万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その100改)―吉隠公民館広場―巻二 二〇三

●現在「万葉歌碑を訪ねて」シリーズをブログに書いているが、今日がちょうど100回目である。それ以前も、奈良県京都府の県境にある「万葉の小径」の歌碑を紹介したことがあった。

 100回とは、よく続いたものだ。これからも日々の積み重ねをコツコツと行っていきたい。「継続は力なり」を信じて。

 目を通していただいている皆様には心から感謝申し上げます。引き続き、応援のほどよろしくお願い申し上げます。

 ありがとうございます。

 

●万葉歌碑を訪ねて―その100―

 「万葉歌碑を訪ねて」シリーズは、奈良市の万葉歌碑から始まり、天理市桜井市とめぐり、現在は橿原市を巡っているが、今日は記念すべき100回目である。

 毎日、一つの歌碑を紹介しているが、自分なりによく続いたものだと感心している。

 このシリーズ以前には、奈良と京都の県境にある「万葉の小径」の万葉歌碑を紹介した。

 万葉集は、学生時代から関心があったが、本格的に学んだことはない。今回、ブログに挑戦する中で少しずつ万葉集に対する理解が深まってきているような気がする。そうしたなかでの気づきや諸先生方の考え方を紹介したり、自分なりの感想等を中心に書いていっている。専門的な知識には程遠いが、とにかく最少は「コピペ」でもいいので文章をまとめ、そこからいろいろな考えを吸収していこうと思っている。まだまだ自分のものとはなっていないのは分かっているが、積み重ねていく中で万葉集をつかめればと思っている。

 100回は、あくまでも通過点である。これからも挑戦し続けていきたい。

 

●歌は、「振る雪は淡にな降りそ吉隠の猪養の岡の寒からまくに」である。

 

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吉隠公民館広場万葉歌碑(穂積皇子)

●歌碑は、吉隠公民館広場にある。吉隠公民館は廃校になった旧桜井市立吉隠小学校の跡地にある。旧校舎など再利用されている。

 

●歌をみていこう。

◆零雪者 安播尓勿落 吉隠之 猪養乃岡之 寒有巻弐

                                   (穂積皇子 巻二 二〇三)

 

≪書き下し≫降る雪はあはにな降りそ吉隠(よなばり)の猪養(ゐかひ)の岡の寒くあらまくに

 

(訳)降る雪よ、たんとは降ってくれるな。吉隠の猪養の岡が寒いであろうから。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

 

 題詞は、「但馬皇女薨後穂積皇子冬日雪落遥望御墓悲傷流涕御作歌一首」<但馬皇女の薨ぜし後(のち)に、穂積皇子、冬の日に雪の降るに御墓(みはか)を遥望(ようぼう)し悲傷(ひしょう)流涕(りうてい)して作らす歌一首>である。

(注)あはに:多く。深く。

(注)吉隠の猪養の岡:但馬皇女の墓地。初瀬の東

 

 「吉隠」を「よなばり」と読むのを知ったのは、車を走らせていて、交差点の信号の下のローマ字読みである。普通では読めない。日本書記には、持統天皇の九年(六九五年)十月に菟田の吉隠に行幸し、翌日都に帰ったと記されているという。吉隠の地名が登場する最古の資料である。(公民館の資料より)

 初瀬川がV字型の谷間を流れるが旧小学校の運動場は、V字の一方の辺の途中にある高台と言った感じの所にある。反対側には、近鉄大阪線があり、ちょうど特急アーバンライナーが走っている。

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近鉄大阪線特急アーバンライナー


 公民館の資料によると「棚田の恵み 吉き里の隠れ米」として「吉隠米」を紹介している。

 V字の谷間に田んぼを造っているので棚田が多くみられる。

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棚田の光景

 

 

  

 (参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「吉隠公民館資料」(「吉隠米」ブランド化推進プロジェクト会議)

★「万葉歌碑めぐり」(桜井市HP)

★「weblio古語辞書」

 

※20210419朝食関連記事削除、一部改訂