●歌は、ひとごとをしげみこちたみおのが世に未だ渡らぬ朝川わたる」である。
●歌碑は、出雲初瀬街道沿いにある。
●歌をみていこう。
◆人事乎 繁美許知痛美 己世尓 未渡 朝川渡
(但馬皇女 巻二 一一六)
≪書き下し≫人事(ひとごと)を繁(しげ)み言痛(こちた)みおのが世にいまだ渡らぬ朝川(あさかは)渡る。
(訳)世間の噂が激しくうるさくてならないので、それに抗して自分は生まれてこの方渡ったこともない、朝の冷たい川を渡ろうとしている―この初めての思いを私は何としてでも成し遂げるのだ。(伊藤 博 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)ひとごと【人言】名詞:他人の言う言葉。世間のうわさ。(学研)
(注)こちたし【言痛し・事痛し】形容詞:①煩わしい。うるさい。②甚だしい。度を越している。ひどくたくさんだ。③仰々しい。おおげさだ。(学研)
(注)あさかはわたる【朝川渡る】:世間を慮り、女ながら未明の川を渡って逢いに行く。「川」は恋の障害を表すことが多い。世間の堰に抗して初めての情事を全うするのだという意もこもる。(伊藤脚注)
題詞は、「但馬皇女在高市皇子宮時竊接穂積皇子事既形而御作歌一首」<但馬皇女(たぢまのひめみこ)、高市皇子の宮に在(いま)す時に、竊(ひそ)かに穂積皇子に接(あ)ひ、事すでに形(あら)はれて作らす歌一首>である。
但馬皇女の歌は、一一四、一一五に続いてこの一一六歌があり、恋愛歌物語の様相をていしている。
◆秋田之 穂向乃所縁 異所縁 君尓因奈名 事痛有登母
(但馬皇女 巻二 一一四)
≪書き下し≫秋の田の穂向きの寄れる片寄りに君に寄りなな言痛くありとも
(訳)秋の田の稲穂が一方に片寄っているその片寄りのように、ただひたむきにあの方に寄り添いたいものだ。どんなに世間の噂がうるさくあろうとも。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
題詞は、「但馬皇女在高市皇子宮時思穂積皇子御作歌一首」<但馬皇女(たぢまのひめみこ)、高市皇子の宮に在(いま)す時に、穂積皇子を偲ひて作らす歌一首>である。
◆遺居而 戀管不有者 追及武 道之阿廻尓 標結吾勢
(但馬皇女 巻二 一一五)
≪書き下し≫後(おく)れ居(ゐ)て恋ひつつあらずは追い及(し)かむ道の隈(くま)みに標結(しめゆ)へ我が背
(訳)あとに一人残って恋い焦がれてなんかおらずに、いっそのこと追いすがって一緒に参りましょう。道の隈の神様ごとに標(しめ)を結んでおいてください、いとしき人よ。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
題詞は、「勅穂積皇子遣近江志賀山寺時但馬皇女御作歌一首」≪穂積皇子に勅(みことのり)して、近江(あふみ)の志賀の山寺に遣(つか)はす時に、但馬皇女の作らす歌一首>である。伊藤氏は同著の脚注で、「恋の噂を耳にした持統天皇が法会などの勅使に事寄せて穂積皇子を一時崇福寺に閉居させ、高市と穂積との間をつくろったものか」と、書かれている。
これはまさに、万葉恋愛ドラマである。
伊藤 博氏は、「万葉集 一」(角川ソフィア文庫)の「朝川を渡る」の脚注で、「以上三首、但馬皇女歌物語りとしてもてはやされた歴史をもつか。」と書かれている。
これだけの背景があり、「朝川を渡る」という、強い思いを歌った歌である。
それなのに、歌碑の立てられた位置はなんとも納得がいかない。
道路わきの、しかも広告看板の足元にある。川には近いが、この歌の思いが強く伝わるようなシチュエーションではないように思える。(写真の黄色い自動車のと重なって見える白い広告看板の足元に歌碑がある)
前日、この歌碑を探したが見つからず、家に帰って、消去法的に探したエリア以外をグーグルマップでストリートビューを行った。そしてついに広告看板の足元に歌碑を見つけたのであった。
当日(5月15日)、周辺状況を把握して車を走らせる。遠方右手に広告看板が見えてくる。そこを右折、川沿いの広場に車を止め歌碑の撮影に向かう。草に覆われていたので、雑草抜きから始める。
リベンジ成功。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典」
★「万葉歌碑めぐり」(桜井市HP)
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