万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1396)―福井県越前市 万葉ロマンの道(15)―万葉集 巻十五 三七六五

●歌は、「まそ鏡懸けて偲へと奉り出す形見のものを人に示すな」である。

 

●歌碑は、福井県越前市 万葉ロマンの道(15)にある。

 

●歌をみていこう。

 

麻蘇可我美 可氣弖之奴敝等 麻都里太須 可多美乃母能乎 比等尓之賣須奈

       (中臣宅守 巻十五 三七六五)

 

≪書き下し≫まそ鏡懸(か)けて偲(しぬ)へと奉(まつ)り出す形見(かたみ)のものを人に示すな

 

(訳)まそ鏡を掛けて見るように、心に懸けて偲んでほしいとさしあげる形見の物、この大事な物は、他の人には見せないで下さい。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)まそかがみ【真澄鏡】分類枕詞:鏡の性質・使い方などから、「見る」「清し」「照る」「磨(と)ぐ」「掛く」「向かふ」「蓋(ふた)」「床(とこ)」「面影(おもかげ)」「影」などに、「見る」ことから「み」を含む地名「敏馬(みぬめ)」「南淵山(みなぶちやま)」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注の注)まそかがみ【真澄鏡】名詞:「ますかがみ」に同じ。 ※「まそみかがみ」の変化した語。上代語。(学研)>ますかがみ【真澄鏡】名詞:よく澄んで、くもりのない鏡。 ※「ますみのかがみ」の変化した語。中古以後の語で、古くは「まそかがみ」。(学研)

(注の注の注)まそ鏡:宅守が娘子に形見として贈ったもの。

(注)まつりだす【奉り出す】[動]:献上する。差し上げる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)かたみ【形見】名詞:①遺品。形見の品。遺児。故人や遠く別れた人の残した思い出となるもの。②記念(物)。思い出の種。昔を思い出す手がかりとなるもの。(学研)ここでは②の意

 

 

「まそ鏡」については、國學院大學デジタルミュージアムHPの「万葉神事語事典」に次の様に書かれている。

「まそかがみ:①鏡の美称。②枕詞。万葉集には35例あるが、多くは②の用例である。表記としては、戯書を用いた「犬馬鏡」「喚犬追馬鏡」が5例、仮名書き例(「麻蘇鏡」、「末蘇鏡」)4例、さらに「清鏡」「白銅鏡」「銅鏡」が各1例をのぞくと、「真十鏡」がもっとも多く15例あり、ほかに「真素鏡」「真祖鏡」「真鏡」などの「真」をふくむ用例が8例ある。万葉集にある「ますみの鏡」(16-3885)という語が紀の神代紀の古訓や『新撰亀相記』にも見えることから、「まそかがみ」はその転訛と考える説もあるが、「まそかがみ」の例に集中することから、むしろ「ますみの鏡」は語源解釈の結果生まれた語形であろう。おそらく接頭語「まそ」は真+具の意で、足り備わったさま、十全なさまをあらわすのであろう。②枕詞の用例の大半は、鏡を見る・掛ける・磨ぐ・床のそばに置くなどの意で、「見る」「かく」「磨ぐ」「床の辺さらず」にかかる用例であるが、古代の鏡は「白銅鏡」や「銅鏡」とも記されているように金属製のものを磨ぎ澄ましたものであることから、その鏡が清く照り光ることをふまえて鏡を月にたとえて、「清き月夜」や「照り出る月」にかかる用例もある(8-1507、11-2462、11-2670、11-2811、17-3900など)。また鏡に映る影の意で「面影」にかかる用例(11-2634)もある。なお、「まそかがみ」を現物のものとしてうたう10例のなかには、「まそ鏡 手に取り持ちて 天つ神 仰ぎ乞ひ禱み」(5-904)という山上憶良の用例や「祝らが斎ふ三諸のまそ鏡」(12-2981)の用例があることから、「まそかがみ」は神を祭る儀礼にかかわるものと考える説もある。」

 

万葉神事語事典を参考に「まそ鏡」を詠った歌をいくつかみてみよう。

 

■枕詞「見る」に懸る歌■

真十鏡 見之賀登念 妹相可聞 玉緒之 絶有戀之 繁比者

       (巻十一 二三六六)

 

≪書き下し≫まそ鏡(かがみ)見しかと思ふ妹(いも)も逢はぬかも 玉の緒の絶(た)えたる恋の繁(しげ)きこのころ

 

(訳)何とかして逢いたいと思うあの子は、ひょっこり出逢ってくれないものか。玉飾りの紐が切れるようにとだえている恋心がしきりにつのるこのごろなのだ。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)しか 終助詞《接続》動詞の連用形、完了の助動詞「つ」「ぬ」の連用形「て」「に」に付く。:〔自己の願望〕…たいものだ。…たいなあ。 ⇒参考:過去の助動詞「き」の連体形「し」に終助詞「か」の付いたものか。過去の助動詞「き」の古い未然形(一説に已然形)「しか」が変化したものという説もある。中古以降、「しが」と濁音化し、主に和歌で用いられた。⇒「てしか」「にしが」「てしが」「にしがな」(学研)

(注)たまのをの【玉の緒の】分類枕詞:玉を貫き通す緒の状態から「絶ゆ」「長し」「短し」「思ひ乱る」などにかかる。(学研)

 

 

■枕詞「懸ける」に懸る歌■

 

 歌碑の三七六五歌がその例である。

 

■枕詞「磨く」に懸る歌■

真十鏡 磨師心乎 縦者 後尓雖云 驗将在八方

       (大伴坂上郎女 巻四 六七三)

 

≪書き下し≫まそ鏡磨(と)ぎし心をゆるしてば後(のち)に言ふとも験(しるし)あらめやも

 

(訳)まそ鏡を磨くように研ぎすまし、張りつめた心、めったな男に男に靡(なび)くまいと思いつめてきたこの心を、あなたなんぞに許したら、あとで愚痴を言っても何のかいがありましょうか。取り返しがつかなくなるに決まっています。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)しるし【徴・験】名詞:①前兆。兆し。②霊験。ご利益。③効果。かい。(学研)ここでは③の意

(注)めやも 分類連語:…だろうか、いや…ではないなあ。 ⇒なりたち:推量の助動詞「む」の已然形+反語の係助詞「や」+終助詞「も」(学研)

 

 

■枕詞「床の辺さらず」に懸る歌■

◆里遠 眷浦經 真鏡 床重不去 夢所見与

       (作者未詳 巻十一 二五〇一)

 

≪書き下し≫里遠(さとどほ)み恋ひうらぶれぬまそ鏡(かがみ)床(とこ)の辺(へ)去らず夢(いめ)に見えこそ

 

(訳)あなたのお里が遠いので、恋しさにすっかりしょげこんでおります。せめて、このまそ鏡のように床の辺を離れずにしょっちゅう夢に見えて下さい。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 

■枕詞「清き月夜に」に懸る歌■

真素鏡 清月夜之 湯徙去者 念者不止 戀社益

       (作者未詳 巻十一 二六七〇)

 

≪書き下し≫まそ鏡清き月夜(つくよ)のゆつりなば思ひはやまず恋こそまさめ

 

(訳)澄んだ鏡のように清らかな月の照らすこの夜空が暗くなってしまったら、胸の思いは紛れずに苦しみがいっそうつのってこように・・・。(同上)

(注)ゆつる【移る】[動]:経過する。うつる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注の注)ゆつりなば:相手を思うよすがの月が移って暗くなってしまったならば。(伊藤脚注)

 

 

■枕詞「照り出づる月」に懸る歌■

◆我妹 吾矣念者 真鏡 照出月 影所見来

       (作者未詳 巻十一 二四六二)

 

≪書き下し≫我妹子(わぎもこ)し我(わ)れを思はばまそ鏡照り出(い)づる月の影に見え来(こ)ね

 

(訳)いとしい子よ、私を思ってくれるのなら、鏡のように空高く照りまさる月影そのものとして見えてきておくれ。(同上)

(注)つきかげ【月影】名詞:①月光。月明かり。月光の当たる所。②月の姿。③月明かりの中の姿。(学研)ここでは②の意

 

 

■枕詞「面影」に懸る歌■

◆里遠 戀和備尓家里 真十鏡 面影不去 夢所見社

       (作者未詳 巻十一 二六三四)

 

≪書き下し≫里遠(さとどほ)み恋わびにけりまそ鏡面影(おもかげ)去らず夢(いめ)に見えこそ

 

(訳)お里が遠いので恋しくてうちしおれてしまいました。まそ鏡に映る影のように、せめて面影は消えることなく、いつも夢に見えて下さい。(同上)

(注)こひわぶ【恋ひ侘ぶ】自動詞:恋に思い悩む。恋い煩う。(学研)

 

 

■「まそ鏡」を現物のものとして詠う例■

◆祝部等之 齋三諸乃 犬馬鏡 懸而偲 相人毎

       (作者未詳 巻十二 二九八一)

 

≪書き下し≫祝(はふり)らが斎(いは)ふみもろのまそ鏡懸(か)けて偲ひつ逢ふ人ごとに

 

(訳)神主たちがあがめ祭っているまそ鏡、その鏡を懸けるというではないが、じっと心に懸けてあの人を偲んでいる。行き違う人の姿が目に入るたびに。(同上)

(注)はふり【祝】名詞:神に奉仕することを職とする者。特に、神主(かんぬし)や禰宜(ねぎ)と区別する場合は、それらの下位にあって神事の実務に当たる職をさすことが多い。祝(はふ)り子。「はうり」「はぶり」とも。(学研)

 

■「まそ鏡」に戯書を用いた「犬馬鏡」「喚犬追馬鏡」の例■

「犬馬鏡」の例は上記の二九八一歌、「喚犬追馬鏡」は巻十三 三三二四歌などに見られる。

 

馬を追う時にはソソと言い、犬を呼ぶときにはママと言ったのによるものとされています。(日本のことば遊び 万葉集の戯書 <ジャパンナレッジHP>)

 

 

■「ますみ鏡」の歌■

◆・・・吾耳者 御墨坩 吾目良波 真墨乃鏡 吾爪者 御弓之弓波受・・・ 

       (乞食者の詠 巻十六 三八八五)

 

≪書き下し≫・・・我(わ)が耳は み墨(すみ)坩(つほ) 我(わ)が目らは ますみの鏡 我(わ)が爪(つめ)は み弓の弓弭(ゆはず)・・・

 

(訳)・・・私の耳はお墨の壺(つぼ)、私の両目は真澄(ますみ)の鏡、私の爪はお弓の弓弭(ゆはず)・・・(同上)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その542)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 「まそ鏡」という言葉を追うだけで、当時の用途や生活ぶりまで、鏡に映った姿からの発想等にまで垣間見ることができるのである。万葉集自体がまさに当時を映す鏡のような物なのである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「万葉神事語事典」 (國學院大學デジタルミュージアムHP)

★「日本のことば遊び 万葉集の戯書」 (ジャパンナレッジHP