。(夫)(同上)

 

 肌身離さずいとしい人の着物を着て、紐を結ぶということは、万葉びとの男女間の固い契りであった。離れ離れになっても、強く結ばれているという心の絆であったのだろう。

 

■三五八六歌(夫)と三五八七歌・三五八八歌(妻)

◆和我由恵尓 於毛比奈夜勢曽 秋風能 布可武曽能都奇 安波牟母能由恵

       (遣新羅使人等 巻十五 三五八六)

 

 

≪書き下し≫我(わ)がゆゑに思ひな痩(や)せそ秋風の吹かむその月逢はむものゆゑ

 

(訳)私のせいで、思い悩んで痩せたりなどしないでおくれよ。秋風の吹き始めるその月には、きっと逢えるのだからね。(夫)(同上)

(注)前歌まで女―男の贈答であったものが、ここで男―女となる。(伊藤脚注)

 

 

◆多久夫須麻 新羅邊伊麻須 伎美我目乎 家布可安須可登 伊波比弖麻多牟

       (遣新羅使人等 巻十五 三五八七)

 

≪書き下し≫栲衾(たくぶすま)新羅(しらき)へいます君が目を今日(けふ)か明日(あす)かと斎(いは)ひて待たむ

 

(訳)栲衾(たくぶすま)の白というではないが、その新羅へはるばるおいでになるあなた、あなたにお目にかかれる日を、今日か明日かと忌み慎んでずっとお待ちしています。(妻)(同上)

(注)新羅:冒頭三五七八の、「武庫の浦」に対し、目的地「新羅」を示すことで、一連の贈答を閉じる。女の、男の行く先への関心を地名の配合によって示したもの。(伊藤脚注)

 

 

◆波呂波呂尓 於毛保由流可母 之可礼杼毛 異情乎 安我毛波奈久尓

      (遣新羅使人等 巻十五 三五八八)

 

≪書き下し≫はろはろに思(おも)ほゆるかもしかれども異(け)しき心を我(あ)が思(も)はなくに

 

(訳)思えば、何と遠く久しく離れ離れになることか。しかし、いかにどんなに離れていても、あだし心など、私はけっして持ちません。(同上)

(注)はろばろなり【遥遥なり】形容動詞:遠く隔たっている。「はろはろなり」とも。 ※上代語。(学研)

(注)はろはろには前歌の「新羅」と響き合う。(伊藤脚注)

(注)「しかれども」以下、女の誓約(伊藤脚注)

 

三五七八歌と三五七九歌は、なんという切ない思いの歌であろうか。夫の遣新羅使の仕事を頭では理解していても、甘えるように「羽ぐくもる君を離れて恋に死ぬべし」。しびれる歌である。

「羽ぐくむ」とは、「hug」「hugging」と。近い響きとニュアンスがある。万葉びとの言葉が海を渡ったのかもしれないなんて考えるとそれだけで楽しくなってくる。

 お互いを思いやる気持ちというものは時代を越えて胸に響くものがある。

 

 

 昨日Instagramに佐保川の満開の桜の写真がアップされているのを見たので、本日早速行って見て来たのである。

 満開の桜の見事さ!そして久しぶりに川沿いの万葉歌碑の写真も撮ったのである。

 前回の歌碑の紹介は2019年3月作成の初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしておりますので、ご容赦下さい。

 

 

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佐保川堤の万葉歌碑(大伴家持)巻4-715 20220401撮影

 この歌碑についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その11改)で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

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佐保川堤の万葉歌碑(大伴坂上郎女)巻8-1433 20220401撮影

 この歌碑についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その10改)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

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佐保川堤の万葉歌碑(大伴家持)巻6-994 20220401撮影

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佐保川堤の万葉歌碑(大伴坂上郎女)巻6-993 20220401撮影

 家持(巻6-994)ならびにこの歌碑についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その7、8改)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

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佐保川小学校前の万葉歌碑(作者未詳)巻7-1123 20220401撮影

 

 この歌碑についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その9改)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

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佐保川堤の桜 20220401撮影

 

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佐保川堤の桜 20220401撮影

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」