万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1394)―福井県越前市 万葉ロマンの道(13)―万葉集 巻十五 三七六三

●歌は、「旅と言へば言にぞやすきすべもなく苦しき旅も言にまさめやも」である。

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福井県越前市 万葉ロマンの道(13)万葉歌碑(中臣宅守

●歌碑は、福井県越前市 万葉ロマンの道(13)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆多婢等伊倍婆 許登尓曽夜須伎 須敝毛奈久 ゝ流思伎多婢毛 許等尓麻左米也母

       (中臣宅守 巻十五 三七六三)

 

≪書き下し≫旅と言へば言(こと)にぞやすきすべもなく苦しき旅も言(こと)にまさめやも

 

(訳)旅と言えば、口の上ではたやすいことだ。といって、どうしようもなく苦しいこの旅も、旅という言葉よりまさる言い方で表わし得るというのか、表しようはないのだ。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)こと【言】名詞:①ことば。言語。②うわさ。評判。③和歌。 ⇒参考:「事」と同じ語源という。奈良時代以降に分化したといわれるが、奈良・平安時代の「こと」には「言」「事」のどちらにもとれる例がある。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)言にまさめやも:旅という言葉以上でありえようか、所詮旅としか言い表しようがない。(伊藤脚注)

(注の注)ます【増す・益す】自動詞:①ふえる。激しくなる。②すぐれる。まさる。◇「勝す」とも書く。(学研)ここでは②の意

(注の注)やも 分類連語:①…かなあ、いや、…ない。▽詠嘆の意をこめつつ反語の意を表す。②…かなあ。▽詠嘆の意をこめつつ疑問の意を表す。 ※上代語。

⇒語法:「やも」が文中で用いられる場合は、係り結びの法則で、文末の活用語は連体形となる。 ⇒参考:「やも」で係助詞とする説もある。 ⇒なりたち:係助詞「や」+終助詞「も」。一説に「も」は係助詞。(学研)ここでは①の意

 

 

 「言」というと、言挙げ(ことあげ)、言霊(ことだま)、人言(ひとごと)、「言痛(こちた)」、言縁妻(ことよせづま)などといった言葉が詠われている、これらに関連した歌をみてみよう。

 

「言挙げ」「言霊」からみてみよう。

 

三二五三、三二五四歌の題詞は、「柿本朝臣人麻呂歌集歌日」<柿本朝臣人麻呂が歌集に日(い)はく>である。

(注)この歌は、大宝元年(701年)の遣唐使に贈った人麻呂自身の歌らしい。(伊藤脚注)

(注の注)両歌の作者名は、伊藤氏脚注に基づき「柿本人麻呂」としております。

 

◆葦原 水穂國者 神在随 事擧不為國 雖然 辞擧叙吾為 言幸 真福座跡 恙無 福座者 荒礒浪 有毛見登 百重波 千重浪尓敷 言上為吾 言上為吾

       (柿本人麻呂 巻十三 三二五三)

 

≪書き下し≫葦原(あしはら)の 瑞穂(みづほ)の国は 神(かむ)ながら 言挙げせぬ国 言挙げぞ我(わ)がする 言幸(さき)く ま幸くいませと 障(つつ)みなく 幸くいまさば 荒磯波(ありそなみ) ありても見むと 百重波(ももへなみ) 千重波(ちへなみ)にしき 言挙げす我(わ)れは 言挙げす我は

 

(訳)神の国葦原の瑞穂の国、この国は天つ神の神意のままに、人は言挙げなど必要としない国です。しかし、私はあえて言挙げをするのです。この言(こと)のとおりにご無事でいらっしゃい。障(さわ)ることなくご無事で行って来られるならば、荒磯の寄せ続ける波のように、変わらぬ姿でまたお目にかかることができるのだ、と、百重に寄せる波、千重に寄せる波、その波のように繰り返し繰り返して、言挙げするのです、私は。言挙げするのです、私は。(伊藤 博 著 「万葉集 三」角川ソフィア文庫より)

(注)ことあげ【言挙げ】名詞 <「す」が付いて他動詞(サ行変格活用)になる>:言葉に出して特に言い立てること。 ※上代語。 ⇒参考:上代、不必要な「言挙げ」は不吉なものとしてタブーとされ、あえてそのタブーを犯すのは重大な時に限られた。用例の歌は、そのあたりの事情を詠んでいる。(学研)

(注)言幸(ことさき)く:この言葉が幸くあるとおりに。(伊藤脚注)

(注)つつむ【恙む・障む】自動詞:障害にあう。差し障る。病気になる。(学研)

(注)ありそなみ【荒磯波】分類枕詞:同音の繰り返しで「あり」にかかる。(学研)

(注)ちへなみ 【千重波・千重浪】名詞:幾重にも重なって寄せる波。(学研)

(注)しく【頻く】自動詞:次から次へと続いて起こる。たび重なる。(学研)

 

 次は「反歌」である。

 

◆志貴嶋 倭國者 事霊之 所佐國叙 真福在与具

      (柿本人麻呂 巻十三 三二五四)

 

≪書き下し≫磯城島(しきしま)の大和(やまと)の国は言霊(ことだま)の助くる国ぞま幸くありこそ

 

(訳)我が磯城島の大和の国は、言霊が幸いをもたらしてくれる国なのです。どうかご無事で行って来て下さい。(同上) 

(注)しきしまの【磯城島の・敷島の】分類枕詞:「磯城島」の宮がある国の意で国名「大和」に、また、転じて、日本国を表す「やまと」にかかる。「しきしまの大和」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ことだま【言霊】名詞:言葉の霊力。言葉が持っている不思議な力。 ⇒参考:古代社会では、言葉と現実との区別が薄く、「言」は「事」であり、言葉はそのまま事実と信じられていた。たとえば、人の名はその人自身のことであり、女性が男性に自分の名を教えることは、相手に我が身をゆだねることを意味した。また、名を汚されると、その人自身が傷つくとも考えられた。このような考え方から、呪詛(じゆそ)(=他人に災いが起こるように神に祈ること)・祝詞(のりと)などの、言葉による呪術(じゆじゆつ)(=まじない)が成立した。(学研)

(注)まさきく【真幸く】副詞:無事で。つつがなく。 ※「ま」は接頭語。(学研)

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その97改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦下さい.)

 

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 人の噂といった意味の「人言」、「言痛」をみてみよう。

 

 ◆人事乎 繁美許知痛美 己世尓 未渡 朝川渡

     (但馬皇女 巻二 一一六)

 

≪書き下し≫人事(ひとごと)を繁(しげ)み言痛(こちた)みおのが世にいまだ渡らぬ朝川(あさかは)渡る。

 

(訳)世間の噂が激しくうるさくてならないので、それに抗して自分は生まれてこの方渡ったこともない、朝の冷たい川を渡ろうとしている―この初めての思いを私は何としてでも成し遂げるのだ。(伊藤 博 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)ひとごと【人言】名詞:他人の言う言葉。世間のうわさ。(学研)

(注)こちたし【言痛し・事痛し】形容詞:①煩わしい。うるさい。②甚だしい。度を越している。ひどくたくさんだ。③仰々しい。おおげさだ。(学研)

(注)あさかはわたる【朝川渡る】:世間を慮り、女ながら未明の川を渡って逢いに行く。「川」は恋の障害を表すことが多い。世間の堰に抗して初めての情事を全うするのだという意もこもる。(伊藤脚注)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その99)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂いたしております。ご容赦下さい。)

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 「人言」と「言痛」の歌をもう一首みてみよう。

 

他言者 真言痛 成友 彼所将障 吾尓不有國

       (作者未詳 巻十二 二八八六)

 

≪書き下し≫人言はまこと言痛くなりぬともそこに障らむ我れにあらなくに

 

(訳)人の噂はたしかにうるさくなったが、それにしても、そんなことにこだわる私ではけっしてないのに。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)さはる【障る】自動詞:①妨げられる。邪魔される。②都合が悪くなる。用事ができる。(学研)ここでは①の意

 

 

 さらに「人言」をもう一首みてみよう。

 

人事之 繁間守而 相十方八 反吾上尓 之将繁

       (作者未詳 巻十一 二五六一)

 

≪書き下し≫人言(ひとごと)の繁(しげ)き間(ま)守(も)りて逢ふともやなほ我(わ)が上(うえ)に言(こと)の繁けむ

 

(訳)うるさい世間の噂の隙を見はからって逢ったとしても、やっぱり、私たちの上には噂がこっぴどくつきまとうのであろうか。(同上)

(注)とも 分類連語:①…ということも。▽「と」の受ける部分の意味を和らげたり、含みをもたせる。②同じ動詞・形容詞を重ねてその間に置いて意味を強める。 ⇒なりたち:格助詞「と」+係助詞「も」(学研)ここでは①の意

 

 

 人の噂に寄って縁が結ばれた「言寄妻」の歌をみてみよう。

 

◆里人之 言縁妻乎 荒垣之 外也吾将見 悪有名國

       (作者未詳 巻巻十一 二五六二)

 

≪書き下し≫里人(さとびと)の言寄(ことよ)せ妻(づま)を荒垣(あらかき)の外(よそ)にや我(あ)が見む憎(にく)くあらなくに

 

(訳)村人たちが私の連れ合いだと言いふらしている子なんだが、その子を、私はよそながら見ていなければならないのか。憎からず思っているのに。(同上)

(注)ことよせづま【言寄妻】:① 自分との仲が世間のうわさにのぼっている恋人、妻。②(①を誤解したことによるか)思いをかけて言いよった女。(広辞苑無料検索 日本国語大辞典

(注)あらがきの【荒垣の】[枕]:垣は内外を隔てるところから、「よそ(外)」にかかる。(goo辞書)

 

「言葉」の語の歴史について、weblio古語辞典 学研全訳古語辞典には、「『こと』が事のみを意味するようになり、ことばを意味する『こと』がしだいに使われなくなるにつれて一般化した語。平安時代には、『ことのは』が上品で好ましいことばを意味するのに対して、『ことば』は単に口頭語を意味した。また、『ことのは』は和歌の中で使われたが、『ことば』は和歌には使われなかった。」とある。

 

 「万葉集」の名義は「万代集」(万代の後までと願望し祝福する歌集)である。万(よろず)言の葉ではない。

 万葉集とは・・・。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「goo辞書」

★「広辞苑無料検索 日本国語大辞典