万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2129)―①-5 奈良県桜井市万葉歌碑(2)―伊勢街道エリア

桜井市慈恩寺欽明天皇磯城嶋金刺宮址万葉歌碑(巻十三 三二五四)■

桜井市慈恩寺欽明天皇磯城嶋金刺宮址万葉歌碑(柿本人麻呂歌集) 20190425撮影

 

●歌をみてみよう。

 

◆志貴嶋 倭國者 事霊乃 所佐國叙 真福在与具

      (柿本人麻呂 巻十三 三二五四)

 

≪書き下し≫磯城島(しきしま)の大和(やまと)の国は言霊(ことだま)の助くる国ぞま幸くありこそ

(訳)我が磯城島の大和の国は、言霊が幸いをもたらしてくれる国なのです。どうかご無事で行って来て下さい。(伊藤 博 著 「万葉集 三」角川ソフィア文庫より) 

 

(注)しきしまの【磯城島の・敷島の】分類枕詞:「磯城島」の宮がある国の意で国名「大和」に、また、転じて、日本国を表す「やまと」にかかる。「しきしまの大和」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ことだま【言霊】名詞:言葉の霊力。言葉が持っている不思議な力。 ⇒参考:古代社会では、言葉と現実との区別が薄く、「言」は「事」であり、言葉はそのまま事実と信じられていた。たとえば、人の名はその人自身のことであり、女性が男性に自分の名を教えることは、相手に我が身をゆだねることを意味した。また、名を汚されると、その人自身が傷つくとも考えられた。このような考え方から、呪詛(じゆそ)(=他人に災いが起こるように神に祈ること)・祝詞(のりと)などの、言葉による呪術(じゆじゆつ)(=まじない)が成立した。(学研)

(注)まさきく【真幸く】副詞:無事で。つつがなく。 ※「ま」は接頭語。(学研)

 

 三二五三(長歌)、三二五四歌の題詞は、「柿本朝臣人麻呂が歌集の歌に曰(い)はく」である。

(注)大宝元年(701年)の遣唐使に贈った人麻呂自身の歌らしい。(伊藤脚注)

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 この歌及び長歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その97改)」で紹介している。

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桜井市立朝倉小学校近くの脇本春日神社万葉歌碑(巻九 一六六四)■

桜井市立朝倉小学校近くの脇本春日神社万葉歌碑(雄略天皇) 20190425撮影

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その93改)」で紹介している。

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奈良県桜井市黒崎白山神社万葉歌碑(巻一 一)■

奈良県桜井市黒崎白山神社万葉歌碑(雄略天皇) 20100514撮影

●歌をみていこう。

 

◆籠毛與 美籠母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家告閑 名告紗根  虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居 師吉名倍手 吾己曽座 我許背齒 告目 家呼毛名雄母

            (雄略天皇 巻一 一)

 

≪書き下し≫籠(こ)もよ み籠(こ)持ち 堀串(ふくし)もよ み堀串(ぶくし)持ちこの岡(をか)に 菜(な)摘(つ)ます子 家告(の)れせ 名告(の)らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我れこそ居(を)れ しきなべて 我れこそ居(を)れ 我れこそば 告(の)らめ 家をも名をも

 

(訳)おお、籠(かご)よ、立派な籠を持って、おお。堀串(ふくし)よ、立派な堀串を持って、ここわたしの岡で菜を摘んでおいでの娘さん、あなたの家をおっしゃい、名前をおっしゃいな。霊威満ち溢れるこの大和の国は、隅々までこの私が平らげているのだ。果てしもなくこのわたしが治めているのだ。が、わたしの方から先にうち明けようか、家も名も。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)もよ 分類連語:ねえ。ああ…よ。▽強い感動・詠嘆を表す。 ※上代語。 ⇒なりたち 係助詞「も」+間投助詞「よ」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)み- 【御】接頭語:名詞に付いて尊敬の意を表す。古くは神・天皇に関するものにいうことが多い。「み明かし」「み軍(いくさ)」「み門(みかど)」「み子」(学研)

(注の注)持ち物を通して娘子をほめている。

(注)ふくし【掘串】名詞:土を掘る道具。竹や木の先端をとがらせて作る。 ※後に「ふぐし」とも。(学研)

(注)菜摘ます:「菜摘む」の尊敬語

(注)のらす【告らす・宣らす】分類連語:おっしゃる。▽「告(の)る」の尊敬語。 ⇒なりたち 動詞「の(告)る」の未然形+尊敬の助動詞「す」(学研)

(注の注)家や名を告げるのは、結婚の承諾を意味する。

(注)そらみつ 分類枕詞:国名の「大和」にかかる。語義・かかる理由未詳。「そらにみつ」とも。(学研)

 (注)おしなぶ 他動詞:(一)【押し靡ぶ】押しなびかせる。「おしなむ」とも。(二)【押し並ぶ】①すべて同じように行きわたる。②並である。普通である。 ※(二)の「おし」は接頭語。(学研)

(注)しきなぶ【敷き並ぶ】自動詞:すべてにわたって治める。一帯を統治する。(学研)

(注)ます【坐す・座す】[一]自動詞:①いらっしゃる。おいでである。おありである。▽「あり」の尊敬語。②いらっしゃる。おいでになる。▽「行く」「来(く)」の尊敬語。(学研)

(注)こそ 係助詞:《接続》体言、活用語の連用形・連体形、副詞・助詞などに付く。上代では已然形にも付く。①〔上に付く語を強く指示し、文意を強調する〕ほかの事・物・人ではなく、その事・物・人。②〔「こそ…已然形」の句の形で、強調逆接確定条件〕…は…だけれど。…こそ…けれども。 参考⇒ばこそ・もこそ・あらばこそ(学研)

 

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白山神社の境内には、万葉集がこの地から始められたことを讃える意味で、「萬葉集發耀讃仰碑」と書かれた記念碑がある。このあたりは、雄略天皇泊瀬朝倉宮があったといわれている。(読み:まんようしゅうはつようさんぎょうひ)

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その95改)」で紹介している。

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■出雲初瀬街道沿い万葉歌碑(巻二 一一六)■

出雲初瀬街道沿い万葉歌碑(但馬皇女) 20190515撮影

●歌をみていこう。

 

 ◆人事乎 繁美許知痛美 己世尓 未渡 朝川渡

     (但馬皇女 巻二 一一六)

 

≪書き下し≫人事(ひとごと)を繁(しげ)み言痛(こちた)みおのが世にいまだ渡らぬ朝川(あさかは)渡る。

 

(訳)世間の噂が激しくうるさくてならないので、それに抗して自分は生まれてこの方渡ったこともない、朝の冷たい川を渡ろうとしている―この初めての思いを私は何としてでも成し遂げるのだ。(同上)

(注)ひとごと【人言】名詞:他人の言う言葉。世間のうわさ。(学研)

(注)こちたし【言痛し・事痛し】形容詞:①煩わしい。うるさい。②甚だしい。度を越している。ひどくたくさんだ。③仰々しい。おおげさだ。(学研)

(注)あさかはわたる【朝川渡る】:世間を慮り、女ながら未明の川を渡って逢いに行く。「川」は恋の障害を表すことが多い。世間の堰に抗して初めての情事を全うするのだという意もこもる。(伊藤脚注)

 

 題詞は、「但馬皇女高市皇子宮時竊接穂積皇子事既形而御作歌一首」<但馬皇女(たぢまのひめみこ)、高市皇子の宮に在(いま)す時に、竊(ひそ)かに穂積皇子に接(あ)ひ、事すでに形(あら)はれて作らす歌一首>である。

 

 この歌に関して、樋口清之氏は、その著「万葉の女人たち」(講談社学術文庫)のなかで、「『朝川渡る』というのは、恋慕う人の許におもむかれる際に、高貴な女性の身として常にはあるまじき朝の川を徒歩で行くという事実を述べられたものです。その思いがいかに激しくあらせられたかということは、今はこの『朝川渡る』という姿の実際に即して考えた方が眼前に彷彿することができるでしょう。」と書かれている。

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 この歌ならびに歌碑については、一一四から一一六歌(但馬皇女歌物語としてもてはやされたか)とともに、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その99改)」で紹介している。

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奈良県桜井市長谷寺本堂近くの鐘楼横万葉歌碑(巻八 一五九三)■

奈良県桜井市長谷寺本堂近くの鐘楼横万葉歌碑(大伴坂上郎女


 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その81改)」で紹介している。

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■吉隠公民館広場(旧桜井市立吉隠小学校跡)万葉歌碑(巻二 二〇三)■

吉隠公民館広場(旧桜井市立吉隠小学校跡)万葉歌碑(穂積皇子) 20190515撮影

●歌をみていこう。

 

◆零雪者 安播尓勿落 吉隠之 猪養乃岡之 寒有巻弐

      (穂積皇子 巻二 二〇三)

 

≪書き下し≫降る雪はあはにな降りそ吉隠(よなばり)の猪養(ゐかひ)の岡の寒くあらまくに

 

(訳)降る雪よ、たんとは降ってくれるな。吉隠の猪養の岡が寒いであろうから。(同上)

 

 題詞は、「但馬皇女薨後穂積皇子冬日雪落遥望御墓悲傷流涕御作歌一首」<但馬皇女の薨ぜし後(のち)に、穂積皇子、冬の日に雪の降るに御墓(みはか)を遥望(ようぼう)し悲傷(ひしょう)流涕(りうてい)して作らす歌一首>である。

(注)あはに 副詞:多く。深く。(学研)

(注)吉隠の猪養の岡:但馬皇女の墓地。初瀬の東(伊藤脚注)

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その100改)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の女人たち」 樋口清之 著 (講談社学術文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」