万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その541,542)―奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(44、45)―万葉集 巻十六 三八七二、三八八五

●歌は、「我が門の榎の実もり食む百千鳥千鳥は来れど君ぞ来まさぬ」である。

 

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奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(44)万葉歌碑(作者未詳 え)

●歌碑(プレート)は、奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(44)にある。

 

◆吾門之 榎實毛利喫 百千鳥 ゝゝ者雖来 君曽不来座

             (作者未詳 巻十六 三八七二)

 

≪書き下し≫我(わ)が門(かど)の榎(え)の実(み)もり食(は)む百千鳥(ももちとり)千鳥(ちとり)は来(く)れど君ぞ来(き)まさぬ

 

(訳)我が家の門口の榎(えのき)の実を、もぐように食べつくす群鳥(むらどり)、群鳥はいっぱいやって来るけれど、肝心な君はいっこうにおいでにならぬ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)もり食む:もいでついばむ意か。

(注)ももちどり 【百千鳥】名詞①数多くの鳥。いろいろな鳥。②ちどりの別名。▽①を「たくさんの(=百)千鳥(ちどり)」と解していう。③「稲負鳥(いなおほせどり)」「呼子鳥(よぶこどり)」とともに「古今伝授」の「三鳥」の一つ。うぐいすのことという。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 

 巻十六は「有由縁幷雑歌」で、三八六〇~三八八四歌は、「国名」を題詞に掲げている。歌碑の歌に続く三八七三歌の左注は、「右歌二首」<右の歌二首>とある。三八七〇歌の左注は「右歌一首」、三八七一歌も同じ、三八七二、三八七三歌は、「右歌二首」、三八七四歌は「右歌一首」、三八七五歌も同じである。この歌群六首の前は、題詞「筑前國志賀白水郎歌十首」<筑前(つくしのみちのくち)の国の志賀(しか)の白水郎(あま)の歌十首>とあり、三八六〇~三八六九歌の歌群がある。三八七六歌の題詞は、「豊前國白水郎歌一首」<豊前国(とよのみちのくち)白水郎(あま)の歌一首>である。歌碑の歌を含む六首は、前十首の題詞に統轄される筑前の歌謡と推測される。

 

  千鳥に寄せて、鳥は騒ぐも、肝心な君はいっこうにおいでにならぬ、と嘆く巻十四の東歌ではないが、九州の大宰府と違った地方の、男女の営みをさりげなく、生活感あふれる素朴性と自然体から詠っている、歌謡性あふれる歌である。

 

 このような、地方性あふれる、庶民的な歌をも収録しているところに万葉集と言われる所以がはぐくまれていると言えよう。

 

 

 

―その542―

●歌は、「・・・あしひきのこの片山に二つ立つ櫟が本に梓弓八手挟み・・・」である。

 

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奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(45)万葉歌碑(乞食者の詠 いちひ)

●歌碑(プレート)は、奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(45)にある。

 

●歌をみてみよう。

 

◆伊刀古 名兄乃君 居々而 物尓伊行跡波 韓國乃 虎神乎 生取尓 八頭取持来 其皮乎 多ゝ弥尓刺 八重疊 平群乃山尓 四月 与五月間尓 藥獦 仕流時尓 足引乃 此片山尓 二立 伊智比何本尓 梓弓 八多婆佐弥 比米加夫良 八多婆左弥 完待跡 吾居時尓 佐男鹿乃 来立嘆久 頓尓 吾可死 王尓 吾仕牟 吾角者 御笠乃婆夜詩 吾耳者 御墨坩 吾目良波 真墨乃鏡 吾爪者 御弓之弓波受 吾毛等者 御筆波夜斯 吾皮者 御箱皮尓 吾完者 御奈麻須波夜志 吾伎毛母 御奈麻須波夜之 吾美義波 御塩乃波夜之 耆矣奴 吾身一尓 七重花佐久 八重花生跡 白賞尼 白賞尼

                (乞食者の詠 巻十六 三八八五)

 

≪書き下し≫いとこ 汝背(なせ)の君 居(を)り居(を)りて 物にい行くとは 韓国(からくに)の 虎といふ神を 生(い)け捕(ど)りに 八つ捕り持ち来(き) その皮を 畳(たたみ)に刺(さ)し 八重(やへ)畳(たたみ) 平群(へぐり)の山に 四月(うづき)と 五月(さつき)との間(ま)に 薬猟(くすりがり) 仕(つか)ふる時に あしひきの この片山(かたやま)に 二つ立つ 櫟(いちひ)が本(もと)に 梓弓(あづさゆみ) 八(や)つ手挟(たばさ)み ひめ鏑(かぶら) 八つ手挟み 鹿(しし)待つと 我が居(を)る時に さを鹿(しか)の 来立ち嘆(なげ)かく たちまちに 我(わ)れは死ぬべし 大君(おほきみ)に 我(わ)れは仕(つか)へむ 我(わ)が角(つの)は み笠(かさ)のはやし 我(わ)が耳は み墨(すみ)坩(つほ) 我(わ)が目らは ますみの鏡 我(わ)が爪(つめ)は み弓の弓弭(ゆはず) 我(わ)が毛らは み筆(ふみて)はやし 我(わ)が皮は み箱の皮に 我(わ)が肉(しし)は み膾(なます)はやし 我(わ)が肝(きも)も み膾(なます)はやし 我(わ)がみげは み塩(しほ)のはやし 老い果てぬ 我(あ)が身一つに 七重(ななへ)花咲く 八重(やへ)花咲くと 申(まを)しはやさに 申(まを)しはやさに

 

(訳)あいやお立ち合い、愛(いと)しのお立ち合い、じっと家に居続けてさてさてどこかへお出かけなんてえのは、からっきし億劫(おつくう)なもんだわ、その韓(から)の国の虎、あの虎というおっかない神を、生け捕りに八頭(やつつ)もひっ捕らまえて来てわさ、その皮を畳に張って作るなんぞその八重畳、その八重の畳を隔てて繰り寄せ編むとは平群(へぐり)のあのお山で、四月、五月の頃合、畏(かしこ)の薬猟(かり)に仕えた時に、ここな端山(はやま)に並び立つ、二つの櫟(いちい)の根っこのもとで、梓弓(あずさゆみ)八(やつ)つ手狭み、ひめ鏑(かぶら)八(やつ)つ手狭み、このあっちが獲物を待ってうずくまっていたとしなされ、その時雄鹿が一つ出て来てひょこっとつっ立ってこう嘆いたわいさ、「射られてもうすぐ私は死ぬはずの身。どうせ死ぬなら大君のお役に立ちましょう。私の角はお笠の材料(たね)、私の耳はお墨の壺(つぼ)、私の両目は真澄(ますみ)の鏡、私の爪はお弓の弓弭(ゆはず)、私の肌毛はお筆の材料(たね)、私の皮はお手箱の覆い、私の肉はお膾(なます)の材料(たね)、私の肝もお膾の材料(たね)、私の胃袋(ゆげ)はお塩辛の材料(たね)。そうそう、今や老い果てようとするこの私めの身一つに、七重も八重も花が咲いた花が咲いたと、賑々(にぎにぎ)しくご奏上下され、賑々しくご奏上下され」とな。(伊藤 博 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)いとこ【愛子】名詞:いとしい人。▽男女を問わず愛(いと)しい人を親しんで呼ぶ語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)「いとこ 汝背(なせ)の君」:相手を親しんでの呼びかけ。聴衆あての表現。

(注)をり【居り】:<自動詞>①座っている。腰をおろしている。②いる。存在する。 

補助動詞>(動詞の連用形に付いて)…し続ける。…している。(学研)

(注)やへだたみ【八重畳】①( 名 ):幾重にも重ねて敷いた敷物。神座として用いる。 ②( 枕詞 ):幾重にも重ねるところから、「へ(重)」と同音の地名「平群(へぐり)」にかかる。 (学研)

(注)くすりがり【薬狩】名詞:陰暦四、五月ごろ、特に五月五日に、山野で、薬になる鹿(しか)の若角や薬草を採取した行事。[季語] 夏。薬猟(学研)

(注)はやし:栄えさせる意の「栄す」の名詞形

(注)ゆはず【弓筈・弓弭】名詞:弓の両端の弦をかけるところ。上の弓筈を「末筈(うらはず)」、下を「本筈(もとはず)」と呼ぶ。※「ゆみはず」の変化した語。(学研)

(注)なます【鱠・膾】名詞:魚介・鳥獣の生肉を細かく刻んだもの。後世では、それを酢などであえた料理。さらに後には、大根・人参などを混ぜたり、野菜のみのものにもいう。(学研)

 

 題詞は、「乞食者詠二首」<乞食者(ほかひひと)が詠ふ歌二首>である。

(注)ほかひびと【乞児・乞食者】名詞:物もらい。こじき。家の戸口で、祝いの言葉などを唱えて物ごいをする人。「ほかひひと」とも。

 

  左注は、「右歌一首為鹿述痛作之也」<右の歌一首は鹿のために痛みを述べて作る>である。ちなみに、もう一首三八八六歌の左注は、「右歌一首為蟹述痛作之也」<右の歌一首は蟹のために痛みを述べて作る>である。

 

 

 この歌は、乞食者(ほかひびと)が詠う寿詞である。左注にあるように、ある宮廷奉仕者が薬狩の時に聞いた鹿の嘆きを伝える意味の歌である。

薬狩りは、4月と5月の間に平群(へぐり)の山で行われ、鹿茸(ろくじょう:新たに生え替わった鹿の角で強壮薬として用いた)をとったり、薬草を採ったりする朝廷行事である。

 万葉集には、阿騎野、蒲生野、平群山などで開催された薬狩りの歌が収録されている。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」