●「泊瀬川」で始まる歌は、万葉集には五首収録されている。現在の初瀬川(大和川)は、残念ながら、かなりましになったとはいえ万葉歌のようなイメージとはかけ離れている。
●サンドイッチは、ピーナツペーストをはさんだ。6分割して並べた。デザートは、りんごの縦切りのくりぬきに皮付きのくりぬきをはめ込んだ。りんごを三角形にくりぬき模様化した。あとは、トンプソンとレッドグローブで飾り付けた。
●万葉歌碑を訪ねて―その98―
「泊瀬川速み早瀬をむすびあげてあかずや妹とといし公はも」
この歌碑は、欽明天皇磯城嶋金刺宮址近く大和川(初瀬川)の縁にある。桜井市HP「万葉歌碑めぐり」では、「慈恩寺、新佐野橋近く」とかいてあるので、慈恩寺や、新佐野橋をキーワードに探してみた。ここの慈恩寺は地名として書かれていたのである。実はここにたどり着くまでに、実際の「慈恩寺」まで山を登って探しに行って来たのである。
それらしきものはみつからず、あきらめていたところであった。マップが重なっているのでよもやと、磯城嶋金刺宮址の碑から目を大和川の方に移したら生垣ごしに碑らしいものが見えたのである。よく見ると歌碑に間違いない。漸く見つけることができた。ミニ執念のなせる業である。
歌をみていこう。
◆泊瀬川 速見早瀬乎 結上而 不飽八妹登 問師公羽裳
(作者未詳 巻十一 二七〇六)
≪書き下し≫泊瀬川早み早瀬をむすび上げて飽かずや妹(いも)と問ひし君はも
(訳)泊瀬川のほとばしる早瀬の水、その水を手で掬(すく)いあげて飲ませてくれながら、「充分満足したかお前」と尋ねて下さったあお方は、ああ。(伊藤 博著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)はも:~よ。ああ。▽文末に用いて、強い詠嘆の意を表す。
「泊瀬川」で始まる歌は、万葉集に五首収録されている。
他の四首をみてみよう。
◆泊瀬川 白木綿花尓 堕多藝都 瀬清跡 見尓来之吾乎
(作者未詳 巻七 一一〇七)
≪書き下し≫泊瀬川(はつせがわ)白木綿花(しらゆふばな)の落ちたぎつ瀬をさやけみと見に来し我(われ)を
(訳)泊瀬川の、白い木綿の花のように流れ落ちては砕ける川の瀬、その瀬がすがすがしいので見にやって来た、私は。(伊藤 博著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)たぎつ【滾つ・激つ】水が激しく流れる。水が逆巻きうねる。
◆泊瀬川 流水尾之 湍乎早 井提越浪之 音之清久
(作者未詳 巻七 一一〇八)
≪書き下し≫泊瀬川流るる水脈(みを)の瀬を早みゐで越す波の音の清けく
(訳)泊瀬川の、渦巻きな流れる川の瀬が早いので、堰を越えてほとばしる波、その波の音が清らかに聞こえてくる。(伊藤 博著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
◆泊瀬川 流水沫之 絶者許曽 吾念心 不遂登思齒目
(作者未詳 巻七 一三八二)
≪書き下し≫泊瀬川流るる水沫(みなわ)の絶えばこそ我(あ)が思う心遂(と)げじと思はめ
(訳)泊瀬川、この川を流れ行く水の泡の絶えるようなことがあれば、こんなに思っている私の胸のうちも遂げることはできまいと諦めもしようが・・・。(伊藤 博著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
◆泊瀬河 夕渡来而 我妹兒何 家門 近舂二家里
(作者未詳 巻九 一七七五)
≪書き下し≫泊瀬川夕渡り来て我妹子(わぎもこ)が家のかな門(と)に近づきにけり。
(訳)泊瀬川を夕方渡って来て、いとしい人の家の戸口に近づいた。(伊藤 博著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)かなと:道に対し曲り角をなす戸口
※この歌は「柿本朝臣人麻呂之歌集出」とある。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉歌碑めぐり」(桜井市HP)
★「weblio古語辞書」