万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その101改)―等彌神社境内鳥見山登山口西側―万葉集 巻六 一五四九

 

 ●歌は、「射目立てて跡見の岳邊のなでしこの花総手折りわれは行きなむ奈良人のため」である。

 

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等彌神社境内万葉歌碑(紀朝臣鹿人)

●歌碑は、等彌神社境内鳥見山登山口西側(登山口には鳥見山稲荷があり、「鳥見山霊畤」の碑がある)にある。

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鳥見山霊時の碑と鳥見山稲荷

 

●歌をみていこう。

 

◆射目立而 跡見乃岳邊之 瞿麦花 総手折 吾者将去 寧楽人之為

                 (紀朝臣鹿人 巻六 一五四九)

 

≪書き下し≫射目(いめ)立てて跡見(とみ)の岡辺のなでしこの花、ふさ手折り我れは持ちて行く奈良人(ならひと)のため

 

(訳)跡見の岡辺に咲いているなでしこの花。この花をどっさり手折って私は持ち帰ろうと思います。奈良で待つ人のために。(伊藤 博 著 「万葉集 二」角川ソフィア文庫より)

 

(注)いめたてて【射目立てて】:射目(狩りをするとき、弓を射る人が隠れる所)を立てて獲物の足跡を調べる意から、「跡見(とみ)」にかかる枕詞。

(注)とみ【跡見】:狩猟の時、鳥や獣の通った跡を見つけて、その行方を推しはかること。また、その役の人。

 

 題詞は、「典鑄正紀朝臣鹿人至衛門大尉大伴宿祢稲公跡見庄作歌一首」<典鑄正(てんちうのかみ)紀朝臣、衛門大尉(ゑもんのだいじょう)大伴宿祢稲公(おほとものすくねいなきみ)が跡見(とみ)の庄(たどころ)に至りて作る歌一首>

(注)典鑄正:典鑄司(金属製品・玉製品・ガラスや瑠璃製品や鋳造品などの製作をつかさどる)の長官。正六位上相当。

(注)衛門大尉:衛門府(古代,禁中の守衛,諸門の開閉などを司った役所)の三等官。従六位下相当

 

 この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その96)」で、紀朝臣鹿人(きのあそみかひと)の歌は三首収録されており、そのうちの一首として紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真が朝食の写真になっているが、本文は写真を削除し改訂しております。ご容赦下さい。)

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 等彌神社(とみじんじゃ)は、「奈良県桜井市桜井にある神社。『延喜式神名帳』に掲載されている大和国城上郡等彌神社に比定されている。明治時代までは能登宮と呼ばれていた。

本社にあたる上社「上津尾社」の祭神は大日霊貴命とされる(中略)。下社「下津尾社」には八幡大神春日大神が祀られ、その他稲荷、猿田彦、金毘羅、愛宕、恵比寿等の境内社桜井市護国神社が鎮座する。

創建年月は不詳であるが、社伝によると当社は古より鳥見山に鎮座していたとされる。鳥見山は初代天皇とされる神武天皇が皇祖神を祀った場所(霊畤)と伝えられる(後略)」(フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』より)

 

 鳥居の脇には「令和」を寿ぐ上り旗が風にそよいでいる。凛とした空気が漂う。

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等彌神社正面(桜井市立図書館側から撮影)

 参道をはさんで社務所の反対側に境内案内図がある。境内には万葉歌碑が3基ある。場所を確認し静寂な境内を歩く。

 

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神社名石碑と社務所

 

 

 紀朝臣鹿人の他の二首については歌のみを紹介する。

 

◆茂岡尓 神佐備立而 榮有 千代松樹乃 歳之不知久

                 (紀朝臣鹿人 巻六 九九〇)

 

◆石走 多藝千流留 泊瀬河 絶事無 亦毛来而将見

                 (紀朝臣鹿人 巻六 九九一)

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉歌碑めぐり」(桜井市HP)

★「フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

★「weblio古語辞典」

 

※20210422朝食関連記事削除、一部改訂